4月は何かと忙しい。
日向が家に着いたのは、もう午前零時を回っていた。
新歓コンパなどと言うのは名目で、ヤツらは飲んで騒ぎたいだけなのだ。
なんとか抜け出してこの時間だから、最後までいたら確実に朝帰りになっただろう。だいぶ飲んだはずなのだが、酔いは帰りの電車で揺られているうちに抜けてしまった。
朝の早いカーランは普段ならもう眠ってしまっている時刻。
そーっと玄関を開けると、上がり口の所で黒い塊がむっくり起き上がり、低い声で短く唸った。まるで遅い帰宅を責められたようで、日向は苦笑する。
「ごめんね、ジェス」
片手を上げて謝ると、黒い犬は赤い口をあけて豪快にあくびをし、ふいとリビングの方へ戻っていった。どうやら帰ってくるのを待っていたらしい。
日向は靴を脱ぐと、音を立てないように廊下を歩いた。
顔を洗って、軽くシャワーを浴びて…なんとか隣に潜り込めるといいな。
そう思って寝室の前を通りすぎようとした時だった。
ぴたりと日向は足を止め、閉じた寝室のドアを見やった。
…何か、声がする。
短く喘ぐような声。
ゆっくりとドアを押し、細い隙間を作る。
このドアを開けると、ほぼ正面にベッドが見えることは良く知っている。
ベッドはドアから見て右側の壁にくっつけてあるので、やや右寄り。
寝室は、わずかに明るかった。
ベッドサイドのスタンドが点いている。
青い蝶の…なんだか妙に高価かったランプだ。
ほのかに青い光の中に、目を閉じて顔を仰のけたカーランの横顔があった。
壁に背を預け、天井を見上げるようにして、ベッドに座っている。
綺麗な体のラインが浮き上がって見えた…全裸だ。
眉を寄せて目を閉じたその横顔は、何か深遠な理論に苦悩している数学者めいて見えたが、軽く半開きになった唇から洩れているのは、間違いなく快楽の喘ぎだった。
彼の腕がどこに伸ばされ、その大きな手が何をどうしているのか、日向には一瞬でわかった。
苦しむように閉じた目と眉の艶っぽさも、唇の間から時折のぞく濡れた舌の淫らさも、何度も見て知っているはずなのに、日向はごくりと生唾を飲み込んだ。
「ん…んっ、あっ」
鼻声で喘いだカーランが、躊躇いがちに目をあけて手をゆっくり持ち上げ、自分の手の指を舌先でつつきながら咥え込む。
「…うわ」
押し殺した声で日向は呟き、股間を押さえて前屈みになる。すぐ入っていって押し倒してもいいのだが…もう少し見ていることにする。
カーランはごろりとベッドに伏せり、両肩と膝をついて腰を上げる。
薄暗いせいで影が落ちているものの、蛍光灯でもついていたら日向の場所からちょうど丸見えになる角度だ。
その下…ひらいた足の間から、カーランの手が伸びてくる。
濡らした指先が探るように影の中を行き来し、つっと一箇所に潜り込む。
「…く、あッ……は……ん、ん」
出入りする指が立てるちゅぷちゅぷいう音と、喘ぐカーランの声とが日向の耳と下半身に響く。
「あっ…、あ…ひゅう…んんっ」
甘い声で呼ばれたのが限界だった。
日向はめいっぱい膝に力を入れて立ち上がり、ドアを押し開けた。
「呼びましたか、カール?」
「……ひゅ…!」
がばっと顔を上げたカーランは、その直後再びうずくまった。
彼の体の下で黒いシーツに白い液体が飛び散ったのを、日向は鼻で確認する。
「…もう、寝ちゃってると思って、静かに帰ってきたのに」
うずくまったままのカーランに覆い被さるように、日向は抱き付く。
「なのになあ…あんな顔見せられて、あんな声聞かされちゃ、黙って寝れませんよ…」
腕を体の下に伸ばして胸に触れると、カーランはびくりと震えた。
「…見て」
「一瞬女でも連れ込んでるのかと思って、覗いたんです。…自家発電で良かったですけど…なんで言わないんです、たまってるとかしたいとか」
「……忙しいんだろう、おまえ」
「え?」
「こないだだって飯食わずに寝ちまったし…だるそうにしてるし…」
「私を気遣って?」
かすかに首肯するカーランを、日向はぎゅっと抱き締める。
「カール…我慢なんかしなくていいですよ。私だってヤな時はちゃんとヤだって言いますから」
「じゃあ」
「じゃあ?」
「…そこで堅くなってるのを俺に寄越せ、日向」
抱き締めた体の下から挑むような目で見詰められ、日向は微笑んだ。
「出勤時間いっぱいまで使っていい?」
