ジェサイアはどこまで酔っても何故か陽気にしかならない。多分根が陽気なのだろう。
ヒュウガはまったく見た感じ変わらない。ただ、飲めば飲むほど論理が冴えてゆく。
若死にした天才詩人でそういうのがいた、と何かで読んだことがある。
天才は天才で大変なのだ。
彼等はむしろ普段、物を考えることを抑制して生きているのだ、ということが、そういうヒュウガを見ているとよくわかった。
酔うとその抑制が外れて、思考の回転がとまらなくなるらしい。
酔っぱらったジェサイアがさんざん落書きしても死んだように潰れたままのシグルドを救出してベッドに運び込み、 ジェサイアの目に入らないように頭のてっぺんまで毛布を被せ…場に戻ると、ヒュウガが流れるような弁説で語り倒していた。
こうなるとヒュウガはもう止まらない。さしものジェサイアも「そろそろおひらきに…」と呟いていたが、 ヒュウガの言葉は一向に止まる気配がなかった。
「…おまえはいいな?ジェサイア。部屋に戻ればそれですむ。…俺はシグルドをベッドに運び、夜明けまでこの独演会を聞くというわけだ?」
ジェサイアの耳に口をつけて囁くと、ジェサイアはがっしり肩を掴んで来て、
「もちろんだカール、頼りにしてるぜ!おまえは本当にいいコだな!」
と、ヒュウガの台詞をなぎ倒すような大声で言い、ぶちゅーっと酒くさいキスをしてくれた上ちゃんと舌まで突っ込んで来た。
「…いつか殺してやる。」
「だははは!お前がそれを言わなくなったときが、俺の死ぬときだな! おまえは本当にやるとなったら、一言も言わずにやるんだろ!がははははは! そうとも、やるときゃ無言でこなすだけよ!んじゃ俺は妻子のもとに帰るぜ。チャオー。」
チャオー、と人の頭をがしゃがしゃ撫で回すと、ジェサイアは酔っているとは思えない身の軽さでサッと居なくなった。
そうしたやりとりの間もヒュウガのトークライブは続いていたのだが、ジェサイアが居なくなってしばらくたってから、 ヒュウガはようやく2〜3回瞬きして言った。
「あ、先輩は門限ですか?」
「…らしいな。」
「じゃあもうおひらきにしましょう。あなたに嫌がらせしてもしょうがないから。」
…一応嫌がらせだったらしい。
ヒュウガは空き瓶を持って立ち上がり、換気扇のスイッチをいじって、オンにした。
微かな羽音が部屋のぬるいアルコール臭をかき回す。
「…明日でもいいけど、朝臭うといやだから、グラス洗ってしまいましょうね…アルコールは…」
…以下、体内に入ったアルコールがどこで何に分解され、その分解済みの物質のいちいちが人体にどういう影響を及ぼし、 最後はどのような形で排出されるか…という意味のない説明が流麗に続いた。
ヒュウガはグラスを洗っている側にやってきて、説明に一段落つけてうふふふと笑った。
「なにそんな丁寧に洗っているんです。理科室のビーカーじゃないのですよ…」
返事をしないでいると、どうして理科室のビーカーはきれいにあらう必要があって、 このグラスはそれほど凝らなくてもいいのか、ということを懇切丁寧に証明しはじめた。
…明らかなのです、という文末に辿り着いたところで上手く口をはさむ。
「ああ、わかった。」
「言わなくてもわかるでしょ、あなた頭いいもの。」
「…そう思うなら言わなくていい。」
するとヒュウガは口を尖らせた。
「…カール、アリとキリギリスの正しい結末知ってますか?」
「さっきシグルドに教わったぞ。」
「あれは、途中でシグルドが酔いつぶれたために、未完なのです。」
ヒュウガはタオルを摘まみ上げて、洗物を終えた手をつつんでふいてくれた。 それからタオルをひらひらと広げて、くるくる回った。
…時々しらふのときもやっているので、驚くほどのことでもない。
「こっちへいらっしやい。」
座ったソファの空きスペースをとんとん、とやられたので、仕方なく隣にすわった。
「…あのね、ストレスのたまっていたアリどもが、キリギリスをもてなしたのには理由があったのです。」
ヒュウガはそう言って、手をのばして頬をくすぐってきた。ちょっと逃げると、余計に笑って、両手で頬を包んで…そのまま 固定した。
