冬の花火・3


 気だるい体を湯の中で伸ばす。日向にさんざん酷く揺すられたせいで、背中と後頭部が鈍く重い痛みを持っている。
 先に上がった日向はリビングの惨状を見たのだろう。わざわざ一度浴室まで戻ってきて文句を言い、また戻って行った。
 …今頃、掃除をしているかもしれない。

 ほっとしたのだ…と日向は言った。
「すごく不謹慎ですけど…家が全部燃えてしまって…親も兄弟も…死んでしまって…たしかに悲しいのに、心の何処かではほっとしてたんです。何にも無くなってしまって、ほっとするなんて…贅沢で不謹慎この上ないのでしょうけれど」
 上の兄二人とは半分だけしか血が繋がってないのだとも言った。
 「私の母は、父にとっては五番目の妻なんです。兄とは年も十以上離れてて、私が中学生の頃には一番上の兄は結婚して独立しましたし…今になってその兄の世話になるのも変な感じで。だから、しばらくここに置いてくれませんか?」
 「しばらく…?」
 「ええ、バイトと借りる家が決まるまで、しばらく。私、大学はなんとか推薦決まってますので…自活するいい機会でしょう?」
 「別に探さなくても、ここに住めばいいだろう」
 「駄目。あなたは優しいから」
 そうカーランの耳元に囁いて、ぱしゃりと日向は立ち上がった。
 「、日向」
 「同床異夢なんですよ、私達。…でも時々、来てもいいですよね…?今までみたく」
 「当たり前だ」
 日向は濡れた髪をかきあげて笑った。
 寂しそうに。

 カーランが浴室から出てリビングに行くと、疲れきった顔の日向が出迎えた。やはり掃除をしていたらしく、足の踏み場もなかったリビングが歩ける程度には回復している。
 キッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出してから、カーランは日向の傍まで行った。
 「片付ける気力がないなら、見境無く物を投げるのはやめましょうね」
 「…うん」
 窓の外からは黄昏の光が差し込んでいる。
 柔らかい黄色の光を受けて、カーランの洗い髪が一層綺麗に染まるのを日向は目を細めて見、引き寄せられるように唇を合わせた。
 「ん…」
 日向の腰に腕を回し、唇をわずかに離してカーランは尋ねた。
 「…しても、いいか?」
 「そうですねえ…ベッドなら。使えます?」
 「あっちはずっと使ってない…一人で寝るには、広すぎるから」
 カーランはそう言って、空いた手で日向の腰を抱いたまま寝室に向かった。 

  黒いシーツの上で白い体を重ねる。 カーランはことさら丁寧に日向の体をまさぐった。それこそ髪の一本ずつにキスを繰り返すような丹念さで。
 焦れた日向が足先で探って見れば、カーランが決してやる気がないわけじゃないのはすぐに知れた。
 「…足で触るな」
 「こんなにしといて、しないんですか?」 
 「勿体無い」
 「は?」
 「おまえは…もう来ないと思ってた。自分のことで手一杯だろうから、俺にかまう時間なんかできないと思って…けど、思っても納得できるわけじゃない…」
 「でも、来ましたよ?」
 「ああ、だからさ…ちゃんと確かめたいから…十分時間をかけてしてやる」

 最後の言葉で日向の意識から甘いものがすっと抜ける。
 持久力は五分でも体力はカーランの方が上。毎日自転車での新聞配達は、ああ見えて結構な運動量だ。週一度の体育と、日課だった竹刀の素振り程度では、適うはずがない。
 ベッドサイドに置いてある時計は…まだ午後4時を回ったばかりだ。
 「…あの、カール…こっちの体力考えてます?」 
 「さあ、な?」
 至極楽しそうにカーランは言い、湯上りのせいばかりではない熱い体を日向に押し付けた。
 「…こんなことなら、さっきもうちょっと頑張っておけば良かったな…」
 「試験か何かか、俺は…」
 「だって結果的に自分に返って来るんですよ?ああ、失敗した!」
 何か仕返しでもしてくるのかと思いきや、日向はそれだけ言って体を投げ出した。
 「…?日向…?」
 「次をお楽しみに、カール」
 日向はにっこりと笑ってカーランの顎を撫で上げた。

 …まだ暗いうちに、カーランは起き出した。
 午前2時。いつも目を覚ます時間だ。
夕食も摂らずに深夜まで日向と戯れていたせいで、空腹感がひどい。隣の日向はといえば、まだ死んだように眠っている。 まるで意味のない耐久レースだったなと思い返しながら、カーランは暗い室内をキッチンに向かった。結局2週間分のもやもやをぶつけ合っただけだった。歩くとわずかに腰が軋む。日向の体が少し気になった。

 電子レンジでレトルトのミネストローネを温めていると、気配を感じて起きてきたらしい動物達が揃って顔を出し、各々が彼の足元にまとわりついた。
 「…あ、すまん」
 主人が夕方から寝室にこもってしまったせいで、彼らは夕飯を食べ損ねたのだ。 慌てて犬缶と猫缶をあけてやると、彼らは猛然と食事を摂り、水を補給してそれぞれの寝床に帰っていった。
 「…日向は、飼えないよな…」
 本当はそうしたかったのだ。家に置いて、一緒に暮らしたかった。
 それを彼は拒絶した。
 「あなたは優しいから」と言って寂しそうに笑うことで。
 一緒に生活して家族みたいになってしまったら、それはそれで心地よいのだろうけれど、続かなくなった時が辛いから。だったら最初から踏みこむことなく、その場限りの「心地よさ」だけを味わいたい。お互いの生活があるのだからと、理由をつけて。
 ズルイのかもしれない。それでも、傷つくなら傷は浅い方がいいと、日向は判断したのだろう。

 ふやけたマカロニの浮かんだミネストローネをひとりで啜り、カーランは手早く身支度をすると、そっと暗い玄関を出ていった。それが、今の彼の生活だったから。

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