制服


 ある晩、三人の部屋を不幸な偶然が襲った。
 シグルドが寒いと言い出したのは夕方の6:00ころだっただろうか。
 こんなときに女とデートでもしているのか、なかなか帰ってこないもう一人にヒュウガは少し閉口しながら、横になったシグルドに付き添っていた。
 夕食を部屋まで運んで来てやったが、シグルドはまったく手をつけることができなかった。何か口にできそうなものはないか尋ねると、ヒュウガが自分が飲むつもりで買って来たホットココアを欲しがったので、ヒュウガはそれをシグルドに与えた。シグルドは震えながらそれを飲んだが、1時間ほどたって全部吐いた。
 やがてシグルドの意識がなくなったので、ヒュウガはシグルドの気道を確保し、ジェサイアに連絡して指示を仰いだ。ジェサイアはラケルをつれてやって来た。ラケルはシグルドに器機をとりつけ、薬を打ち、アンプルを何種類かヒュウガに手渡し、こまかい指示をした。
 深夜になるとユーゲントの寮は出入り禁止となる。ラケルができるのはそこまでで、シグルドの具合が一線を越えて悪化したら、宿舎のドクターに頼る以外なかった。ラケルが寮の門限と同時に引き返し、ジェサイアも監督官の特権が許すぎりぎりの時刻までいてくれたものの、やがて引き上げた。「もう一人の馬鹿はこのピンチにどこで女としけこんでやがるんだ」と苦い口調で言い残して。
 ひっそりとした部屋に、ヒュウガは再びシグルドと二人っきりで残された。シグルドの意識はまだもどらなかった。
 幸い週末だったので、翌日の心配をしなくてよいのは不幸中の幸いだった。薄暗く照明を落とし、部屋の中はシグルドのベットサイドランプの他には、いくつかのポイントにある常夜灯だけになった。

+++

 そうしてさらにしばらくしてから、もう一人のルームメイトはやっと帰って来た。時刻はもう深夜になっていた。
 それでも帰ってきただけましだ、とヒュウガは思った。なにしろ週末だったし。彼女は美人だ。
 部屋に入って来ても、部屋の内部の異変に気付いた様子はなかった。ただその暗さを照度としてだけ認識し、少し歩いて自分のベッドへむかい、軽い「とさっ」という音をたてて、ベッドに倒れこんだようだった。
 そのまま身動きの気配もなかった。
 ヒュウガは少しそのまま黙っていたが、やがてなにか少し変なのではないかという気がし始めた。シグルドの枕許から立ち上がり、ヒュウガはもう一人の様子を見に行った。
「…おかえりなさい。」
 声をかけながらベッドを覗き込むと、びっくりするほど剣のある目で睨み付けられた。「俺にかまうな」という拒絶の意志がこもっていた。
 普段なら放っておいてやっただろう。だが、そのときヒュウガはシグルドの件を伝えないわけにはいかなかった。
「…シグルドが倒れました。夕方からずっと意識がありません。ラケル先輩が来て、いろいろ機具をつないでいきました。今夜はみてなくちゃいけないような状態です。異変がおこったら寮のドクターを通じて外の病院につれていくことになります。」
 なるべく淡々と一気に言った。
 カーランに今日の放課後、外で何かあったのはまず間違いなかった。…彼は制服の上着を着ていなかった。どこかに置いてきてしまったのだ。
 ヒュウガは黙って反応を待った。返事はなかった。
 これは致し方あるまい。ヒュウガが一人で持ちこたえる以外になさそうだった。まあ…なんとかなるだろう。
 ジェサイアもヒュウガもカーランが女のところにいると思っていたが、どうやらそれも怪しかった。女と会って来たあとの彼はたとえケンカ別れで帰って来ても、もっと生気がある。
 ヒュウガはあきらめて彼のそばを離れ、シグルドのそばに戻った。
 何があったのだろう、と思ったが、シグルドがこんな状態だし、突っ込んだ話は今はできなかった。
 今までも何度かカーランがこういう状態だったときがある。シグルドなら理由を知っているかもしれなかった。シグルドは面倒見のいい男だから、カーランがハマっているときは大抵ケアしていたようだが、ヒュウガは今までこの状態のカーランのケアについてタッチしたことはない。…少し悔やまれた。
 シグルドの容態はあいかわらずだった。

