部屋に戻ると、ヒュウガがまん中のテーブルの席について、なにやら熱心に作業していた。何をしているんだろう、と近付くと、後ろからシグルドがやって来た。
「お帰り、カール。あった?ブツは。」
「ああ、あった。…地上勤務の若い将校が持ってた。譲ってもらえた。」
「そうか。めでたい。…カールもコーヒー飲む?」
「ああ、もらう。」
シグルドは流しに引き返した。
改めてヒュウガに近付くと、ヒュウガは紙片をなにやらとんがった形に折っていた。
「…なにやってるんだ、高い紙をそんなにくちゃくちゃに折って…」
「くちゃくちゃじゃないですよ。ちゃんと折ってます。…そういうそっちこそ、何買ってきたんですか?…闇商品とみましたけど?」
「ああ、これは…」
そこへシグルドが3人分のコーヒーを運んできた。
「はいったよ。飲もう。」
そこで二人はヒュウガの左右に座り、ヒュウガも顔を上げて、3人でシグルドのいれたコーヒーを飲んだ。
この部屋で出るコーヒーはソラリスの合成品ではなく、地上で採れた本物だ。
美食家のシグルドの影響で、ここのテーブルには様々な嗜好品が登場する。初めはたいして興味を持たなかった残りの二人も、シグルドが薄給をつぎ込んで買い求めてくる珍しい地上の茶や菓子に徐々に興味を持ち始め、今では通販サイトで珍品を見かけると、自分たちでも買い求めてこのテーブルに載せるようになっていた。
「美味しいですね。」
ヒュウガがにっこりする。本物は香りがちがう。
芳香には神経に作用する不思議な効能があり、この部屋では特に重宝だった。
「…ヒュウガは何を作ってるんだ?」
「…こういう同じ形のピースを組み合わせてできた多面体を、一気に折り畳むことはできないかと思って、紙で模型を作っているんですよ。」
「…そんな飾り屑の入ったきれいな紙をきりきざんでか?」
「ええそう。だいたいの理屈はできてるから…あとはデモンストレーションのときインパクトのある素材がいいかと思って…。カワイイでしょ、この紙。」
「…これを組み立てて多面体に…?ううむ、理論的には可能だが…しかもそれを一気に折り畳む?…何の模型なんだ?」
「…人工衛星。」
「人工衛星?」
「はい。折り畳めばシャトルやギアで運べるし、回収もできるでしょ。そうしたら、まあお金はかかるけど…。
ええと、古くなって廃棄するときに、落下させると、大事なラムズの実験農場に誤って落下したりするじゃないですか…あれは…まあなんていうか、私がラムズだからそう思うのかもしれないけれど、…大惨事ですよね。」
ヒュウガが言っているのは、半年前に行われた宇宙ステーションの廃棄処分にまつわる「操作ミス」のことらしかった。誤ってラムズの大集落の上に落ちた宇宙ステーションの残骸は、そのラムズの国を消滅させた。そこでなにやら重要な実験を行っていたらしいカレルレン護民官はカンカンだったらしいが、法院はその責任者を処分しなかった。ラムズはあくまで家畜だからだ。宇宙ステーションの「廃棄処分」は「成功」したと判断されたのだ。
「…まあステーションクラスの大きさの物は今の所どうしようもないけれど、付属施設だとか…普通の衛星なら、折り畳みも可能だとおもうんですよね…。多面体というか、つまり球型ですね、ボール型にする理由は、太陽との角度を計算せずにソーラーシステムを対応させられるし、全面を鏡面にして水を詰めれば宇宙線の影響も軽減できるし…」
「…ふうん、ヒュウガは不思議なことを思い付くんだな…。」
シグルドが感心したように言った。
「不思議、ですかねー。」
ヒュウガが問い返した。
シグルドは言った。
「…衛星を折り畳む、なんて、普通考えないよ。…それもこんなに細かく。」
「うーん、今までもね、部分的な折り畳みはあったんですよ。ソーラーパネル部分とかね。それを発展させたものなんだけど。」
ヒュウガの言葉に、うなづく。
「…そうだな、あるにはあるな。しかしなんだって全てのパーツを同じ形にしようなんて思ったんだ?」
「…うーん…そうだなあ…。」
ヒュウガはコーヒーを飲みながら考えた。
「…きれい、だから。」
残り二人は、少し呆れて笑った。
「あ、笑いましたね二人して。…いいですとも、見てらっしゃい。ほんとにきれいなんだから。」
