「最近ものがよく見えなくてね、疲れてるのかな、とかもう歳かな、とか、…栄養が足りないのかなとかいろいろ考えていたんですが…分かったんですよ!」
「…何だったんだ?」
「メガネが汚れていたんですよ!」
「…」
本人としては会心のギャグだったのか、陽気に大笑いするヒュウガを前に、カーラン・ラムサスはただ途方に暮れた。
ヒュウガはデウス戦を前に、やたら元気だった。
…なんとも反応できないまま、ヒュウガが持って来てくれた緑色の苦いような痺れるようなお茶を黙ってすすった。
なにか「自分らしい」罵りとか、冷笑とか、そういうリアクションがないとヒュウガが困るに違いないという「社会性」も頭の片隅に無くはなかったのだが、あれ以来、自分のどこを探しても何かがが足りない。覇気というか…気力というか。
案の定、ヒュウガは言った。
「…なんですか、カール。しみったれちゃって。バカヤロー、は先輩に譲るとしても、あきれたやつだな、とか、なんか突っ込みようがあるでしょー?」
「…お前、ハイになってるんじゃないか?」
ぼそっと言うと、ヒュウガはつまらなそうに肩を竦めた。
…俺なんかといてもさぞかしつまらなかろうな…とは思ったものの、放ッといてくれ、という元気もなかった。
それでもヒュウガは気をとりなおして言った。
「まあ、対戦前ですからね、やっぱり幾分気合い入りますよ。…ねー、一緒に行きません?絶対絶対ダシに使ったり囮にしたりしないから。いてくれると有り難いんだけどなあ。」
「…そういう断り書きがつくから怖いんだお前は。」
「本当だってば。…じゃあ、わたしのギアに一緒にのりません?それで誰か倒れたらそのギアを引き継ぐのってどう?…まあ補欠、ってことで。」
「…行かないほうがチームワークが崩れなくていいと思うぞ。それにあんな狭いコックピットに俺が同乗したら邪魔だ。」
そう言うと、ヒュウガは返事をせずにえへらっ、と変な笑い方をした。
「…?」
もう一度茶をすする。
…グリーンティーはなんとなくどろっとしていた。味は…まあ、多分これがグリーンティーの良いものの味なのだろう。甘いような苦いような味だ。
「…カール、なんだか眠くなってきませんか?」
妙な声で尋ねられてドキーッとした。
思わず茶碗をじっと覗き込む。
「…と、歳かな…。」
「…中が霞んで見えてきたでしょ?」
「…今朝飯を食ってないからな…。」
「現実から逃げてはいけません。」
手から茶碗を取り上げられた…というところで、意識が落ちた。
***
目が覚めると、ヒュウガの服の緑色が視界いっぱいに広がっていた。何が起ったのかよく分からずに、それを押し退けようとして、何かとんでもなくひどい違和感に戸惑った。
「…あ、カール。目が覚めたのですね。」
ヒュウガはどうも服を着せてくれていたらしい。
なにやら楽しそうなヒュウガがいきなり顔を撫でてきたので、びっくりして起き上がろうとして…再び違和感。
「…?」
自分の手を見つめる。
ヒュウガがにこにこして、鏡を持って来た。
「これでどうかなあ。ね、コンパクトサイズ。私の膝に乗れるでしょ?邪魔にならないしv軽いしv」
…鏡の中からは呆然と、あの少年…何年も前に自分が食い殺したあの少年が、さらに幼くなって見つめ返していた。
ヒュウガが変な物を人に試したがるのは今に始まったことではなく、昔シグルドがリコのように緑色にされたのも見た事があったし、現在何故か妙に親切にしてくれるバルトロメイの洪水のようなグチによれば、あの例の「やつ」が女の子にされたりとか、 マリア嬢にウサギの耳がついたりとか、色々と影では事件が起り続けていたとも言う。実の娘にあれだけ嫌われているあたり、何かしたのもほぼ間違いない。しかし、…まさかこのカーラン・ラムサスを子供にするとは…。決戦間近の気の迷いと考える以外の想像は、心が許容しなかった。
「カール。」
寝椅子の足の方ににこにこ腰掛けて、自分の膝をぽんぽん、と叩く。…冗談じゃない。思いっきりぶんぶん首を左右にふった。
「もう、照れ屋さんv」
まってくれ、とも違う、とも言えないままに抱き上げられて、膝にのせられた。そしてヒュウガは何故かとても嬉しそうにぎゅーっと抱き締めてきた。
