「この子に触るのは久しぶりです」
嬉々としてヒュウガ・リクドウは金色のボディを撫でた。
「ギアはいろいろ作りましたけど…この子が一番出来いいんですよね」
ただの調整だというのに、恋人にでも会ったようなはしゃぎぶりだ。
「…それはともかく、ヒュウガ。部品を調達するのが手間なんだ。汎用の部品を使えるようにはならないのか?」
搭乗者であるカーラン・ラムサスはそう愚痴る。
常に戦闘に出向くギアは破損して当たり前。しかし、このギア『ワイバーン』はワンオフタイプ…つまり汎用の部品を積めない。補給も修理も、専任の整備士が必要になる。時には設計士が立ち会わないと、微妙な調整が難しい。
カーランの言葉に、ヒュウガはきつい表情で振りかえる。
「何言ってるんですか!そのへんの汎用ギアと一緒にしないで下さい。それともカール、まさかあなた、総司令官が最前線に出るような戦闘してるんじゃないでしょうね?」
「そんな真似はしない。だが…」
「いいですか?この子は総大将なんですから、味方の戦意昂揚と敵を威圧する両方を備えなきゃならないんですよ。いざとなったら、他のギアとはレベルの違う戦闘を見せる必要もあるんです。そんな大事な役回りに、汎用部品を使えますか!」
ぷりぷり怒るヒュウガに、カーランは苦笑した。
ヒュウガが地上に降り、一年が経っていた。ソラリスを離れた友人はすっかり地上人に馴染んでしまったらしく、本国に戻っても、もう軍部の制服を着ようとしない。
「こういう服を一度着ると、もう窮屈でそれは着れませんよ」
そう言って、首回りも腕まわりも涼しそうな服でうろうろとする。彼の身元を証明するIDプレートだけが胸元で揺れている。
生来の黒髪と黒瞳もあいまって、彼はまるでソラリス生まれに見えなかった。
しかし、時折状況報告の折に立ち寄っては、自分が設計したギアの調子を見て回っている。
今日はちょうどカーランが立ち会って自機の調整をしていたので、張り切って首を突っ込んできたところだ。設計士が自らチューンナップするのも珍しいが、ヒュウガの場合、部品と必要な設備さえ整えば自分で設計から製作までこなしてしまう。おかげで今まで整備に当たっていた整備士達は、別ブースで束の間の休憩を取りながら、珍妙な服に身を包んだ設計士があちこちいじり回すのを、複雑な表情でガラス越しに見ていた。
「…ああ、綺麗に乗ってますね…整備士の腕がいいのかな。でも微調整となると……」
ひとりでぶつぶつ言いながら手を動かすのは、ヒュウガの癖だ。コックピットの中まで乗り込んでいって、計器類を点検している。
「カール、駆動系もうちょいシビアにして動けます?」
「武器の使用に影響ない程度にしてくれ」
「ええ、肩と腰は動かしませんよ」
「…嬉しそうだな、ヒュウガ?」
「子供みたいなものですからね」
「娘とギアとどっちが可愛い?」
「それは質問として成り立ちませんよ、カール」
「何故だ?」
「ギアはすでに完成していますが、娘は発達途上にあります。比べても詮無いことです」
「…上手くかわしやがって」
ヒュウガは意味ありげな笑みを浮かべ、コックピットから出た。そしてギアの背中に回り、各調整部分をチェックしていく。
ワイバーン…『飛竜』の名を授けられたワンオフタイプ・ギアは、第3次シェバト侵攻作戦前に、ヒュウガが設計して製作させたギアだ。
一見華奢にも見える機体も、全身の鈍い金色によって威圧感を補っている。そしてその名に違わない運動性能の高さと戦闘能力は、ソラリス製のギアの中でも突出している。地上戦闘のみならず、翼に似た形状の飛行ユニットを標準装備している為、空中戦も可能になっている。
その主武装品である剣は、ヒュウガの持つ武器と同じ「カタナ」の技術が応用されている。浅く反った片刃の刀身の素材も、特注品である。