+++


 しばらくして、はっと目が覚めた。…うとうとしていたらしい。
 シグルドはさっきと変わりなく意識を失ったままだ。
 ヒュウガはずりおちてきた毛布を慌てておさえた。毛布を肩から膝までかけられて座った格好で寝ていたらしい。
 あれっ、と思った。
 ふと隣を見ると、カーランが椅子を持って来て座っていて、静かにシグルドの様子を見守っていた。
「…カール。」
 ヒュウガが声をかけると、カーランはヒュウガには目もくれず、腕時計を見て時刻を確かめた。
「…5時になったら交代しよう。それまで寝ててくれ。」
 ヒュウガも時計を見た。まだ1時間ほど余裕があった。
 ヒュウガは毛布を手繰り寄せて、くるまった。
「…大丈夫ですか?」
「…何が。」
「…いや、なんか帰ってくるの遅かったので…。」
「…時間になったら起こすからベッドで寝てくれ。」
 カーランは素っ気無くそう言った。
 干渉されたくないのだ。
「…ここで寝ます。」
 ヒュウガがそう言うと、カーランは眉をひそめた。
「…寝てますから。」
 ヒュウガが更にいうと、カーランはもう一度きっぱり言った。
「そんな格好で仮眠しても疲れがたまるだけだ。向こうで横になれ。」
「…今あなたの隣に…わたしでも誰でも、いないよりいたほうがいいと思います。…寝ていてでも。」
 ヒュウガが静かに言うと、カーランはひどく無神経なことを言われたような不快そうな顔になった。
 けれども、それ以上は何もいわなかった。
 ヒュウガも、それ以上詮索はしなかった。
 カーランは小さな傷でも人に晒すのをあまり好まない。以前にくらべれば最近は少しずつ隠さなくなってきてはいるものの、深刻な事態については今でも絶対に口にしなかった。
 ヒュウガは約束通り目を閉じた。
 倒れて意識不明なのはシグルドだが、より重体なのはひょっとしたらカーランのほうかもしれない。そんな二人が薄暗い部屋の片隅のヒュウガのそばで、二人ともじっと動かずにいる。多分、ベッドで自分の傷を舐めているよりシグルドの付き添いをしているほうが楽なのであろうカーランと…いつもはカーランの傷を舐めに行ってやるのに、今は自分が昏睡していて何もできないシグルド。閉じた目蓋の向こうには二人の不思議な絆のようなものがあった。
 ヒュウガは常に年上の兄弟たちに邪魔にされて育ってきた。それは虐待されていたという意味ではなくて、最年少者というものは、集団が行動していくうえでどうしても足手纏いになるときがあるのだ。その頻度は集団の属する環境によっては「しばしば」であったり「常に」であったりする場合もあるのだ。けれども邪魔にされても10の場面のなかの8ぐらいはそこに居ていいのだという人間社会の真実をヒュウガは熟知していた。(勿論だ。連中だってほんの数年前は誰かの足手纏いになっていたのだから。)だから居たいなら、邪魔にされても居ればいいのだ。そのうちそこに自分の場所ができていゆく。…ただ、その場所が出来上がるまでの間と、8を引いた残りの2は、とてもつらい。
 ヒュウガはそのままもう一度眠った。一眠りして朝日でも射せば、きっと好転するだろう。ジェサイアだってラケルだって来てくれる…。外の人たちがいてくれればもっと…もう少しなんとか…。