「いい…だから、早く」
日向の腕の中で体の向きを変えたカーランは、まだジャケットを着たままの日向に四肢を絡めた。
…本当にめいっぱいまでされるとは思わなかった。
重苦しい腰をさすりながら、カーランは重いペダルを踏み込む。
細ッこく見えて、あれで実は相当体力があるのだ、日向は。まだ足りなさそうな顔をしていたから、帰ってからが思いやられたが、たぶん午後までは寝ているだろう。
ふと目についた桜の木を見上げ、今年は日向と花見に行こうと思う。去年はなんだかんだで行かないうちに葉桜になってしまったから。
どこに行こうかと考えて、ほとんど反射的にカーランはひとつの風景を思い出していた。
それは、夜目にも白い、桜の花。
わずかに歪んでいる十六夜の月。
その白い光を浴びて、満開の花を重そうに掲げた大きな桜の木。
その足元に整然と広がる、冷たい石の列…あれは墓地だ。
冷たい石のどれか下には、父と母が眠っているはずだった。
…行くのか、あそこへ。日向を連れて。
気が引けた。
しかし、行かないといけない気もした。
最後に行ったのは、中学を卒業した時だ。
施設も同時に「卒業」だった彼は、ひとりで生きて行くためにあの場所に行った。
今度は、日向と一緒に生きて行くためだ…と思う。
体だって心だって、日向がいなければ半分無くなったようなものだ。
けれど、一生そうしていられるかはわからない。
わからない。
…それでも、いける限りは一緒に生きて行きたいから。
カーランはその墓地に行くことに決めた。
頭上の桜は、五分咲きになっていた。
カーランが帰って朝食を作っていると、日向が起きてきた。着る服がなかったのか、昨日脱ぎ捨てたシャツだけ羽織ってぺたぺた浴室に行き、しばらくシャワーを浴びた後、ようやく目が覚めたといった顔で出てきて「あ、おかえりなさい」と言った。
「今日は休みか?」
「ええ」
朝食を食べながら花見に行こうかと言うと、日向は子供みたいに喜んだ。
「…行き先は墓地だけどな」
「桜が綺麗なのは墓地って、相場でしょ」
「そうなのか?」
「『桜の木の下には死体が埋まっている!』って」
「…俺はそれより安吾のが好きだな」
「ああ、『桜の森の満開の下』。…おんぶしてみます?」
「嫌だ」
「冗談ですよ」
「じゃあ、土曜の夜行こう」
「りょーかい」
カーランはひとつあくびをして、席を立つ。
「…眠いですか」
「寝てないからな」
「洗濯とか掃除とかやっときますから、寝ててください。そのかわり夜はまた遊んでくださいね?」
「…絶倫かおまえ?」
「それはカールでしょ」
さらりと返されて、カーランは口を閉じる。やりたいという方が絶倫なら、その相手もまた何をか言わんや…だ。
イタズラだけはしないでほしいと思いながら、和室のコタツに潜り込んだ。
足元でにゃーッと抗議する声が上がって、布団の中からのそのそシグルドが出てくる。その体を抱き込んで、カーランは目を閉じた。
抱え込まれてじたじたしていたシグルドは、しばらくしてようやくカーランの腕から逃げ出した。しかしその頃とっくにカーランは眠りに落ちていて、逃げ出すついでに顔を踏まれたことにも気づかなかった。
+++
土曜の夕方、カーランはどこかに出かけていって、戻った時には車のキーを持っていた。
「…どうしたんです、それ?」
「借りてきた。いくら近場でも夜中自転車だと職務質問される」
「…ていうかカール…免許?」
「持ってる。身分証がわりに。しばらく乗ってなかったけど」
「今度はドライブ連れてってくださいねー」
カーランはちょっと黙って、「…そのうちな」と言った。
早めの夕食を食べてしまってから、二人は家を出た。
カーランが借りてきたのはごつい4WDで、「…山でも行くんですか」と日向が聞いたほどだった。
「…車高の高い車が好きなんだ」
「ああ、気持ちは分かります」
しばらく乗ってないと言いつつ、カーランは手際よく車を発進させた。運転が荒いとか、乗ったら性格が変わるとか、そういうこともなさそうだった。
「どこ、行くんですか?」
「…墓場」
「だから、どこの?」
「…住所は知らない。もう…5年前に行ったきりなんだ」
「……」
日向は驚いたものの、「大丈夫ですか?」とは聞かなかった。
大家族の中で育った日向は人のあしらい方を知っている。
