*** 日向はふらりとエントランスを出たカーランを、雨の降りしきる路上でようやくつかまえた。
雨が降っているのに傘を忘れてくるほど、彼は打ちのめされていた。
そのカーランに傘を差し掛けながら、ようやく家まで辿り付いた時は、ふたりともずぶ濡れになっていた。
玄関になだれ込んで、その勢いのまま浴室に転がり込んだ。
日向は浴室を暖めながら、半ば放心状態のカーランの服を脱がせ、自分の服も脱いだ。
温かいシャワーで浴槽にお湯を溜めながら、冷えた体を温めていると、抜け殻のようだったカーランはわずかに落ち付いた様子で日向を見た。
「少し落ち付きましたか?」
「…うん」
カーランは腕を伸ばして日向の体を抱き締めると、自分の額を日向の額にぶつけた。そうして、悲しそうに笑った。
「悪い」
「かまいませんよ、ショック受けたんでしょ?」
そうなのかな、と言ってカーランは無理に笑った。
それが痛々しくて、日向は軽くキスをする。
「無理しなくていいです。見てたから、無理に話さなくても」
「…ああ、うん」
日向はカーランと園長の姿を、通路を挟んでロビーと向かいにある喫茶店で見ていた。言葉のやりとりこそ聞こえなかったが、カーランの表情が途中で抜け落ちるのを日向は見ていた。それから、彼はとても不機嫌な顔を作った。
それを見ていて、日向は確信したのだ。
彼がとても傷ついたことを。
カーランの攻撃的な表情は、傷ついた内面を隠すための仮面だ。
その証拠に、彼は今憔悴しきっている。茫然と自分の傷を眺め、途方に暮れている。
打ちひしがれたカーランの表情はひどく頼りなくて、日向は唇を噛みながら遮二無二彼を抱き締めた。まだ肌の下は冷えているようで、少しでも早く温めてやりたくて、腕に力を込める。
「…日向、痛い」
「嫌です」
「…どうして、お前が泣く?」
「あなたが泣かないかわりです」
「悲しいのに、涙が出ないんだ」
「だから私が代わりに泣いてるんです」
怪訝な表情のカーランに、日向は噛み付くようにキスをした。
おかしなことに何度キスをしても、体は反応しなかった。それを不思議に思いながらも十分に体を温めて、カーランと日向は浴室を出た。疲れたから少し寝る、といってカーランは大人しく寝室に引っ込み、日向は落ち付かない気分でリビングにいた。
相変わらず外は土砂降りで、室内も湿り気を帯びて冷えているように感じられた。時間の感覚を狂わせるような、白い薄い暗闇と雨の音。
そこへ、人工的な電子音が響いた。
弾かれたように日向は電話口へ駆け寄った。
「はい」
『日向君?』
「あ、園長先生ですか?」
『お元気?カーラン、帰ってる?』
「今帰って来て、お風呂に入って寝ちゃいましたけど』
一緒に行って帰ってきたことは秘密だ。日向は注意深く返答をする。
『そう…ちゃんと帰れたならいいわ。あの子、雨なのに傘忘れて行ってしまうんですもの』
「ええ、ずぶ濡れでした」
『…ねえ、日向君。カーランを見ていてあげてね』
「え?」
『あの子、とても悩んでいると思うのね。傷ついているとも思うの。ずっと会いたがってた『足長さん』のイメージとはかけ離れた人だったから、イメージが壊れた分だけ、ダメージは大きいと思うのよ』
「…ああ、そうなんですか。すごくへこんでたのは、そういうことだったんですね」
『あらそう?やっぱり?…私もあんな人だとは思わなかったのよね。でも自分の会社に来てくれって言うわけよ。お金を出していたのは先行投資だからって言って』
「…先行投資って、それじゃ物扱いじゃないですか」
『そうよ。だから私も憤慨したんだけど。カーラン、それで落ち込んじゃってるんだと思うのよね。まあ断ったことだし、もう会わないとは思うんだけど、まったく大企業のお偉方って何考えてるかわからないわね』
「…先生、ちなみにどこの会社か聞いていいですか」
