カーニバル・キャラバン


「移動式遊園地?」
 カーラン・ラムサスは少し眉をひそめた。
 ミァンは答えた。
「はい。毎年許可しているようです。祭りの3日間だけアヴェの城門の外に滞在して、テントを張って営業するそうです。…サーカス、の機械版です。…ええと、遊具は10種類で、観覧車、回転木馬、コースター、回転茶碗、遠心グライダー…ここに画像データがついています。申請があがってきていますが…許可してしまってよろしかったでしょうか。」
「なんだってそんなもの、地上で許可をださずに本国に上げて来たんだ?…なにか問題でも…?」
「??何故でしょう??」
「連絡してみよう。」
 カーランは資料を受け取って開きながら、地上に通信を入れた。
 …なんのことはない、子供向けの巡回遊具施設だ。サーカスの機械版、というミァンの表現は当たっている。
「…カーラン・ラムサスだ。移動式遊園地の滞在許可について申請をあげてきたのは誰だ。すぐかわれ。」
 機械的な早口で通話口にそう吹き込むと、一瞬の間があったのち、なんの返事もなしに電話がぷつりと切り替わった。
「…?」
 カーランが眉をひそめたとき、明らかにテープだとわかるノイズが入った。それから、低い女の声がこう言った。
「カーラン、いとけなき少年のおまえ、おまえの命日だ。おりて来るがいい、雲のうえから。」
 ぎょっとした。
 テープはぷつりと切れ、通信自体も切れた。
「…カール?どうしたの?」
 ミァンが尋ねた。
「…いや、混線しているらしい。」
 まさか地上の連中が、本国の上官をこんなふうにからかうはずがない。もしやろうと思ったら命がけのいたずらだ。
 カーランはカレンダーを見た。
 …あの日だった。

+++

 突然地上へ降りると言い出したカーランだったが、ミァンは「わかりました」とすぐに承諾した。特に何故かと問いつめることもなく、仕事がたまっていると釘をさすこともなく、留守を預かってくれることになった。少し不審に思ったが、有り難かったので黙っていた。「船を出しますか」と尋ねるミァンに「いや、ワイバーンで行く」と短く答え…1時間後に機上の人となった。
 イグニス大陸は猛暑の季節を迎えていた。
 双子山のふもと、アヴェの裾野の外れに何かきらきらと光るものが見えた。ワイバーンはその光に近付き、その傍らに静かに降りて、金色の翼をたたんだ。
「…これか…」
 コックピットから外に出ると、巨大な地竜の形の2体のギアが目に入った。そのギアは2体で一つの大きな砂上ボートを引いている。ボートの上には…
(観覧車、回転木馬、コースター…)
 まるで教会の神具を巨大化させて雑多に積んだかのような…そういう、どこか品のある、それでいてどこか生々しい、美しい塗りの遊具だった。作業用のギアが、遊具を少しずつボートから下ろしていた。
 カーランはすでに組み立てられていた近くのテントへ向かった。
 テントにいたのは全て亜人だった。見目の美しい娘の亜人もいたが、目を背けたくなるほどの異形の者もあった。カーランはなかでももっとも恐ろしい姿をした大きな男に近付いた。
「アヴェを預かっている者だ。…滞在と営業許可の申請をもらったようだが。」 
 カーランが声をかけると、カーランより頭2つぶんほど上にある男の頭がゆっくり回った。…男の肩にはひらひらとした薄い皮膜のついたえらのようなものが無数に生えていて、4本ある腕にはすべてみっしりとウロコが生えていた。
「ああ、お代官様ですかい。これはわざわざどうも。おはこびいただいて。」
「…毎年営業していると聞いているが。」
「へい。お世話になっておりやす。」
「明日から3日間だな?」
「へい。」
「…荷を改めたいが。」
「へい、只今ちょうど整理して並べておりやす。どうぞご随意にごらんくだせえ。」
「それと一応帳簿を出しておいてくれ。」
「かしこまりやした。」
 カーランはテントを出た。
 表では緩慢な動作でギアが遊具を配置し続けている。
「…暑いな…。」
 カーランは薄い琥珀色の目を細めて汗をぬぐい、懐からサングラスを出して、かけた。