わざわざこんな狭い車内でふたりきりなのに、ケンカすることなんかない。
聞いたらきっと意地になってしまうから。
…オトメゴコロもわからないが、オトコゴコロだって難しいのだ。
車は…順調に走っているようだった。少なくとも日向にはそう思えた。
迷ったり地図を見たりしないあたりがカーランだ。
同じ風景を見ていないから、同じ場所をぐるぐるしていることはなさそうだ。
車窓から見える月の位置が、少し高くなったように見えてきた頃。
「…ああ、もうちょっとだ」
「良かった」
ほっとしていると、カーランは駐車場らしきスペースに車を回し入れ、適当な場所に止めた。
「もう着いたんですか?」
「ああ。こっから歩き」
車を降りると、少しひんやりしていた。
街中と違って木がたくさんあるせいか、回りが畑のせいかは、わからない。
「少し冷えますね」
「うん?そうか?」
「寒くない?」
「俺は別に…」
そう言いながら、カーランは日向の体を片腕で抱く。
「え」
「どうせ誰もいないし」
「……そー…ですね」
外で肩を抱かれたり、抱き寄せられたりするのは初めてで、日向はなんとなく顔を伏せる。
どうせ街灯など無いに等しいのだから、顔の細かい表情は見えないのだけれど。
「行くぞ」
「はーい」
まるでごく普通の恋人同士のように歩き始めてまもなく。
本堂らしき建物の裏に、その木はあった。
みっしりと重そうに花をつけた桜。
緩い斜面に整然と並んだ墓石。
カーランは日向の背中を抱えるように抱き締め、木を見上げた。
「…まだ満開じゃあないな」
「私はこれくらいが好きだなー。満開だと後散るだけで、寂しいでしょ?」
「そうか?」
「ええ。なによりカールと一緒に来れただけでうれしいです」
首をねじってそう言うと、なんだかカーランは一瞬泣きそうな顔をした。
「カール?」
尋ねる唇を塞がれる。
「…ん、んんんっ」
舌を引っこ抜かれるんじゃないかと思って、あわてて日向は顔を離す。カーランの手が胸やら脇腹やら股間やら、弱い場所を探ってくる。くすぐったいのと感じそうなのとで体を折ると、背中を抱え込んだカーランの状態が服越しにわかってしまった。
「ちょっと…だめ、カール…こんな、外」
「誰も来やしない」
「でも…あっ」
カーランは日向の脚の間に脚を割り込ませる。ゆっくりと日向の上体を胸にもたれさせ、仰向いた顔を覗き込む。
黒い目は困惑していて、それでいて濡れたような光を湛えていた。
日向は日向で、潤んだ金茶色の目をしたカーランの顔と、白い桜の花を視界に納めていた。
「いいだろ?」
「…しないと帰してくんないんでしょ?」
「そうだな」
「じゃあ、人が来ないうちに」
カーランは苦笑して、日向の首筋に唇を落とした。
ジーンズと下着を脱がせると、日向は「寒い…」といってカーランにかじりついた。
いくら花の頃とは言え、裸で過ごせる気温ではない。まして夜だ。
カーランは日向の背を桜の幹に押し付けた。寒いと言った脚を抱えるようにして、日向の黒い茂みに顔を埋める。
「ん…あ」
喉を反らせて、日向は甘い声を上げる。
見なくても、わかる。カーランの手に握られ、口付けられている部分がどんな愛撫を受けているか。
親指の腹で裏側を擦り上げられているのも、袋の方を舌先でつつかれるのも、指が奥の入口をゆっくりと押し開くのも。
「い…ッ」
乾いた指先は敏感な部分に痛みを感じさせ、びくりと日向は腰を浮かせた。
「痛かったか?」
「ちょっと…」
「すまん」
カーランは指を引き戻し、日向の先走りで濡れた先端に指を絡めた。そうしてから、再び日向の中に指を差し入れる。
「…あ、うう…ん」
「痛くないだろう?」
「ええ…あ、やだ、そこ…ッ」
日向はカーランの顔に股間を押し付けるようにして体を捩った。後ろを指で弄ったまま、押しつけられたモノをカーランは口に含む。
「うー…だめ、カール……」
前と後ろからの刺激に、日向は膝を震わせる。脚を抱えられているから倒れることはないが、まるで下半身に意志が届かない。上体を折り、カーランの頭を抱えるようにして、すすり泣くような声を上げる。
「…んうッ、ん、んー…ッ!」
奥の一点を爪の先が弾いた。
その瞬間に体は臨界点を越えた。