園長が会社名を言った瞬間、日向はうなった。就職活動で悲鳴を上げている大学の先輩なんぞにばれたら、吊るし上げくらいでは済まないだろう。「先生、それ超一流です…」
『あら、そうなの?そういえばアメリカで働きながらナントカって資格を取りなさいって、そういうことも言ってたわね』
「…アメリカ?」
『そう。本社が向こうなんですって。でもまあ、彼にとっては全然魅力がなかったのね。カーランは今の生活変える気は無いって言ってたから』
「…それって、私のせいだったりします?」
恐る恐る尋ねると、電話の向こうで園長は笑った。
『そうじゃないと思うわ。カーランにはね、アメリカとか超一流企業っていう肩書きより、日向君との暮らしの方が大事だったって事よ。それに私もカーランと日向君、はなれないほうがいいと思うの、しばらくは』
「…はあ」
『あの子、ずっとひとりだったでしょう?でも日向君と一緒にいるようになって、ずいぶん表情が明るくなったのね。たぶんね、今カーランに必要なのは、離れた場所で待っていてくれる人じゃなくって、一緒にいてくれる人だと思うのね。だからカーランが自立して、安心して外に出ていけるようになるまでは、悪いけどあの子に付き合ってあげてちょうだい。図体でかいくせに甘えん坊で、鬱陶しいかもしれないけど』
日向はふと微笑んだ。園長はさすがにわかっている。
カーランが精神的に日向に依存していることも、その状態の今、彼を無理に日向から引き離せば彼が破綻してしまう危険性も。
体と年齢は大人でも、中身はまだ不安定な子供のままだということも。
「そんなことないですよ。私末っ子だから、ずっと弟欲しかったんです」
『そうなの?カーランを可愛がってあげてね。臆病で不器用だけど、根はいい子だから』
「ええ、わかってます」
『じゃあ、また電話するわね、今度はカーランが起きてる時間に』
「はい、お待ちしてます」
電話を切り、日向はその足で寝室に向かった。窓には既にカーテンがかかっていた。
低い雲が垂れ込めて作る曖昧なほの暗い闇は密度を増していた。かわりに窓を叩く雨の音は、少し遠ざかっている。
日向はベッドを回り込んでカーランの顔を覗き込み、潤んだ金茶色の目とぶつかった。
その途端、ほとんど衝動的に日向はカーランに口づけた。
カーランの唇はかさかさに乾いていた。その唇で、彼は掠れた声を出した。
「…日向」
「はい」
「俺が、好きか?」
「ええ」
日向は少し面食らいながら頷いた。
今まで一度だって、好きだとか愛しているだとか…そういう言葉は欲しがらなかったのに。
「…好きですよ、カール。言ってしまうと陳腐ですけれど」
「それでも、言って欲しい時だってあるんだ」
「…そうですね」
「嘘でも、言って欲しい時だってあるんだ」
そう言いながらカーランは顔を伏せ、布団の中で丸くなった。
名前も顔も知らなかったあの頃、何か新しい物を園長が渡してくれるたびに、自分は愛されているのだと思ってきた。それらが愛情に満ちた贈り物ではなかったことを知って、カーランは突然放り出されたような気分になったのだ。
「…好きでないのなら、優しくしないで欲しかった」
呟く声に、日向が布団の上からカーランを抱き締める。優しく、しかしはっきりとわかる力で。
「じゃあ好きならめいっぱい、優しくしてもイイ?」
もぞりと布団が少し上がって、カーランが怪訝そうに日向を見上げた。
「ん?なんですか、カール」
「…勿体無いって、言うのかと思った」
「どうして?」
「就職するのなんか、ホントは大変なんだろう?」
「そうですね。でも、好きじゃない会社で働くほど不幸もありませんよ。私はあなたが不幸になるのは耐えられません」
「…なんでだ?」
「あなたを好きだからですよ」
カーランは一瞬きょとんとし、それからようやくかすかに笑った。
布団からゆっくり腕を伸ばし、日向の肩をつかんで引き寄せる。
