獣のように這いつくばって、二人は体を重ねていた。体の中心の一点はずっと交わりあったまま。逃れるように這い進むと、抱き込んで逃がすまいと、相手も更に這い登ってくる。そうして二人はもう既にベッドから何メートルも離れた所にきてしまっている。荒い呼吸音が薄暗い部屋を熱く満たす。果てしなく続くかとさえ思われる、情熱。 意味のない言葉が口からこぼれる。それは本心とは正反対の拒絶の言葉だったり、意味の通じない哀願だったり、あるいはまた互いの名前だったりした。いずれにしろ、内容などどうでもよく発せられ、それは互いに重々承知しあっている。語尾は時々、曖昧な母音のまま長く流れた。そのまま引きつるように、しゃくりあげるように、息を飲み込む。 どうしてこんな行為でこんなに夢中になれるのか、いつも良く分からない。分からないとヒュウガが言うと、何でも分かろうとするのは傲慢だ、とカーランは言った。カーラン・ラムサスに「傲慢」という評価をもらうのは極めて難しい。彼は自分が偉そうな態度の人間であることをよく自覚していたし、そのことを別段悪いと思っていないので。…褒め言葉なのかもしれない。 生物なんて所詮DNAの奴隷ですよね…ヒュウガがそういうと、どうでもよさそうにカーランは眉をひそめる。女とやって言われるなら分かるがな…面倒臭そうに短くそう応え、俺達のあれに何か意味が欲しいのか?と尋ねる。いつもヒュウガは沈黙する。…なぜか傷付いたような気持ちで。 繋がったまま這いずり回ってついには悲鳴のような声を出しながら、部屋のどこかで沈没する。逃げ続けた体をぐるりと回すと、ハメているほうもハメられているほうも、目が回りそうな強烈な刺激。そんなことで死ぬわけもないのに、死んでしまうと甘く詰りあう。絡み付く足は体を締め上げ、向かい合った結合部分はより深くかみあう。なにか錯乱した気持ちのまま、愛の言葉をつぶやく。無造作に唇を割って男の指が舌を弄ぶ。その手にしがみついて、夢中で吸い上げ、飲み込み、咬む。唇の端から唾液が顎へとつたっていくのを、うっとり感じる。 淫らに腰は動き続けて、二人の体の間で首をもたげているものも揺れ続ける。同じ器官のもう一方は奥深くにささりこんだまま…そんな現状認識がさらに二人を酔い狂わせる。ふと口にした性器の名前が頭の後ろを痺れに変わってざあっと駆け上がり、細い悲鳴は啜り泣きにかわって、本当に涙が出て、腰を振りながら泣きじゃくりながら、何かをうわごとのようにつぶやきながら…。 魂をリセットする。
食事を済ませて明るい表通りをひそひそと密談しながら歩く。秘密の勉強会。 「…筋肉の質のせいで快楽が生じるという説があるんですけどね。関係ないと思うんですよ。だって女のアソコって中は神経がないわけだし…あ、つまりむしろ神経の問題じゃないかと思うわけで…。」 「…気持ちいいならそれでいいだろう。別に神経だろうが筋肉だろうが。」 「いいとか悪いじゃなくて、気になるんですよ。」 「実質的な問題としては…俺はおまえのおしゃぶり好きはどういう感覚なんだろうかってことのほうが気になる…」 「何が実質的なんですか?」 「…おまえがイかないときはどういうわけか口のなかをさぐると目がうっとりしてきて力が抜けてイきやすくなるんだ。…結婚したらカミさんに話すといいぞ。」 「私が舐めたがるとき拒まないでくれって?うわー、照れるなあ。とても女には言えません。」 「…女の方が言いやすいと思う。」 「…あなたはどこがいいの?ここ?」 「…よせ、こんな場所で…。」 ヒュウガは笑ってカーランを路地裏に引きずり込む。ついばむように首筋を吸うと、あごを捕らえられる。 「…とんでもない奴だ、お前は。」 「…ええ、貴方が思っているより、多分ずっととんでもないと思います。」 二人は唇を合わせ、舌を絡めあった。 「…甘い…」 熱のある溜息をついてカーランは呟く。 「…甘いんだ、ヒュウガ…ん…っ…」 その唇をふさぐように吸い付いて。 服の下で熱く濡れはじめ、猛る形に変化する部分を相手に強く押し付けて。 「…この近くにいい場所があります…行きましょう。」 なおも一度激しく口づけ合って。