「あー、かわいい。貴方がこのくらいのときに会いたかったなあ。そしたら兄貴たちに教わった悪事の限りを教え込んで、一緒に悪さできたのに。」
よくわからないまま見つめ返すと、ヒュウガはにこにこ笑った。
「わたし自分の娘に物凄く嫌われてましてね。一度も抱いたことがないんです。だから子供、抱っこしてみたかったの。でもよそのコだっこして泣かせたらやだし。…ね、カール、この格好なら、誰も貴方だとは思いませんから、少しみなさんをからかってきませんか?」
「いやだ。」
…とハッキリ言ったのだが、ヒュウガはまるで聞く耳もたず、女の子のような高い声のカールを抱き上げて、すたすたと部屋を出た。
***
「シグルドー、シグルドー」
ヒュウガが早速訪れたのはシグルドの許だった。
「ああ、ヒュウガ…あれっ、この子は…?」
「かわいいでしょー。」
ヒュウガは嬉しそうに顔をくっつけてくる。シグルドは興味深そうにまじまじと覗き込んで来た。
「カールの隠し子か?…あいつのことだ、どこかにつくってるかもとは思っていたが。いや、それにしてもそっくりだな。母親はどんな人なんだ?母親の存在を感じさせないほど生き写しだ…」
「私が産んだのですv」
「あはははは、そりゃ無理だ。…どれどれ、おじさんがだっこしてやろう。」
と、手を差し出すシグルドに手渡される。ヒュウガは言った。
「…おじさん?」
「子供にとっちゃおじさんだよ、私達は。…ああ久しぶりだー、子供ー。いいねー、子供は。甘やかしてくれるよ、まったく。…ほーら、高いぞー。」
シグルドはそう言ってひよいと肩に肩車した。…すごい力だ。高くてくらくらした。
「ふふふふ、誰が産んだかしらないが、無口なところまでカールそっくりだな。名前は何ていうんだ、坊主。」
「…坊主じゃない。」
「カールの子はカールですよ。」
ヒュウガが横から無茶をいうと、シグルドは喜んで、
「じゃカール2世だな。」
と言った。
忙しいシグルドから「カール2世」を受け取って、次にヒュウガは広場へ行った。
広場へ行くと最近すっかり顔見知りになった老人たちや、働き者の娘さんなどがよって来た。
「ぼく可愛いねえ、とし幾つ?」
なんのことわりもなくヒュウガの腕から「カール2世」をもぎとって「ひゅうう」とか言いながらぐるぐる回す。
「…先生、この子あの旦那の子供でしょ。あの、よーくだんまりこくってたき火にあたってるソラリス人の…」
「ふふふ、可愛いでしょ。」
「なまらめんこいのう。」
「奥さんいたのねー、あの人。」
「奥さんいたのねって言うより子供いたのねって感じだべさ。」
「次はウチに貸せ。」
と、さんざんおもちゃにされ、抵抗しようにもこんな体ではいかんともしがたく、いっそ子供なのをいいことに泣いてやろうかとも思ったものの…どうやったら泣けるのか、忘れている自分にきがついた。
「機嫌わるいのね、ぼく。」
「こどもなのに眉間に皺ができとー。」
「かわえー。かしこそうや。」
「なんかゆってみてやー」
「ぼく、名前はー?」
またヒュウガが言った。
「名前はカールですよ。」
「お父さんとおんなじなのねー。」
なんでこの女は俺の名前を知っているんだろうかと思ったが、隣のおばあさんが菓子をくれたので、思わず受け取っているうちに忘れてしまう。
「おあがり」
と、しわくちゃの爺さんがにこにこ皺だらけになって言うので、なんとなくリクエストに応えて、菓子を食べた。甘いものはあまり好きでないのだが、なぜかおいしかった。みんながそれを見て喜んだ。
たくさん菓子をもらって広場を離れた。ヒュウガに菓子を一つやった。
「まあくれるのですか?カール。どうも有難う。」
ヒュウガはなぜかたいそう喜んだ。
それからしばらく「カール2世」は手を引かれてアジトの中をぐるぐる歩いた。
尼さんに会ったり、走り回っているこどもに会ったりした。
物凄く巨大な生き物にも会った。子供の目の位置から見れば、ギアのように大きかった。思わずヒュウガの袖を掴むと、ヒュウガはオレンジ色の髪がぼさぼさと緑色の顔を包む彼に手をあげた。
「今日は。リコ。」
「ああ、先生か。…なんだ、そのガキは。」
「ふふふ、可愛いでしょ。」
「隠し子か?娘にますます嫌われるぜ。」
リコが思いっきりそう言うと、ヒュウガはことさら怒ったポーズで言い放った。
「感じ悪っ!」
そして笑うと、リコも笑った。
