全てが滅茶滅茶に破壊された部屋で、何故かそれだけは無傷の木馬がゆっくりとゆれている。
壊れた壁の向こうには真っ青な空が見えた。
焦げた人形を拾い上げると、もろい手触りがして、持ち上げた腕がぽろっととれた。人形は床に落ち、さらに幾つかのパーツが壊れた。
その小さなニセモノの手を持ったまま、立ち尽くす。
こんなとき胸に沸く疑問や悲しみや怒りを、誰に問いかければいいのか…フェイにはわからない。
ふと気がつくと手がぬるついている。
見ると確かに人形だったはずのもげた手が、いつのまにか本物の赤ん坊の手に…
そのとき目が覚めた。
フェイは藁の布団の中から起き上がり、目をこすった。
寒い。
…見るまでもなく、シタンのベットはからだった。
溜息をついて起き上がる。早くどこかの火にあたろう、と、一気に布団をはねのけて、部屋を出た。* 朝の雪原アジトは冷えきっている。
夜通し火をたいても、かろうじてあちこちの器械の凍結が防げる程度だ。
通りすがりに見かけた桶の中の水は、薄氷どころの氷り方ではなかった。
「オーッス、フェイ。こっちは寒いな!」
今日もバルトの声は陽気で、フェイは少し不快だった。けれども明るく元気にしていることはいいことで…ということは不快に感じる自分がおかしいのだろうと思う。
「…おはよ。」
小さく手をあげる。
「お前もユグドラで寝れば?狭くて臭いけど、あったかいぜ。」
「…飯くった? 」
「とっくに。」
「何かあるかなー…ユイさんに聞いてみようっと。じゃあな。」
「フェイ。」
少し鋭い調子でバルトが呼び止める。
「…なんだよ。」
振り返って尋ねると、バルトは腕を組んで言った。
「おまえ覚えてんだろうな、今日例の島だぜ。砂の滝のとこもっかい行くってビリーと約束したろ?」
フェイはいらいらした。
「ああ、行くけど、後にしてくれよ。今起きたばっかで、だるいんだ。」
「…おまえいつもだるいじゃンかよ。」
「行くって言ってるだろ。…またあとでな。」
バルトをかろうじて振り切って、その場を立ち去る。
バルトはいい相棒だと思う。…こっちが元気なときには。
その朝のフェイは胸の中がいつまでも冷たい空の青に染まったままだった。* 「大丈夫よ、フェイ。そこに座っていてね。何か探して来てあげる。」
ユイはそう言ってフェイの額のあたりをさわさわと撫で、奥に姿を消した。
…ということは、すでに今朝の料理はなくなっているらしい。
雪原の食料事情はきわめて悪く、もちろん早い者勝ちだ。
けれども幸いなことに、既に昼食の準備が始まっている厨房は燃料をふんだん使って蒸気がたっていて、暑いほどに温かだった。
フェイはまだ幾分眠い気がしたが、胸に染みた冷たい青が、眠りを拒んでいた。
少ししてユイが、保存用のツチノコと、クラ−ケンの刺身を持って来てくれた。
「クラ−ケンなんか誰がさばいてるの?」
「ゼプツェン。」
「…バル爺さん元気かなー…」
「早くお上がりなさい。今お湯をもって来るわ。」
…当たり前に茶や菓子が出るのはもはやユグドラの中くらいのものだ。アジトではお湯でも十分にもてなし品である。
フェイはぐずぐずと食事をした。食欲は極端にない。
いつのまにかミドリが向いに座って、チュチュの遠い親戚の誰かと、もそもそ遊び始めていた。うきゅー、とか何とか人間語でない言葉で話し掛けられて、ミドリはほのかに御機嫌になっている。
(…でもここは俺の家じゃないんだよな。)
とフェイは思った。
(せんせいのウチ、だ。)
(俺はこういうあったかいところを、幾つ壊してきたんだろう…)
(こういうとこに俺がいる権利ってないのかもしれない…)
ぐすぐすといつまでも食事は終わらない。まるで苦行を行うように、刺身を噛む。
「ユイー、フェイを見ませんでしたか?…と、いましたいました。」
夫人の旦那の声がして、フェイは顔を上げた。ミドリが明らかに向きを変えて、登場した人物に背を向ける。
「あ…おはよう、先生。」
「おはようございます。…ビリーが探していましたよ。…御飯がすんだらお出かけですか?」
シタンはそう言ってにっこりした。