「…キリギリスはお腹をすかせてアリの巣を訪れました…。でももう羽もぼろぼろだったし…生殖っていう大仕事もすでに終わった後で… エネルギーも使い果たしていたし、足だって一本くらいなかったんですよ。」
「…」
「そんなキリギリスを見て、アリは可哀想に思ったでしょうか。いいえ、とてもその姿が魅力的だったのです。 そのぼろぼろな姿こそがね。…もう、狂気のように御馳走してやりました。だってねえ…。」
ヒュウガはくすくす笑った。
「…キリギリスはもうあまりいい音をたてることはできなかったけれど、とりあえず鳴いときました。所詮彼にできることは 音楽だけだったから…まあ、惰性ですよ。食ったら奏る、それが彼の人生だったのです。…それは人が言う程いいものではないし、 また人が言うほど悪いものでもありませんでした。ただ、単純にそう、だったのです。…だからアリにバカにされても たいして気にしていなかったし、アリのことはバカにしていたというより理解できなかったから、受け入れなかったのですよ。」
「…凄い話になってきたな…。」
「…でもねえ、キリギリスは…死を前にしてふと思ったのですよ。俺は結局何だったんだろうって。それでアリを見に行ったんです。 自分の知らない生き方の中になにか答があるのではないかと思って…。」
ヒュウガはそう言うと、何故かキスしてきた。ヒュウガは時々はんなりした女の子のような感じがするときがあって… 多分「何故」と今尋ねれば懇切丁寧に解説してくれそうだとは思うのだが、説明されると幻滅しそうな気もしたので、 聞くのはやめて…目を閉じた。
ヒュウガは唇を離して、低い声で言った。
「…楽しい宴会のあと、お腹いっぱいになってあったかくなったキリギリスは眠くなりました…それでもう眠ろうと思いました。 アリはみんな小さな体で近寄って来て…高い可愛い声でお休みなさいといってくれて…。ああ、最後に仲良くなれて楽しかったなあと思って、キリギリス は眠りました。もう起きる日なんて来なくていいやと思いながら…。そして実際ニ度と目覚めることはありませんでした。キリギリスはそうして最後に本当に生きるということを…自分らしく生きるということを悟ったのです。それは今という瞬間の幸福を謳歌し…感謝し…足りる…そんなようなことでした。…これでいいんだ…キリギリスはそう満足して静かにねむったのです。」
「…」
「…ところで、動かなくなったキリギリスはとっても美味しそうでした…そう、アリは雑食なのです。」
思わず目を開くと、ヒュウガは薄く笑っていた。
「…美味しい食べ物をたくさんつめたキリギリスのお腹の美味しかったこと!本当に御馳走したかいがありました。 キリギリス様は餌が足りなくてピリピリしていたこの帝国に、美味なる糧としてその尊き御身をお恵み下さったのです。…そのあまりの美味しさに、 『あきのきりぎりす』は、アリ達の伝説となりました。それからというもの、カチコチの全体主義民族、かつ働きバチとならんで冷血メカニカル労働者の代表と酷評されるアリは、怠け者の乞食音楽家キリギリス様を敬愛し、とてもとても慈悲深い心優しい生き物になりました。」
「…ヒュウガ…。」
思わず呼びかけると、ヒュウガはあはははと笑って頬にチュッとすると手を離した。
「ああ、なんと感動的ないいお話でしょう! これはまさに情けは人のためならず、という倫理的教訓なのです!あははははははは!」
そしてソファを立つと、陽気にくるくる回って、そのままばたっ、とベットに倒れこんだ。
「…ヒュウガ?」
「んー、私ももう寝ます。」
「そこ俺のベッ…」
ヒュウガはすーすー寝息を立てていた。
仕方なく溜息をついてヒュウガのベッドに運ぼうとすると、「いやーん、だめーっ」と寝言を言ったので、 諦めて自分がヒュウガのベッドへ行った。
「…それは情けは人の為ならず、じゃなくて、小さくて可憐でも肉食な場合もある…って教訓とは違うのか…?」
ぼそっとつぶやくと、シグルドかヒュウガかしらないが、どっちかが「んごーっ」といびきをかいた。