重ねた唇は塩の味がした。*** 次の週末は良く晴れあがった。
日向が洗濯物を干していると、カーランが出掛ける格好でリビングに出てきた。
「あれ。どこか行くんですか?」
「ちょっと」
「?はあ…すぐ帰ってきます?」
「うん」
自転車の鍵をつかむと、カーランはそそくさと家を出ていった。
日向が洗濯物を干し終わって、掃除機でもかけようかと犬猫を追い立てていると、もうカーランが帰って来た。いやに早い帰宅に、日向は玄関先まで顔を出す。
「おかえりなさい…って、なんですかその花?」
「おまえにだ」
「へ?」
ひと抱えもある花束を受け取り、日向はぱちぱちとまばたきを繰り返した。
「なんか…プロポーズみたいですね」
「…そのつもりだったんだ」
「は?」
呆気に取られる日向の前で、カーランは困ったように頭を掻く。
「…こういう気持ちってのは、モノとか言葉とかでは縛れないのわかってるんだけど…でも、無いよりはあったほうがいいのかもしれないって、こないだ思ったから」
そう言って、カーランは茫然と立っている日向の手に、慣れない手つきでプラチナのデザインリングを嵌めた。
サイズ違いで同じデザインの物が、すでにカーランの指には嵌めてある。
「気が早いか?」
「…いえ。ちょっとびっくりしましたけど…ありがとうございます」
照れ笑いを浮かべる日向にキスをし、カーランは花束ごと日向を抱き締めた。
「…日向、昼間から難なんだが」
「はい?」
「…してもいいか」
一瞬呆気に取られた日向は、苦笑しながら頷いた。
「ええ、どうぞ」
精神的なショックが大きかったせいか、ここ一週間カーランは完全に沈没していた。キス以上のスキンシップがなかったせいで、日向の方もそれなりにたまっている。カーランが腕に力を込め掛けた瞬間、日向はカーランの胸を押して腕のいましめを解いた。
「そのかわり!掃除済ませてからにしましょうね。どうせ長丁場になりそうだから」
「…おい」
「というわけで、カールは風呂場の掃除をお願いしますね。私、リビング掃除して来ますから」
確かにプロポーズをしたはずなのだが、うまくはぐらかされたような気がする。
あとでちゃんと聞いてみることにしよう…体に。
そんなことを考えながら、カーランは苦笑しつつ浴室へ向かった。《了》
===ペントハウスもこれで十話目でした。19raさん拾ってくれてありがとう。
===とうとう落ちるトコまで落ちちゃいましたが、続きがあったらヨロシクね。
2001年秋のペントハウス有難うございますv すごいなあ10本目ですね〜。いっぱい増えてとっても嬉しいのにゃv
秋の気配たっぷりv 泣き泣きのカーランくんが超絶ラヴリーなのにゃvv日向くんがとっても優しいのにゃvvうふvvうにゃふたりはきっとタヒチへ行って満月の月明かりの下で結婚式をあげるのもにょ...v(月明かりと夜舞う小鳥たちが二人をしゅくふくするのもにょ...笑。)
カーランくん、もしおじさんになるまで聞達していたらきっとお店をついで支店長もにょ!...笑。お店の中でジェスの子孫をきっと5匹くらい飼っているにゃ。子犬の貰い手いつも募集中なのにゃ!
今回のげすとはとっても豪華もにょ! このまま諦めるか御大は...笑?いやきっと今後もお嫁さんを用意しようとしたり、留学させようとしたり、きっといろいろいろいろ働きかけてくるのにゃ...笑。でも奥さんが誰なのかがきになるのにゃ! 施設の名前は奥さんの名前もにょ...?
ところで日向くん同居のことは院長先生公認だったのにゃ! カーランくんは紹介するとききっとドキドキだったのにゃ!...笑。紹介が無事すんだ日はそのあときっと御機嫌で日向くんをくまたんのようにだっこしていたりしたのかもしれないもにょv そしてきっとなんとなくわいんを買ってお祝したもにょ。
続きはいつでも歓迎なのにゃ〜vゼノギアス死すともペントハウスは死なずなのにゃv19ra.