+++

 遊具は並んだ順からテスト走行が始っている。
 カーランが走るジェットコースターをぼんやり眺めていると、後ろから女の子がやって来た。
 大きくてふわふわの兎の耳が頭の左右に垂れている。水着のようなぴっちりとした露出度の高い衣装を身に着けていて、体の丸みに沿ってラメがきらきら光っていた。シースルーの短いスカートの中の小さな尻には、ちょこんと兎の尻尾がついている。すらりとした美しい肢体の少女だった。白く長い足の膝から下と、細くしなやかな腕の肘から先が、柔らかな兎の毛皮に覆われている。どこかで見たことがあるような気がしたが、どこで見たのか思い出せなかった。
「コンニチはです、かっか。わたしが御案内しましょうか?」
「…ああ。」
 うなづくと、兎は言った。
「これはジェットコースターです。くるりんと前方に一回まわった後、後方に3回まわって、その帰りに前方に2回まわって、おわりです。」
「…ああ、そのようだな。」
「300Gです。のりますか。」
「いや。のらなくていい。」
 兎はカーランを巨大なコーヒーカップのところへ連れて行った。
「これはカップアンドソーサーです。ソーサーの上のカップがくるくる回転しながら、ソーサーとカップをのせているお盆の円盤そのものもぐるぐるまわります。三半規管が弱い人はイチコロです。100Gです…のりますか?」
「…三半規管のチェックはおもしろそうだな。だが、遊びに来たわけではないから。」
「どうせ てすとそうこうですから、タダにしてあげます。のりませんか?」
「…そこまで言うなら乗ろうか。」
「わぁい! 閣下とコーヒーカップ!」
 兎が歓声を上げると、「カップアンドソーサー」の機械全体がぱああっと電飾に彩られた。驚くカーランの前で、兎は入り口の鎖をはずし、ブルーのカップへと進んだ。カップの一部をひっぱると、「ぱく」と言って乗り口が開いた。カーランは促されて乗り込んだ。カップの中は柔らかいソファになっている。カーランが座ると、兎は扉を閉めて、リモコンでスイッチを動かした。機械の始動音がふいーんと響き、それをかき消すように陽気な音楽が流れ始めた。そして不意にガタン!と揺れたかと思うと、乗っていたカップがクルクルと回りはじめた。
「きゃーっ!」
 兎は嬉しそうな奇声を発して勢いでカーランに倒れかかり、思いっきり抱き着いた。と思ったらぐうんと遠心力がかかって逆方向に押し倒しそうになる。
「うきゃー閣下ーっv重いですーっvv」
「すまん!」
 謝ったところでまた逆になる。
「いやーんv」
 …そんなこんなをくり返すうち、やがて静かに機械はとまった。
「はぁ、はぁ、あー、楽しかった! これでおしまいですv…エキサイトしちゃいました〜っ、閣下。目、まわりませんか?」
「…ああ、大丈夫だが。なんというか…びっくりした。」
「次はぁ、グライダー乗りますか?それともコースター?」
「…いや、遊びに来たわけではないから。」
「…え〜、いいじゃないですかあ。他の遊具の調子もみてまわらないと〜。」
 カーランが無視して勝手にカップを降りて階段へ戻ると、兎はぱーっと走って来て、腕にまとわりついた。
「じゃあ、砂ヨットにのりませんか?」
「砂ヨット?」
「小さな砂上船の一種ですけど、微妙な風を捕らえてふらふらはしります。楽しいですよ。…あっち、柵で囲ってあるところです。」
「…じゃあ、見るだけ。」
「そんな。乗りましょ?」
「遊具を一通り見たら、帳簿も見ないと。」
「アガリはきっちり収めてます。本当です。」
「ああ。疑っているわけではない。亜人の商売は堅いものだ。だが、見るのが仕事だから。」
 兎は悲しそうな顔になって、垂れている耳をますます垂らした。カーランは兎が可哀想になり、言った。
「…じゃあ最後に、もう一つだけつきあおう。」
「本当ですかっ」
 うさぎはぱーっと明るい顔に戻った。
「何に乗りますか?」
「君が好きなのでいい。」
「私が好きなの?」
「ああ。このキャラバンで、君はなにが 一番気に入っているんだ?」
 カーランが尋ねると、兎は少し考えてから言った。
「観覧車!」
「観覧車…よし、じゃそれにしよう。」
「こっちです。」
 兎はカーランの手を引いて駆け出した。