「うん…例の島に取り残しがあってさ。あそこは俺がいないとあぶないからね…。」
「若くんと三人で?それは結構ですね。お弁当は持って行かなくていいのですか?」
「…遠足に行くんじゃないんだよ、先生。」
フェイはあきれて言った。
「遠足だろうが仕事だろうが腹はへりますよ。」
シタンはほのぼの言った。
フェイはふん、と笑った。
ミドリは突然遊び相手をむきゅっと抱き上げると、とてててて、とどこかへ立ち去って行った。
「…なんかヤな夢でも見たんですか?」
静かに尋ねられて、フェイは目だけ上げた。
シタンは興味があるようなないような、ほのぼのした顔をしている。
フェイはなんとなくむっとして、目線を下げた。
「…シェバトってさ、思い返してみると、割れ目から空がみえたりしたんだよね、飛んでたころはさ。」
「…そうですね。」
「なんで修理しなかったのかなあって。危ないじゃん、ああいうの。人手たりなかったのかな。」
「…あれは女王が保存していたんですよ。惨劇を忘れないように…くり返さないように。」
シタンはとぼけてそう説明した。
むろん、フェイはそんなことはイヤになるほどわかっている。
「…忘れたほうがいいんじゃないの、だって全部覚えてたら、生きていくの大変だよ。だから人間って忘れるようにできてるんじゃないの?」
シタンは少し考えた。
「…そうですね。」
シタンにしてはやたらに簡潔な答えが返って来て、フェイはいささか拍子抜けした。しかし、シタンは言葉を続けた。
「…そのほうがいいのかもしれない。やった方だってキツイです。ああいうの目の当たりにするとね…。でもキツイことやったって自覚があれば、極力やらないよう努力するものですよ。他のやりかたはないかって、考えてみたりね…。」
フェイは少し考えた。
(…そうか。この人も「やった」ほうか。)
フェイは黙って食事を続けた。
「フェイ、きついですか?」
突然尋ねられて、フェイは眉を寄せた。 …答える義務はない。
「…あまり一人で背負う必要はないですよ。」
フェイはイライラした。
「…でもさ、俺がやらなきゃ、終わらないだろ。極力やらないようにっていったって、やらなきゃいけない場面ばっかじゃないか。俺は…やるしかないじゃないか。」
「…ええ。」
「…俺の中には悪魔が住んでいる。それはそれは凶暴な力さ。でも…みんなは実のところそれを望んでいる。その力を、自分の都合どおりに使うことを。」
「…そうですね。」
…拍子ぬけ。
「…あんた悪人だよ。」
「否定はしませんよ。…というかむしろ、あなたが…自分を悪魔よばわりするわりに、善人すぎるのです。」
「…」
「魔道の奥義書というのを見たことがあるんですけどね…まあ、イカモノではありますが…ただ哲学としては面白かったのですよ。…曰く、魔道の道は二つある。一つは善に徹し魂を浄化し、究極は光に溶ける事。もう一つは悪という悪をきわめ、最後は闇に溶ける事。…けれどどうでしょうね、フェイ。光も闇も、ごく自然な…物理的な…純粋な状態で…この世界の大切な構成要素ではないのでしょうか。…光と闇に、善悪はすでにないのです。」
フェイはぼんやりと聞きながら、食事を続けた。
「…理屈なんてさ、どうでもいいんだよ。」
シタンは黙って、言葉の続きをまっている。
「壊れたものを見るとさ、全部自分が壊した気がする。壊れたほうがマシだってものだって混ざってて、案外とラッキーって思ってる奴だっているかもしれないのにさ、…なんか自分が、大切なものばっか壊した気がする。それでもう二度と、取り返しがつかない気がする。」
シタンは黙っていた。
「…あとでそういう気持ちになるってわかってても、俺は壊さなくちゃいけないんだ。」
シタンは黙ったまま、何も言わなかった。
フェイはぼんやりと食事を続けた。
ようやく皿の8割が片付きつつあった。
あんまりシタンが黙っているので、フェイは顔を上げた。
「…きいてんの?」
「…そういうあなたこそ誰にいってるんですかね?酔っぱらいのグチだってもう少し相手を見ますよ。」
フェイはそう言われてはじめて気がつき、フォークを置いた。