+++

 そして次にヒュウガの目が覚めたとき、すっかり日がのぼって、部屋は明るくなっていた。ヒュウガはなにやら妙に寝心地のよいベッドでちゃんと服を脱いで枕に頭をのっけて目をさました。同じ枕のすぐ隣でヒュウガに頭をくっつけたカーランがすうすう寝息をたてていた。
「…あれ?」
 思わずヒュウガが言うと、となりのカーランがパチリと目をさました。
「…ああ、起きたのか。…もう少し寝てよう。なんだか疲れた…。」
 カーランはそう言ってまたすぐ目を閉じた。
「カール、シグルドは?」
 ヒュウガが尋ねると、カーランは目を閉じたまま眉間に皺をよせて、もぞもぞ動き、ヒュウガを抱き寄せた。
「…カール、シグルドは?」
 ヒュウガはもう一度尋ねた。
「…さっきジェサイアとラケルが来て連れて行った。あそこのうちにビニール製の臨時集中治療室を作ってそこで診てくれるそうだ。今朝一番でユーゲントから許可もとったらしい。…おまえを起こそうかと思ったが、よく寝ていたから。」
「…そうですか。すみません。…なら…私達は帰りを待つだけですね。」
「ああ。」
「…カール、苦しいです。」
「…うん。」
 腕が弛んだ。けれどもヒュウガはそのままカーランの胸に顔をくっつけて、じっとしていた。
 …日が登ればなんとかなるなんて、子供じみた呪文だが。案外本当だったりする。
 ヒュウガは少し笑い、人肌の温もりにひたった。

+++

 うとうとしていると、インターフォンが鳴った。
 手探りで応じたカーランは、返事をせずに受話器を置いてしまった。
 多分寝ぼけているのだろうと思って、ヒュウガはベッドを抜け出し、ドアを開けに行った。
「お届け物です。」
 出入りの業者が箱を差し出した。
「…あ、カール宛だ。わたしのサインでいいのですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
 荷物の箱はひらぺったく、大きさの割に軽かった。
(なんだろう?)
「カール、なんかとどきましたよ。」
 ヒュウガが声をかけても、カーランは反応しなかった。
 ヒュウガはそのまま箱をもってベッドへ戻り、もう一度言った。
「なんかとどきましたよ。」
 すると吐き捨てるようにカーランが答えた。
「制服だ。その辺においとけ。」
 えっ?!…とヒュウガが思わず差出人を確認しようとすると、カーランは起き上がってヒュウガの腕を突然ひっぱった。ヒュウガは箱を落として、またベッドに引き戻された。
「カール…制服、誰が…」
「俺が昨日誰にもてあそばれてたかなんて本当に知りたいのか?」
 怒ったような口調でカーランは言った。
 そしてヒュウガの口を口づけで塞ぎ…明るい時間にそういう事をするカーランはきわめて珍しいので、ヒュウガはなんとなく応じた。
 体に触れあううちに、だんだん気分になってきた。疲れたと言うわりに元気なカーランに主導権はまかせて、ヒュウガはのほほんと呑気に抱かれた。
 明るいところで体を見ているうちに、腕にあたらしい注射針のあとが残っているのに気がついた。それにかすかに消毒液の匂いがした。
 それでどうやら「もてあそばれた」というのが、多分医者や研究者の類いに体をあちこちいじられたり、データをとられたりしたのではないかと思い当たった。同調率やエーテル値の高い生徒はしばしばそういう目に遭うことがある。
 ヒュウガはベッドのすぐわきに落ちている箱の差出人…カーランで思う存分お医者さんごっこした洒落た趣味の医者の名…が気になって仕方がなかったが、性の昂りのあとの心地よい眠気に勝てず…目が覚めたときには、箱はもうなくなっていた。
 シグルドは2〜3日で治り、ケロっとしてもどってきた。
 シグルドもカーランの医者など知らなかった為、その粋人の名はわからずじまいだった。
 



 19000HIT 有難うございます。このSSはカマさんのリクエストにおこたえするつもりで書きましたが、ちょっとはずしたかも?!...はずしてたらゴメンナサイ...汗。カマさんにささげます。

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