+++

 兎がカーランを連れて乗り込んだのは、地上から天へ大きな円を描いてゆっくり降りてくる巨大な風車のような乗り物だった。2人が乗りこんでドアを閉めると、丸い箱の中は妙に静かだった。動力の音もしないのに、きつい冷房が入っていて快適だった。…その涼しさにほっとしたカーランは、眼鏡をはずして懐にしまった。すーっと汗がひいてゆく。
「少しずつ高くなりますから。」
「ああ。」
 兎が言う通り、箱はじわじわと少しずつ上昇し始めた。
「…高いトコ、平気ですか?」
「ああ。パイロットだから。」
「あ、パイロットだったんですか。」
 兎は残念そうに言った。それからてへっと笑った。
「…実は私も元ブランコ乗りだから。」
「…ほう、ブランコにのってたのか。大変だったね。」
「…パイロットほどじゃないです。だって下にネットはるもの、ブランコは。」
「…そうかな。だがパイロットは滅多に落ちないからな。」
「…そうですね。…でも、もう一座はサーカスはやめたんです。体きついし。事故も多いし。…それでたくさんこういう機械を買って、いまはみんな移動遊園地の管理職員です。」
「…キャラバンは長いのか?」
「…ええ、生まれたときからずっと。」
「…お母さんもブランコ乗りかね?」
「…お母さんはクラウンでした。まだこういう乗り物が沢山なくて、ショーで食べてたころは人気者だったんです。…母さん、羽根があったから。」
「…羽?」
 兎はコクリとうなづいた。
「おおきな翼があったんです。…足は触手だったので、隠していましたけれど。」
「…いつ亡くなったんだね?」
「…私が5才のとき。赤いライオンに引っ掻かれた傷がもとで。…旅の途中だったから、ゴミと一緒に砂漠に捨てられました。」
 兎はそう言うと、じわっと涙ぐんだ。
「…そうか。」
 カーランは手をのばして、兎の耳と耳の間をぽふぽふなでた。
 亜人が生きる環境は厳しい。見せ物商売や…下手をすればもっと薄暗い、過酷な場所で蔑まれながら生きてゆかなくてはならない。それでもこうした集団に所属していられることは彼らにとっては幸運なことで…みなが後釜をねらっている。だから老いたり病んだりきずを受けたりした人間は、死を待つまでもなく…たとえ死んでも弔われることもなく、まるで不要品のように廃棄処分にされてゆく。
 カーランの深い部分が痛んだ。…いくら慣れたつもりでいても、どうしてもこの話だけはだめだ。人間が廃棄処分にされる話だけは。
 カーランは哀れな兎に静かに問いかけた。
「…お母さんの翼は、飛べたのか?」
 兎は鼻を啜って答えた。
「…少しなら。」
「じゃあ君のほうが、よく飛べるんだ。」
「ええ。もちろん。」
 そう答えて、兎は無理矢理にっこりした。
 カーランがその垂れ下がったふわふわの耳を少し撫でてやると、兎は不安定な席を立って近寄り、カーランに抱き着いた。求められるままに抱擁と愛撫を与えると、兎はカーランの唇を奪った。 