カーランは日向を抱えて支え、日向の腕を肩に回させた。乱れた呼吸を繰り返す唇をふさいで、黒い髪をさらさらと撫でる。
日向は怯えたようにカーランの肩に頬を摺り寄せ、まだ後ろでカーランの指が与える快楽に震えていた。
「…日向」
カーランはつと指を抜き取り、日向の脚をゆっくりと持ち上げる。
ほぐれた入口に猛ったカーランが押し当てられて、日向は彼の意図を知る。
「…アダルトビデオの見過ぎですよ…」
そう耳元で呟いて、カーランの肩にしがみつく。
ぬぷりと入ってきた固い塊に体をひらきながら、日向は熱い息を吐いた。
反対側の脚も抱え上げられ、更に奥まで突き込まれる。
「あ、ああッ」
「ん…日向」
体を揺すられるたびに、その振動が背中から桜の幹に伝わる。
木はその揺れを音も無く梢に伝え…睦み合う彼らの頭上からは、はらはらと白い花の雪が降った。
「あ、あう…ん、カール、カール…っ」
日向はカーランのシャツを引き裂かんばかりに爪を立て、広い肩に噛み付いた。そうしなければ気が狂ってしまいそうだった。
きりきりと肩を噛むのと同じくらいの痛みで締めつけられ、カーランは日向の体を抱きしめた。腹部に触れる日向のソレが、再びどくどくと脈打ち、熱くなっているのを感じる。
日向は肩に噛み付いたり、額を擦り付けたり、もうどうしたらいいのかわからないといったふうに乱れている。
「、は…、あ、くうッ…」
「痛…ッつ…!」
どくん、と日向が弾けた瞬間、カーランは食いちぎられそうな痛みを感じて、ほぼ同時に達した。
+++
その後、二人は桜の下でぼんやりと花を見た。
単にだるくて動きたくなかっただけなのだが、火照った体が春の夜気の中で徐々に冷えて行くのは心地よかった。
「…来年も連れてきてくれますか?」
カーランの膝の上に乗ったまま、日向は言った。カーランが服を着せてくれたが、地面の上に座ると腰が痛かったのでカーランの足の上に座り込んだのだ。
「来たいか?」
「ええ…」
「わかった」
「…しッかし、ご両親のお墓がある場所でこういうことするかな…」
「いつもより乱れてた奴が何を言う」
「色情霊でも憑いたんですよ」
「馬鹿言え」
くすくすと笑って、日向はカーランに抱き付く。暖かい大きな体。その肩に、白い花びらが一枚乗っている。ふっと息を吹きかけてその花びらを飛ばし、日向はぽつりと言った。
「…こないだ…カールが一人で遊んでた時、いっそのこと結婚しちゃおうかと思ったんですよ」
いきなりの言葉に、カーランはどきりとする。
「誰と…?」
「誰って、カールと。でもそうすると養子縁組だから、親子になっちゃうんですよね。それじゃヤだなあって思って、してないんですけど」
「…脅かすな」
「え?」
「別に女でもいるのかと思っただろう!」
「まさかー。だってこないだのカールは…あんまり綺麗で、かわいくて、できることならあのままカゴか水槽に入れて封印しちゃいたいくらい…」
「…日向」
思い出すなと言うように、カーランは日向の頭をがしっと抱く。
「…だからね、カール。…春はここにお花見に来て、夏は花火見て、あとどこでもいいから旅行に行って、秋は…いろいろ忙しいかもしれないけど紅葉とか見たいです。冬になったら家でお鍋食べたりこたつでみかん食べたり…そういうの、毎年したいんです、カールと。駄目ですかね?」
「駄目なわけない」
「本当ですか?来年とか再来年になって『やっぱやめた』とか言うの、無しですよ?」
「おまえこそ…」
唇を合わせようとした途端、日向はカーランの顔を手で押さえ、横を向いてひとつくしゃみをした。すん、と鼻をすすり上げて、お預けを食らったようなカーランに苦笑する。
「…もう、帰りません?」
「…そうだな」
立ち上がった日向はとんとんと腰をたたき、カーランと手をつないだ。
カーランはふと振りかえり、白い花と物言わぬ墓地を見渡した。
記憶の中のこの場所は、何か悲壮な雰囲気を持っていた。
それが、今はない。
…要は気の持ちよう、なのか。
「カール」
足を止めたカーランの袖を、日向が引っ張る。カーランはわずかに笑って、歩き始めた。
前を歩く日向の揺れた黒髪の間から、白い花びらが一枚、はらりと夜気の中に散った。
《了》
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