埃に汚れた廃屋の隅でヒュウガは服を脱ぎ捨てる。若いからだはすんなりと伸びやかで、その膚はほんのりと色付き、滑らかだ。 「こういうとんでもないところで裸になるっていうだけでかなり楽しい。」 「俺は白いシーツの上のほうが好きだが。」 「ああ…白いシーツを皺にしたり、汚したりするのがいいんですよね貴方は…。」 ヒュウガは美しい裸体でからみつきながらカーランの服を一枚一枚剥いでゆく。 「…こんなに濡らして…カール。…あなただってイケナイ人ですよ…。」 ひざまづいて最後の一枚の上から、盛り上がって濡れたしみをつくるそこを優しく撫で回す。カーランは熱い溜息をつく。足のほうから這い上がったヒュウガの両手が下着の中へ潜り込み、奇妙な形をつくりながら中をじっくりまさぐる。 「…カール…」 「…早く脱がせろ。…あっ…」 後ろの蕾みをいじられて、カーランは思わず小さく声をたてる。 盛り上がる部分を布の上から舌が這う。 「ヒュウガ…」 息が上がる。 「ん…っ…ヒュウガ…ヒュウガ…ああ…あ…」 下着のわきから潜り込んだヒュウガの手はひっきりなしに淫らにうごめいている。後ろから前から下着の中を丹念に撫で回すうち、ついに中のものが、わきからとびだしてきた。 「…こんにちは…」 ヒュウガはその先端に話し掛けて、そっとキスした。 ビクッ、とふるえる白い体。 ヒュウガは満足そうに両手で下着をひろげ、そのままそっと脱がせた。 「…気持ちいい?…」 「…ああ…」 床に落ちた下着から足を踏み出して抜き、カーランは膝をついてヒュウガと目を合わせる。欲望に潤む二人の目。間近に視線がもつれあい…次の瞬間きつく目を閉じて口づけ合う。 「…カール…私の中に入って…出して…」 「何だ?…それ…」 「とぼけないで…」 「…ん…」 「…これ…。あなたのこれ…」 ヒュウガはカーランの手に自分の性器を握らせた。カーランはそれをこすりはじめる。 「あっ、あっ、違うカール…違…」 「どうするんだ…?」 「いれる…いれる、いれるの、中にいれるの。それで、白くて、濃いのを、ぴゅうって、出して…中に…」 「…こうか?」 カーランはヒュウガを仰向きに横たえた。ヒュウガの足の間を抜け出して、上にまたがり… 「あっ、違っ…、違うカール、イヤ、イヤああ、ああっ、あっ。」 自分の中にヒュウガを納めてしまい、ゆっくりヒュウガの上で腰を使う。 「…ん?…違う…?…ああ…イイな…これ…イイ、ヒュウガ…」 「イヤ…イヤ…出ちゃう…ああっ…カールやめて…やめて…ずるい…イヤん…」 「あ…ああ、あ…」 …背骨に沿って駆け上がる強い波に奪いさられて。 渦をまくように迸り、吹き出る情熱。 …ぐったりとなる二人。 ヒュウガの上気した顔に、白いものが一滴飛んでいた。 カーランはだるい手をのばして、それを拭う。
初めてヒュウガが部屋にやってきたとき、その目の表情に欲情した。女のような目だと思った。女のような、苦しみの果てに静かになってしまった目だと。 いつのころからか奪いあって暮らした。ヒュウガは当たり前のように悶え狂って見せ…その慣れたようすを不思議に思って問いただすと、ヒュウガはむしろイタズラっぽい笑顔で、言った。 わたし、男ばかりの兄弟の末っ子で…まあ、いろいろ知ってるんですよ。好きで知ったわけじゃないけれど…。なんか泣いちゃったりね…でも凄く興奮もして…泣いてるのにタチっぱなし。たらたら透明なのがとまんなくて…もう気持ちよくて…人間やめてましたね。終わったときには紫色になってね、大量に血が出てね…。その血に精液がどろどろまじってて…。男だけど妊娠しそうだったなあ。それから…。それから…。 ほんの少しの例外を除いて大抵はいつもつらかったけど、いつも不思議と興奮した、とヒュウガは言った。 セックス、好きですよ。ハイになるし、なんていうか、リセットするでしょ…あれがいい…。やっぱり合う相手と合わない相手とがいて、合う相手のときは恋人みたいにね…。ああ、この話すると勃っちゃうんですよね…。 話を聞きながら、カーランはそのとき、ヒュウガを奪っていた。 カールって変態ですねー、と言いながら…ヒュウガはその男の胸にしがみついて…激しく欲情していた。 …わかったふりをしてお手軽な同情をしたところでどうなるだろう。いつかぼろが出て、余計突き落とすだけだ。