+++

 テントにもどって帳簿をめくりはじめると、別の亜人が近寄って来て、肩ごしに帳簿を覗き込んで来た。
「…おまえの一座の帳簿だぞ?めずらしいのか?」
 振り返らずに尋ねると、亜人は「まあね」と言った。
 その声に驚いて、カーランは顔を上げた。気配から言って女の子だろうと思っていたのだが、男の声だったからだ。
 その亜人は浅黒い肌をしていて、髪は真っ白だった。そして白い翼が片方だけ生えている。背が高く、どこかで見たことがあるような、吸い込まれそうな青い瞳をしていた。
(天人か…)
 美しい羽根の生えている亜人は亜人の中でも少し別格扱いされる。その容姿が人間に好かれるために、モデルや人気タレントなどになる者も多い。彼らは天人と俗称されている。
(片翼…)
 カーランはふとミァンが見ていた資料の美しいギアの後ろ姿を思い出した。旧番のエーテル対応機だが、その片翼のフォルムの美しさが彼女の目を引いていた…。
「…ソラリスから来たのかい?」
 天人の問いにカーランはぎょっとした。ソラリスは特殊な鎖国体制をとっている。地上では伝説の国のはずだった。
「…懐かしい匂いがする。…死肉のにおいだ。」
 天人はそう言ってくすくす笑った。
「…ソラリスって、死者の肉を食べているんだろう?」
「…貴様…何者だ?」
「…まあ気にするな。俺だって死んだ動物やら、生きている植物やらを食っているから。」
「おい」
「…帳簿に不審なところはなし、か。」
 天人はまるで自分こそが帳簿のチェックをしていたかのような顔でそう言った。
「…あいつさ、会ったろ、エラがひらひらっとしてるやつ。」
「…ここの座長じゃないのか?」
「うーん、そうね。まあ、実質はね。でも本物の座長は他にいたりするわけ。」
「…」
「…ま、あんたにゃ関係ない話だね。」
 天人はそう言ってニヤリとした。
 カーランは緊張して尋ねた。
「…お前が呼んだのか?」
 天人はキョトンとして少し首をかしげた。
「…何を?」
「…」
 カーランは少し顎を引いて、じっと天人を睨んだ。天人は言った。
「…あんたを?」
 カーランは黙ったままだった。
 天人は少し近付いて、カーランに顔を寄せ、ひそひそと言った。
「…俺がソラリスを知っているのはちょっとした事故さ。間違って攫われたことがあってね。なんて言うんだっけ?ああ、ハ−ヴェスト・シップ。…命からがら逃げて来たのさ。地獄を見たよ。なんというんだっけ?ああ、ソイレント・システム。そうさ、本物の地獄は、地中にはない。天にあるんだ。あの真っ青に広がる、美しい空の、清く眩い雲の上に…。あんたも知ってるんだね。あの地獄を。」
 天人の美しい瞳に覗きこまれて、カーランは動揺した。
「…なぜ呼んだ?」
 天人は少し微笑むと、長い指でちょいちょいとカーランの頬を撫でた。
「…俺は呼んでないよ。…でも、誰かに呼ばれて来たのかい?」
「…」
 カーランは口を結んで、きつく目をつぶった。…この青い瞳は、催眠効果がある。一瞬、洗いざらいしゃべってしまいそうになった。
 そんなカーランを見て天人はまた少し笑い、そっと唇にキスをして、離れた。
「…あんた少し人生を楽しんだほうがいいよ。いずれはだれだって、あの肉片になるんだから。例外なく、だれだって。…平等なんだから、死だけは。だからさ、それまでの間は、さ。」
 天人の声は、少し遠かった。
 目を開けると、天人の姿は消えていた。