「…いや、そうじゃないよヒュウガ。ただ、…人目につかない衛星をつくるときに、きれいっていう基準を持ち込んで考えるなんて大物だな、と思ったんだ。」
シグルドがあわてて言うと、ヒュウガはばっさり言った。
「その『大物』は『酔狂』と言い換えても多分さしつかえないんでしょうねえ?」
「まあな。…効率の面でも疑問だな。つまり『夜の半球』ができることになる、ボール型だと。それに観測器機の方向の固定の兼ね合いもあるから、全面を水にする必要性は薄いかもしれん。」
「…カール、油を注ぐなよ…。」
素早い返答にシグルドが額を押さえる。
「…だが用途によるな。通信ハブとか…衛星同士の関係を繋ぐ衛星なら全面アンテナや全面反射も使い用があるかもしれないし…それに星なんだから別に丸くてもきれいでもいいよな。」
更に言い足すと、今度はシグルドのお眼鏡にかなったようで、チェックなしだった。
ヒュウガは少し指先でばらばらの紙パーツをいじり、それから言った。
「…まあ、アイデアを出すのが企画班の仕事ですから。その活用方法は、運用班にまかせますよ。…とりあえずみんなが『わあvv』ってなるような可愛いの作りますから、あとはよろしく、カール。」
「そうだな。ヒュウガをしっかり出世させるんだぞ、カール。」
なぜかシグルドまで便乗して言ったので、
「…そのとき裏工作するのはシグルドだぞ。忘れるなよ。」
と申し付けておいた。
いつも、そういう夢を見ながら3人は生きていた。
「…ところでカールは何買ってきたんですか?さっきから気になってるんですけど。」
「ああ。」
思い出して、持っていた小さな包みをテーブルに載せ、そっと開いた。
「わあ、いいにおい。なんですか、これ。」
もともとこの品物のことを言い出したシグルドが答えた。
「煙草だよ。…これ、なんだか懐かしい匂いがするんだ。」
シグルドが包みに手を伸ばす。薄い最後のパッケージを破ると、甘いスパイスの香りがふわっ…とひろがった。
「煙草?! これがですか? なんだかお菓子みたいな匂い…」
「…ゆずってくれた将校が言ってたが、砂漠にあるラムズの王国は町中こんな匂いなんだそうだ。」
「へええ、ロマンティックですね…。…これ、本当に吸って大丈夫なんですか?」
「…まあ、ドライヴ…どころか風邪薬ほどでもないそうだ。」
「…」
シグルドとヒュウガは一瞬黙ったが、少しして一人ずつ「ニヤリ」「ニヤリ」と笑った。
「…じゃあ、夕食のあとに。」
「…そうだな。」
「シグルド、大丈夫ですかね?」
「…大丈夫だろ、『懐かしい』とか言ってるんだし。風邪薬飲んでるし。」
「大丈夫、大丈夫。こういうのは別。」
コーヒーは飲み干され、別の甘い香りで部屋は和んだ。
***
翌朝、部屋のティーテーブルには、ヒュウガが一気に組み上げた美しい多面体がそっと置かれていた。両手で持つと丁度いい大きさで、正確なでこぼこを持つボールは、高価な飾紙の地紋を浮き上がらせて、まるでなにかよくできた美術品のように見えた。なんとなく両手で抱えていると、起きたヒュウガが寝ぼけまなこで近付いて来て、そっととりあげた。
はまっていた細い短い針金を一本はずして、ヒュウガがそのボールを軽くひねるようにすると、多面体は正確につぶれて、片方の手の中に握り込めるほどの大きさの平らな星型になった。
「…すごい。」
その紙細工の精緻で可憐なアクションに、すっかり魅了された。
ヒュウガがにっこりして手を離すと、星はまたふわっと膨らんで、もとの多面体にもどった。
ヒュウガはもう一度針金で固定し、その多面体をテーブルに戻した。
にこにこしたまま、ヒュウガはシャワー室に歩いて行った。本人としても会心の出来だったようだ。
…テーブルには煙草の粉が少し散らばっている。
「ふあ〜、おはよう。」
シグルドが起きて来た。いつもより元気そうだった。
「コーヒーまだ少しあるよ。…飲む?」
「…帰ってきてからがいいなあ、シグルド。」
シャワー室に入りかけていたヒュウガが顔を覗かせて言った。
「…そうだな。夕方がいい。」
うなづいて言うと、シグルドもうなづいた。
「じゃ、帰って来てからにしよう。」
「うん、帰ってきたら、またな。」
「うん。」
…何が幸せだったというのでもないのだが。
そういう時間も、3人にはあった。