さらに暗い世界へ。快楽を貪る気力か残っているなら、ささやかなりとつきあうことこそ礼儀…そう思った。 シグルドがいるときは二人いっぺんにヒュウガのベッドに呼ばれる。シグルドもかなり修羅場を踏んでいる男だとヒュウガは言う。しかしシグルド自身に記憶がないので、本当のところはわからない。しなやかな黒い体を二人でしゃぶりつくす週末の夜は天国のような、地獄のような。とりあえずヒュウガふうに言うなら、人間はやめている。魔物のように、性愛にもつれる。 シグルドがいない夜は二人で過ごす。部屋は雄の匂いでむせかえり、何故か言葉だけはいやがるヒュウガをベッドからずりおちながら犯す。…「イヤ」に怯んで途中でやめようものなら、ヒュウガは鬼のようになって怒鳴り散らした。 「どうして気持ちいいんだろう…」 ヒュウガはうっとりと呟く。答を、誰が返せるだろう。
「粘膜というのは普通何層かある表皮組織を軽やかに省略したような作りで…だから痛点にしろ温点にしろ普通の皮膚より浅い所にあるわけで…だからつまり、なんにせよ感じやすいわけです。」 「…口の中の火傷はそのわりに痛くないが。」 「口の中は日々鍛えているからですよ。」 「他の粘膜とは別扱いなのか?そのわりにお前はキスが好きだな…」 真夜中の病院の待合室には二人きりだ。シグルドを担ぎこんだ直後の、絶望に似た暗い疲労感にうなだれる二人。もっと健康になってくれと頼むのはさすがに心無いとは思いながら、心の中では祈っている。ヒュウガは投げやりに笑い、静かに濃い息を吐く。 「…好き。フェラも好き。なんかちょうだい、カール。」 ベンチにかけたまま手をのばすヒュウガに、手を左右にふって見せるカーラン。 通路の奥から救急担当が現れる。 毎度のことなので毎度の指示。 追い帰される二人。 部屋に帰りたくなくても、帰る場所はあそこしかない。 「…シグルドがいないと何だか広くってね…こういうのを寂しいというのでしょうか…」 「…ゴキュウソクするか?2時間くらい。」 「…そうですね…色々欲しいし。…部屋でやると、あなたシーツ汚したがるし。」 「いろいろって何が欲しいんだ?」 「…全部。」 夜更けの町はひっそりしている。昔からソラリスにあるドリームメーカーという器械は、眠れない市民の脳波を誘導して快適な睡眠を提供してくれる。閉鎖的な社会に頻発するストレス性の疾患防止のために各家庭に配給されている…が、その実体は洗脳用の器械なので、ユーゲントの寮にはない。…普通の市民はみな安眠を賜っているのだ、支配されることと引き換えに。 器械のリラクゼーションより原始的なリセットを好む人間たちのためにロマンティックな門はひっそり開かれている。…マイナスイオンの柔らかな匂いの、小さな前庭。受け付けは器械がこなし、部屋のキーが転げ出て来る。肩を寄せて通路を歩く恋人たちの後ろ姿を見送り…熱帯魚の泳ぐ大きな水槽のわきをぬけて…割り当てられたドアを開ければ、割り当てられたベッドがある。 「…なんかこう、もっとのびのびやりたいものだなあ。」 「…道ッパタでヤリ出す奴がまださらに自由をのぞむんだから…まったく人間というのはな…」 「嫌いなんですよコソコソ布団かぶってハアハアやるの。おっきな声だって出ちゃうしまたがってお馬さんみたいにしたいし。立ったり座ったり寝転んだり逆さまになったり…はめたまま這い回ったりしたいの。」 「…たまにはベッドで真面目に正常位でやろう。」 「そんなつまんないの勃たない。」 いつも「無礼」はついても「慇懃」、と評価されているヒュウガの口調は、わがままな子供のそれになっている。 「お風呂でする。」 命令の勢いでそう言うヒュウガに、カーランは黙ってついていく。…あきれてるだけ、と一概に片付けられない奇妙な感情。…くすぐったい感覚。これが「かわいい」の魔力か…。 蒸気で霞む浅く広い湯舟は二人の緊張で冷えた体を温め、柔らかな泡に包まれてその膚はほぐれていく。花の甘い香りをたてて少しぬめる湯のなかで二人は抱きあい、上になったり下になったり、ぬめる体でもつれあった。肺を満たす甘い蒸気に酔いしれる。 「…して…カール…」 ヒュウガが子供のような口調で言う。 浅い湯舟にヒュウガは仰向きに横たえられる。