+++

「…営業と滞在を許可する。」
「有難うごせえやす。」
 帳簿を返し、許可証にサインして渡すと、エラの亜人はうやうやしくそれを受け取った。
「お代官様、これからオープニングセレモニーが始まりやす、よろしかったら御参加いただけやせんでしょうか。セレモニーの後に酒席を設けやす。少しお遊びになられませんか。」
 普段はこうした誘いに、カーランは一切乗らない。だが、今日は承諾した。自分を呼んだ誰かに会わなくてはいけない…その気持ちが、時間とともに強くなっていた。
 テントを出ると外は夕暮れだった。
 オレンジ色の砂漠が赤い夕日で染められて、どこまでも続く砂丘の稜線が美しい。
 いつの間にか、多くの客が集まってきていた。
 開門とともに花火が上がり、賑やかな音楽が流れた。どこかで小鳥のようなきれいな声の亜人の娘が、オープニングの挨拶をしているのが聞こえた。
 日暮れとともに電飾が灯りはじめ、遊園地はまばゆい輝きにつつまれた。
 ざわっ…りりり、りり…。そんな不思議な音に振り返ると、美しい亜人の娘が近付いてきていた。頭の飾りやイヤリング、腕輪、幾重にも巻き付けられたネックレス、ベルト…そうした装飾品の全てに小さなすずがついていて、動くたびにかわいらしい音をたてた。…長いスカートで足は見えない。
「…カフェへどうぞ。」
 カーランにそう告げると、娘はまたざわっ…りりり、と音をたてて、歩き出した。カーランは娘の後をついて行った。
 カフェのテントの奥まった一角が幕で囲ってあって、カーランのための席が設けられていた。そこには猫の瞳の美しい亜人の娘がいて、カーランをもてなした。
「…ぼんやりしてるのね。…なにをかんがえていらっしゃるの?」
 娘がゆっくりと尻尾を動かして尋ねる。
 カーランは曖昧な視線を送って…酒を飲んだ。
 娘は胸から下はすべてつややかなブルーグレイの猫の毛皮に覆われていて…服といえば短いベストのようなものを一枚つけて、豊満な人間の乳房を隠しているたけだった。
「…お料理は口に合わないかしら?」
「…そんなことはない。」
「どうぞもっとお上がりになって。…最後にと思って甘いものも用意してありますのよ。」
 カーランは促されて料理を口に運んだ。
(…ソラリスは…死者の肉を…か。)
 地上の料理は独特の味わいがある。ソラリスにはない、アクの強さ。けれどもそれは、不味いという質のものではない。
「…乗りものにはお乗りになられました?」
 猫は尋ねた。
「ああ。乗った。」
「全部に?」
「いや、二つほど。」
「まあ、何にお乗りになられましたの?」
「観覧車とカップアンドソーサーに。」
「コースターは?我々の自慢の機械ですのよ。」
「ああ…乗ってもかまわないが、急いでいたので。」
「…子供騙しの遊具は退屈でしたかしら。」
 …そんなことはない。スピード感やスリル感に高揚するのは子供にかぎったことではないし、可愛い女の子に抱き着かれて嬉しくない男は少ない。…だが、そう聞かれると、なんとなく恥ずかしくなった。
「…あまり進んで遊びたいというものでは、ないな。」
「そうですか。…お酒をどうぞ。」
 尋ねたほうは、どんな答でもかまわなかったようだ。…カーランは後悔した。兎に悪いことを言ってしまったような気がした。
 足台のついた陶器のカップを差し出して酒を注いでもらう。料理はどれも皆うまく…酒は新酒ではあったが、果実の香りが爽やかな美酒だった。
「…つまらない遊園地も、夜になれば眺めもかわりますわ…さあ、甘いデザートを召し上がれ。疲れがとれますわ…閣下。」
 猫はそう言って、白桃のスライスをゼラチンで固めたデザートを差し出した。