「…ごめん、夢を見たんだ。あの…壁の壊れたとこから空が見える部屋で…木馬がゆれてて、人形が…俺が拾ったとたんぼろぼろ崩れて、俺の手に残った人形の手が…赤ちゃんの血まみれの手になって…。凄く…体中冷たくなるような夢で。…なんかずーっとヤナ気持ちだったんだ。」
「…フェイ、あの奥の部屋はとっくに閉めてありますよ。ドアを開けてごらんなさい。割れ目から壊れて、雪がなだれ込んでいます。…目の前の道を一生懸命進む以外に、我々に何ができるというのですか。」
フェイは溜息をついた。
「…最近オニだよ、先生。」
「責任をとれというのなら、私がとってあげます。…あなたはとにかく進みなさい。もう迷っている段階ではないです。」
「…責任?いくら先生だってそんなものとれないよ。…それにあんただって俺を利用したい一人じゃないか。あんたが何をしたいのか俺は今一つわかんないけどな。」
するとシタンは息を一つついた。
「…フェイ、もし十数年前の私が今のそれを言われていたら、あなたの足にロープか何かを結び付けて力任せに転ばせて、そのまま学校の中を引き摺り回したことでしょう。たとえ相手が地獄の池から私を引き上げてくれたという大恩のある、しかも私より背も高くリーチも長いつわものだったとしても、私は自分の矜持にかけてそうしたことでしょう。…でも私はあなたより一周り近く年上だし、ジェシ−先輩はいつでもわたしの無礼を許してくれましたから、わたしもあなたを許してあげましょう。」
それから少しにっこりして、フェイがテーブルに置いたフォークを拾い、残っていた肉をフォークにつきさして、静かにフェイの口元に差し出した。
「…おあがりなさい。これから遠足でしょ。」
フェイは謝らず、その肉を食べた。
シタンは続けて刺身をフォークですくい上げ、差し出した。
フェイは食べた。
そうしてシタンは皿がきれいになるまでフェイの口に食べ物を運び続けた。
*
「おせーよ!」
「おう。」
ぶーぶー文句を言いたげなバルトにそう短く返事をして、フェイはユグドラに乗り込んだ。ブリッジではビリーがシグルドと談笑していた。二人が入ると、二人ともこちらを向いた。そしてビリーがフェイの顔を見て、首を傾げた。
「あ、フェイ。おはよう。…大丈夫?僕は明日でもよかったんだけど…。先生にもそう言ったんだよ?」
「大丈夫。別にどこも悪くないし。あまり予定をのばすのもよくないしな。」
「無理しないでね…。」
ビリーの心配そうな顔を見ている間に、なぜか機嫌が回復しているのに気がついた。何だろう、と自分事ながら、フェイは訝しく思った。
「うん、きっと寝起きで血圧低かったのかもしんない。全然大丈夫。」
「ならいいけど…バルトなんかムカつくよーな事言ったんじゃないの?!」
「なーんで俺だよ!!先生じゃねーのか!?」
「いや、本当になんでもないよ。…シグルド、もう行こう。」
慌ててシグルドに振ると、シグルドは少し微笑んだ。
「…あいつも凶悪な男だからな。たまにはケンカにもなるだろう。」
「ケンカ?」
フェイは本気でキョトンとした。
「けんかなんかしないよ。先生は腹黒いけど俺に悪くはしない。…夢見が悪かったっていったら、御飯つきあってくれたんだ。」
「へえ、どんな夢?」
尋ねるビリーにかいつまんで夢の話をすると、ビリーはふーん、と言った。
「まあ今は壊さなきゃはじまんないよね。あの部屋が壊れたのも天の配剤ってやつでしょ。500年前にこだわってる暇があったら、明日の飯、だよ。…さ、行こうよシグ兄。」
「おっしゃる通りだな。」
シグルドはビリーに同意してから、船を出した。
バルトが近寄って来て、そっと耳うちした。
「…おまえさ、あんま先生にあまえんなよ。恥ずかしいやつ。」
うるせーよ、シグママバルトのくせに、黙ってろよ、と言って、フェイは気がついた。
(…俺が具合悪くなる時って、先生に会いたいときだ…)
そう言えば今朝、ベットにシタンがいなかった。
…ちょっと照れた。
キリリクでシタフェイ辛甘で精神的にエッチ、ということだったのですが…うーむ、ぜんぜんエッチじゃない。しかし辛甘にはなったような気はするので、納品させていただきました〜。/正月早々すごい出だしのSSですな…笑。