立てた両膝のあいだにピンク色のものを立て…その後ろに、カーランが自分の体のプラグをさしこむ。泡のあいまにヒュウガの髪が広がり、そのまん中にとろんとしたヒュウガの顔が浮かび、カーランの体のそばに、泡の中からヒュウガのピンクいろの先端が顔をだしていた。 洗面台の小さなケースには薬がならんでいた。どれがどれかもわからないままオレンジ色の錠剤を選び、噛み砕く。そのまま二人、舌をもつれさせて、その痺れる味の薬を分かち合う。体がかっと熱くなり、極彩色の球体が視界を飛び回る。ガラス張りの浴室に木霊のように響くヒュウガの鳴き声。皮膚感覚が恐ろしいほど過敏になり、ほんの少し擦れあうお互いの体が強烈な快感を引き起こす。 「…粘膜が何だって…?ヒュウガ…っ、…体中それになったみたいだ…!!」 「…何この薬…あんん、んん、粘膜どころか体全部アレみたい!!…んーっ、んんっ、んんっ…!!…んんんっ!!」 ヒュウガの先端が精液を飛ばし、ゆっくりと沈んでいく。 「…っ…」 ヒュウガの中に、カーランも自分のそれを注ぎ込む。
時計はゆっくり進んでいる。 行為が1ラウンド終わっても、いつものような静けさがなく、二人はイライラ…というよりそわそわした感じで、なんとなく身を寄せあっていた。 「…ヤバイ薬なんじゃ…アレ。…なんか動悸が…」 「…こんなところにサービスで置いてあるんだ、市販品だろ。」 「でも…私達学校で変なものいろいろ服用してるから…複合効果がでてたりとか…」 「…怖いのか…?」 こく、こく、とヒュウガはうなづいた。 「…俺もちょっと怖い。」 心にもないことを言ってカーランはヒュウガの唇をふさぐ。…どうでもよかった。気持ち良くて死にそうだった。まだ欲しい、もっと、もっと、何度も。心臓も追い立てるように鼓動を刻んでいる。 ヒュウガはどうしたことかカーランの胸に抱き着いたきり離れようとしない。カーランはヒュウガの膝の下に腕をさしいれて、膝の上に抱き寄せた。 「…体洗ってやろうか、ヒュウガ。」 「…いや…」 裸の時のこいつのイヤは無視が順当。カーランはスポンジを手にとってたっぷりと泡立て、やわやわとヒュウガの体をこすってやった。 「…ああっ、あ…、ああっ…あ、あ、…あああ…」 思った通り絶え果てそうな声を上げて、カーランの膝の上でヒュウガは快楽に震えた。脚の指をきゅうきゅうに折り曲げて、尻をむずむずと動かす。カーランも心臓が物凄い勢いで打っていて、ヒュウガに奉仕する手がときおりわなないた。ただ普通に触れあっているだけで、大事な部分を愛撫されているような心地がする。ついに手がほどけてヒュウガは湯のなかに沈みそうになった。カーランはそれを抱えおこしやり、四つん這いにさせた。 「…しっかり立ってろよ。」 シャワーの温度を念入りに計って、その強い勢いで大量にふきでる湯を、ヒュウガの尻の割れ目にゆっくりかけてやる。…ゆびでその間をひろげて。 「あ、あ、あ、駄目、駄目、死んじゃうー、死んじゃうー、カール、カールううっ、はあん…ああ…ああん…」 穴を広げて中のほうも深く指を差し入れて抜き差しして洗うと、ヒュウガは穴をきゅっとすぼめて、カーランの指が出ていくのをひきとめようとする。 ピンクいろのものは前の方へぐっとつきでている。脚を少し開かせて、うしろから、丸い宝物の入っている皮の袋をそっと持ってシャワーにあててやる。ヒュウガは掠れた悲鳴をあげた。前に突き出ている部分を伝って温かい湯が大量に流れ落ちていく。 「ひ…い…あ…ん…」 ひざが挫けて、ヒュウガの尻はあわの中にとぷんと落ちた。 「…ヒュウガ…まだ大事なところを洗っていない…。あとで口に入れるかもしれないから…ちやんと…」 カーランも自分が何をいっているのかよくわからなくなっていた。 ヒュウガはしゃくりあげ始めながら、湯舟のふちによじのぼって腰掛けた。壁にもたれかかり、大きく脚を開く。色はピンクでももう十分にりっぱな性器が天に向かってぐっと首をあげている。カーランは手で泡をたて、丁寧にそれにぬりつけてやり、両手でやわやわと撫で回した。ヒュウガはときどきしゃくりあげながらもハアハアと興奮した息をつき、先端は透明なものをとろとろと出してかってに泡をながした。