+++


 思ったより酔いがまわっていたのか、その後の記憶がとんでいる。
 カーランは気がつくと横になっていて、軍服の上着は近くのハンガーにきちんと整えてかけられていた。まわりには誰もいない。…体、特に下半身がだるい。
 垂れ下がる幕をかき分けて外へ出ると、賑わいや人々は消えて、遊具は静まりかえっていた。電飾も消えている。…今日の営業は終わったらしい。
 カーランはあてもなく、亜麻色の月明かりの下を歩いた。
 もうじき、少年の命日が終わる。
 誰が…なぜカーランを地上に呼んだのか。
 カーランにはわからなかった。
(低い女の声だった…)
 カーランは頭を振った。
 気がつくと、馬の像の側にいた。
 白い馬にはパレードの飾りが刻み込まれている。
 馬の向こうには、馬車がある。馬車は、赤い馬が引いている。
 何本もの柱…、柱に貫かれた沢山の馬の像。
(カーラン…)
(いとけなき少年のお前…)
(おまえの)
(命日…)
 カーランは、馬の一つに腰掛けた。
(おまえを食って生き延びた俺)
(許すも許さぬもなく)
(溶けたおまえの魂)
(…その痛みの残るこのからだ…)
(その記憶の淀む胸)
 つめたく滑らかな硬いたてがみをあてどもなく撫でるカーランの前に、いつのまにか亜人が一人立っていた。
 黒い髪を長く伸ばして、白い長衣を着ている。…そこまでは普通だったが、…目に白い布を巻かれて目隠しをされていた。片手に抜き身の剣を下げ、もう一方の手に天秤を持っていた。
 カーランは不安を覚えた。亜人はゆっくりと近付いてくる。…女の気配で。
「…きみ…危ないよ、足下に気をつけないと…」
 カーランはしどろもどろに言った。しかし亜人は何も言わない。しっかりとした足取りで、ゆっくりと近付いてくる。
 月明に、剣の刃がぎらぎらと光る。
 …今、メリーゴーラウンドが動き始めたら、この亜人はどうなるのだろう。
 そんなカーランの心配をよそに、亜人はカーランの目前で立ち止まった。
「…あなたの魂を天秤の皿の一方に載せなさい。」
 亜人は男の声でそう言った。…カーランは驚いた。女だと思っていたので。
 亜人は天秤をカーランにつきつけた。
「…きみが呼んだのか。」
 カーランは言った。
 亜人は言った。
「…もう一方に、あなたの正義を載せなさい。」
 カーランは黙った。
 皿に載せられるような固形物の魂や正義は、あいにく持ち合わせていない。けれども、亜人はカーランに天秤をつきつけたまま静止している。カーランはしばらく考え、言った。
「…俺の正義では、意味がないような気がするが。」
「なぜ?」
「俺の正義は俺の味方をするだろう。…誰か他人の正義でなくてはいけないのではないか?…そう、それも、絶対的な正義でなくては。たとえば、神とかいったものの。」
 亜人の口元が少し笑った。
 …どこかで見たことがあるような口元だった。
 …どこで?
「…あなたの正義が神の正義であるなら、神の正義を載せなさい。」
「…きみの管理は杜撰だ。裁きは当事者が行うものではなく、第3者が行うものだ。」
「裁きはこの天秤が行います。」
「天秤ではない。魂と並べて重さが計られる正義によって決まるんだ。軽い正義をのせれば魂は重く、重い正義をのせれば魂は軽い。」
「ちがいます。」亜人はきっぱりと否定した。「…あなたは今ためされている。それだけです。」
 カーランは挑戦的に尋ねた。
「…目隠しをしていて、俺が不正をしてないとわかるのか?」
 亜人は少し首をかしげた。
「不正?したいならしなさい。その重みも天秤は計るでしょう。」
「…」
 カーランはイライラと爪を咬んだ。
「…その剣は何の為に?」
 カーランが尋ねると、亜人は言った。
「…あなたに魂がなかったら、これを刺して終わりにするため。」
「…!」
 カーランはぞっとした。
「…魂が…ない?」
「そういう人もいますから。なに、そういうのはちょっとしたバグみたいなものですよ。一応つぶしておかないと。…それから、正義のない人も同じ。」
 正義のない者は…それはあるだろう。けれど、魂がない…というのは…。
「…だ…だが、人間の正義など、自分勝手な、御都合主義的なものではないか。そ、そんなもの、なくても、なんだというんだ。あってなきがごとし、というやつではないか?せ…正義など、信仰する神や…住んでいる国や…か…環境で、いくらでも白から黒に変わるものではないのか?」
「そのとおり。だからあなただけの正義が必要なのです。神などという他人まかせの正義ではなく、あなたの正義が。そしてあなたの正義は、あなたの魂の重さによって計られるのです。その魂が積んで来た罪と、受けた罰と、得たものと、与えたものと、希望と、力と…あらゆる過去の入り交じったもの、そう、それがあなたの魂です。あなたは自分の魂に見合う正義をもっていなくてはいけません。」
 カーランは凍りついた。
「…おれに、生きている価値があるかどうか計るというのか。」
「価値?…さて、ね。ただまず大前提として、よく生きようと思っているのかどうかを検査するのですよ。機械的なものです。」
 亜人は肩をすくめた。
「…さ。もう話はいいでしょう? 早く出しなさい。」
 カーランは震え上がった。彼を殺したことが正当化できるわけがないことぐらい、カーラン自身が一番よく知っている。許されるはずがなかった。それに…自分の魂は、普通でないかもしれない。何か変質した…一般的でないものかもしれない。そもそも、出せと言われても出し方がわからない。
(…ひょっとして、俺には、ないのだろうか、正義ばかりではなく、魂も…。)
 カーランは左右に首を振った。
「た…魂や正義なんて、どうやってそこに載せろというんだ?」
「…おや…?御存知ないのですか?」
 笑う亜人の片手で、剣がぎらりと光った。
 …載せる魂や正義がなければ、亜人は刺して終りにするだけ。
 逃げるか?…否、むしろ何故か、絶対に逃げられないという確信があった。
 では斬られるか?斬られるのが正しいのかもしれない。自分には差し出すものが何もないのだから。…けれども…けれどもそんなのはイヤだ。絶対にイヤだ。
 カーランの中で、そんな細やかな自問自答があったわけではない。だがとっさの判断のうちわけは、そうしたものだった。
 歯を食いしばり、カーランは自分の剣を抜いた。
「…お…俺は…俺は、生きていたかったんだ ! 死にたくなかったんだ ! 」
 そう叫んで斬りつけた。
 そのときだった。
 突然機械の始動音が鳴り、電飾がつぎつぎに灯った。剣は空振りし、なんの手ごたえもなかった。一瞬躊躇した瞬間に、大きな音で陽気な音楽が鳴り始め、足下が動き出した。
「わっ!」
 バランスを崩したカーランは動く床に手をついた。大きく交互に上下する馬たち、馬車。回る足下…ぐるぐると柱の鏡にうつりかわる視界もまた。
 …笑い声がした。
 ほとり、とカーランの目のまえに、白い布が落ちて来た。…亜人の目を覆っていたものだ。まっぷたつに切れている。
 …審判は終わったのか?
 顔を上げると、よく知っている友達が立っていて、カーランに手を差し出した。
「…大丈夫ですか。ぼんやりして。さあ立って、…ほら見てカール。なんて綺麗な夜でしょう!」
「…て…天秤は…?…それよりお前なんでここに。」
「…何言ってるんですか?」
 カーランが動揺したままあたりを見回すと、カーニバル・キャラバンは無数の電飾に彩られ、賑やかな客たちは夜になっても帰るようすなどなかった。回るメリーゴーラウンドの周囲には順番待ちの長い行列ができている。あの静かな月明かりなど、嘘だったかのように。
 …終わったのだ。…生きている?ということは、…クリアできたらしい。なんらかの形で。なぜ?
 カーラン自身にはその理由はわからなかった。けれどもここに友人の手が配置された…そのことで、自分が労われているのを悟った。…合格?…した、のだ。
 びっしょりと冷汗で濡れた手で、友達の手を掴んで立ち上がる。…温かい手だった。
 少しすると回転木馬は静かに動きを止めた。
 まだふらふらするカーランを心配して、友達が手をひいてくれた。
 ゆっくりと遊具から降りて、作り物の馬を載せた円盤を離れる。
「…働きすぎですよ。たまにはリフレッシュなさい。」
 友達が偉そうにそう言った。
 何か言い返そうとしたとき、また友達が言った。
「あっ、見て見てカール。あれパレードじゃない?凄い電飾だなあ! 見に行きましょうよ!」
 機械好きの友人はカーランの手をぐいぐいひっぱって、闇の中にきらびやかな光を放つパレードの山車に向かって早足で歩き出した。