カーランは最初、この片刃の剣に慣れず閉口して居たが、使い方を飲みこんでしまうとさほど苦にはならなくなった。
「…っと。こんなもんかな…あとは通常の整備で問題無いでしょう。近いうちに出ます?」
「いや。しばらく本国の勤務だ。実戦は無いな」
「そうですか…」
多少残念そうにヒュウガは呟く。やはり生みの親としては活躍する場が欲しいらしい。
「さっきおまえ最前線出るなと言ったばかりだろう」
「それはそれ、これはこれ、です。まあ、最高司令官が出張らないといけない戦場なんて、ロクなもんじゃないですけどね」
ヒュウガはそう言って降りてきて、カーランに並んでワイバーンを見上げる。
「…カール」
「うん?」
「私が、この子に乗って戦うあなたを見ることがあったらそれはきっと、あなたの敵としてなんでしょうね」
「何故そう決め付ける?」
不穏なヒュウガの発言に、カーランは眉を寄せる。
「私は今地上での任務を展開中です。円滑に任務を遂行させるためなら、私は本国も裏切る覚悟ですよ」
「…それで殺されたら本末転倒だろう」
「私が守護天使で地上任務に就いてるのは、陛下とあなたと、うちの妻くらいしか知りませんよ。それとも、司令官自ら助けにきて下さいますか?」
「…」
返答に詰まるカーランに、ヒュウガは眼鏡をちょっと押し上げて微笑む。
「それでいいんです、私達は歩き始めてしまったから」
まるで身を寄せ合うようにしてお互いを暖めあった過去は、もう遠い。彼らはそれなりの地位を手に入れ、それなりの責任を負い、自分の場所を飛び出すわけにはいかなくなってしまった。あの頃と同じように、思うものや望むものを求める為に走りまわることは難しくなったのだ。
「…でもね、カール。それでも私は嬉しいんですよ。私の造ったこの子に、あなたが乗っているなら、あなたを少しでも私の欠片が守ってあげられるなら。だから、そんな顔しないでください」
「だが俺はなにもやれてない」
「あなたには命を頂きましたよ。…あの時、私は殺されても、SSに送られてもおかしくない状況に居たんですから。だから、この子はお返しです。私に出来る、最大のね」
だから大事に乗って下さい、とヒュウガは言って、緩い袖口から時計を出して眺めた。
「ではそろそろお暇しますね、カール。今度寄った時は、お茶の一つでも出して下さい」
「…格納庫じゃ茶は出せないぞ」
「ええ、わかってます。今度は司令官室に寄らせていただきますよ」
じゃあまた、と手を上げて、ヒュウガはのんびり歩き出した。
カーランが何とはなしにその後ろ姿を見送っていると、背後の休憩ブースからわらわらと整備員が出て来て、慌しくワイバーンの各稼動部に貼り付いた。やはり心配だったらしい。しばらくしてから、チーフがカーランに声をかける。
「閣下!このセッティングで動けますかね?普段の倍は締まってますが?」
「かまわん。あいつがそれでも俺が動けると踏んだんだろうからな。…テストするから、立ち上げてくれ」
「了解しました」
起動パネルが開かれ、メインジェネレーターが動き出す。肩から背に取りつけられた翼状の飛行ユニットのエンジンが、格納庫内の空気を震わせる。
やがて、ギアの双眸に赤い光が点る。目覚めた金色の飛竜は、主人を迎え入れるべく胸のコックピットの扉を開けた。
「閣下、どうぞ!」
高らかなチーフの声に、カーランは歩き出す。乗りこむ前に、ちらりとワイバーンの顔を見上げた。
「…助けに行ってやってもいいけどな。おまえはどうだ?」
金色の機体は応えない。唇の端だけで微笑んで、カーランは座り慣れたシートに座った。
ピットの中にはかすかにヒュウガの香りが残っていた。
《了》 お庭。