いい子だ、とそれに話し掛けながら、シャワーの首をひろって、そこにかけた。 「あーーーーっ!!」 ヒュウガは背を逸らせて足を浮かせた。カーランはヒュウガのそれをしっかり握って、執拗に先端にシャワーをかけた。そしてヒュウガの体がよじれるのを確かめながら、湯をかける角度をいくども変えた。 息も絶え絶えのヒュウガのこれ以上はなくキレイになった結合プラグ一式を満足してながめ、うすく茂ったヘアをシャワーですすいでやりながら、カーランは試しに自分の部品をはめこんでみる。…まるであつらえたようにぴったりとはまり、素晴らしい収縮率でぐいぐいとしめあげてきた。 バスタブのせんを抜いて精液のまざった湯を流し、かるくシャワーを浴びて、二人はベッドへ向かった。
どうやら本格的に薬がまわったのはその後だったらしい。とにかく目が覚めたときには二人とも浴室を出たあとのことを思い出せなくなっていた。朝日を見て仰天して遊び場を飛び出し、寮まで走った。 しらじらしくも明るくなった広い部屋で制服に着替えれば、まさかこんな御乱行を為しているとは万が一にも推測できない、若く礼儀正しい仕官候補生の出来上がり。少し寝不足の観こそあったが、落ち着いた目の色を無事保っている。合格。二人は朝食をとりに、カフェテリアへ。 「…なんか口の中がすごく傷だらけです。」 スープを口に含むなりヒュウガは眉をひそめる。 「…こっちは体中あざだらけだ。何やったんだかな…」 「…胃も変。…あの薬、絶対ヤバいですよ。」 「出るまえにシグルドの容態を聞いておくか。」 「…ねえカール、何か見ませんでした?」 カーランは極彩色の球体が飛び交う明るい視界を思い出した。 「…見たんですね?何を見ました?」 「…ヶバい水玉模様。」 「…だけ?」 「何見たんだ?」 「…」 ヒュウガは極めてまじめな顔でつぶやいた。 「…………世界。」 「…今おまえの周りに展開してるのも世界だと思うぞ。」 「…うーーん、そうですね…。そうだな…じゃあ、真実、かな。」 「…おまえをしてそう言わしめるものが見えたというなら、なかなか大した薬だ。」 「興味なさそうですね。」 「おれは今周りにあるものを見るだけで精一杯だ。」 「見たというか…極めて感覚的なものですけど…なんというか、自分は一体今まで何をしていたんだろう…と。何かこう…突然ピントが合ったというか…はっきりわかった…いや、違うな。見たんですよ。そう、みたんです。」 「…だから言うんだろ。」 「は?」 「覚醒剤。目のさめる薬、とな。…シグルドが言っていた。魔境だ、捨てる、と。」 「あれが魔境、ですか。」 「何度も見ると体に悪いからだろう。」 「…ああ、そりゃそうです。…依存症になるんじゃないかっても心配してたりします?」 「してる。」 「まあ優しい。嬉しいことです、カール。…でも、大丈夫ですよ。…怖くって…あの動悸とか…物凄く明るい視界とかが…。もうとてもじゃないけれど…。」 食べ終わった食器を流しに放り込み、自動販売機でドリンク剤を買う。 飲み終わった瓶のラベルのイラストを見つめてヒュウガが言う。 「…カール、ツチノコって、見たことあります?」 「…ない。」 「…ツチノコをみたことがなくてもドリンク剤は効く…。万事世界はそんなものかもしれない。…知らなければ、それですんでしまう。…あなたは知っていても、それで済ませようと言うのですね?」 「…今はそれどころじゃないからな。そのうち実力がついたら、重量級にも無差別にも挑む。まずは体重相応だ。」 「…我々に時間がたくさん残っていることを祈りましょう。」 ヒュウガは空き瓶をケースに戻す。 それからふと気がついた様子で、カーランを見上げた。 「…そういえば、今日戦闘テストの日ですよ。パラメーター低かったらドライブ打たれますけど、大丈夫でしょうか。複合トリップしたらイヤだな。」 「午後だから大丈夫じゃないか?」 「そうですよね。」 と、口では言ったものの、二人は黙ってもう一度自動販売機にカードをおしこみ、ミネラルウォーターを買った。 まだ少し時間があったので、朝日の明るいロビーの椅子でその水をごくごく飲んだ。 …いつかこういう明るい朝が、心の中にも来ればいいのに、と、思った。