+++

 本国に帰ると、何事もなかったかのように、ミァンが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、カール。どうだった?」
「…いや、普通のカーニバル・キャラバンだった。」
「そうよね。」
 ミァンは首をかしげた。
 カーランも首をかしげた。
 なにか変だった気がしたが、思い出せなかった。
「…うむ、綺麗なものだった。今度機会があったら一緒に行こう。」
「そう?楽しかった?」
「ああ。」
「いい息抜きになったみたいね。ちょうどよかったわ。そうね、今度は私も行きたいわ…。きっと誰か、地上の者が気をまわして息抜きさせてくれたのかもしれないわね。」
 カーランはちょっと首をかしげた。…違和感があった。
 そのときちょうど廊下の向こうをエレメンツのセラフィータが通ってゆくのが見えた。
「ああ、セラフィー…タ?」
「あ! 閣下!」
 ピンク色の兎の亜人がぴゅーっと走って来て、敬礼した。
「こんにちは!」
「うむ…お前…は、ずっとピンク色だったか?白かったことはなかったっけ?」
「うまれてこのかた、ずーーーーっとピンクです!」
「…あ、うん、そうだったな。いや、すまん…」
 そう言って思わず頭をふかふか撫でると、ミァンが仰天して言った。
「閣下!」
「え?ああ!…すまん!」
 慌てて手をひっこめた。…セラフィータ自身はうふふと笑って照れくさそうに左右に体をよじった。
「かっか、へんなの〜。」
「あー、うむ、そうだな。すまん。」
 思わずカーランは咳払いして誤魔化した。
「セラフィータ、下がってよろしい。」
 ミァンが内心の動揺をかくしてぴしりと言い、セラフィータをなんとか追い払った。
「…カール…、少し休んだほうがいいみたい。」
「…じゃあ、今日は帰る。」
「ええ。また明日ね。」
 ミァンは人通りのない廊下で、カーランに軽くキスをした。 
 そのとき幻のようにカーニバル・キャラバンの音楽と陽気なざわめきが、耳に蘇った。
 そして、その一瞬のちに、あとかたもなく消えた。



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