「…2号さんは美人のようだな。」
「…あなた白人好きでしょ。」
「別にそんなことはない。…じゃあ後でな。」
すれ違いざまにちらっと振り返って、リコはニヤリとした。
「…びくびくしなくたって捕って食やしねえよ、弱虫。」
思わずムカーッとして睨みつけたが、自分がヒュウガの袖をしっかり握ったままなのに気がついて、少し考えてパッと放したりしているうちに、緑色の巨体は通り過ぎていった。
「…リコはおっきいですねえ。」
ヒュウガはのんびり言うと「カール2世」を抱き上げた。
少し行くと、「やつ」に会った。
「やつ」はこっちを見るなり、吹いて笑った。
「どしたの、先生…。」
「こっちの台詞ですよ、何笑ってるんですか。」
「だって…。いや、いいけどさ。くくく。」
「なんですか、ハッキリ言って下さい。」
「…SDラムサス人形って感じ。…すきだよねえ、先生…お人形。」
…イライラしているのが伝わったらしく、「やつ」はハハハ、と笑って向きを変えた。
「…ごめんね、俺…。本当はいつまでも先生のお人形でいたかったけどさ。…じゃ、またあとで…あ、ちゃんと戻してやれよ、先生。…まったくタチわりいんだから…」
笑い含みでぶつぶつ言いながら通り過ぎる「やつ」をとっとと視界からおっぱらおうとして、ヒュウガを見上げた。
ヒュウガは無言で「やつ」を見送っていた。
少ししてからこっちを見た。
多分少し変な顔をしていたのかもしれない。こっちを見て、少し困ったように笑った。
「虐められてしまいましたね。やり返しそこねてしまいました。…でも、まあいいや。行きましょう。」
なぜか少し、ヒュウガが寂しそうに見えた。
なんとなく抱きつくと、ヒュウガは少し口を開いて何か言いかけたが、結局何も言わないまま、抱く腕に少しだけ力を込めた。
回廊の端で、腕が疲れたのか、下におろされた。そこからは手をつないで歩いた。
部屋に戻ろうとしたところで、ヒュウガの娘に会った。
「あ…ミドリ…」
ヒュウガは声をかけようとしたが、ミドリの視線はじっとつないだ手に注がれていた。 つないでいた手を放し、ポケットからまだ沢山残っていた菓子を出し、全部あげた。
するとミドリは、少しにっこりして、半分だけとった。
そして別になんの挨拶もなく、すたすたと立ち去った。
***
「楽しかったですね。」
ヒュウガはそう言いながら、「カール2世」をベッドにすわらせると、服に手をかけた。
「…なんで服ぬがすんだ?」
「…もうすぐ薬がきれますから。」
納得して、じっと協力的にしていると、ハダカにされて、布団の中にいれられた。
「横になっていたほうが楽だと思いますから。」
「うん。」
ヒュウガはベッドの端に腰掛けて、手をのばし、少し額のあたりを撫でてくれた。
「…あなたには子供時代はなかったのでしょ?」
応えずにいると、ヒュウガは少し遠慮がちに言った。
「でも、きっとこんなふうに愛されたんだと思いますよ。…忘れないでくださいね。」
「…」
なんとなくとろとろと眠たくなった。
ヒュウガに撫でられながら、少し眠った。
さっきすれ違った子供達と、「カール2世」がサッカーをしている夢を見た。笑ったり、ケンカしたり、仲直りしたりした。
目がさめると、体はもとに戻っていた。
ヒュウガは枕許につっぷして眠っていた。…どうやらつられて一緒に眠ってしまったらしい。
ヒュウガを起こさないように布団から出て、服を着た。
なんとなく体の周りがふわふわしているような、不思議な感覚。
自分には手が届かない深いところにある、自分が殺したあの少年の…記憶の中にはあんな光景もあるのだろうか。…子供の夢の残り香が、体に柔らかくまとわりついていた。
「うーん…ああ、うとうとしちゃいました…」
ヒュウガが起きて、伸びをした。
「…ああ、もどったんですね。具合の悪いところはありませんか?」
「いや、特にない。」
うまいこと「自分らしい」返事が「自分らしい」タイミングで返せたので、「よし」と思って一つ息をついた。
ヒュウガは少し笑った。
「実験は成功ですね。…これであなたを決戦に連れていけます。」
「あんな無力な生き物にされるのは金輪際ごめんだ。」
実に適切にハッキリきっぱり断ったのだが、ヒュウガはとても嬉しそうにしていて、まるで耳を貸さなかった。