「おまえが『こんの大バカ者!』とか言い出したら、それは『自分が面倒みるしかないんだ』っていう、なんかこう、絶望的かつ甘美な決意の現れなんだな…。」
「…あなたが行きなさいよねまったく。」
「うーん私? 私はほら、若とか…若とか…若とかがいるから。」
シグルドが笑いながら差し出したキーを受け取るや否や、ヒュウガはバギーに飛び乗った。エンジンの爆音にかき消されそうなシグルドの声。
「駆け落ちするならバギーを餞別にくれてやってもいいぞー。」
ヒュウガが応えるかわりに思いきりアクセルをふかすと、シグルドはさらに陽気に笑って、手まで降った。ヒュウガは口をヘの字に結んだまま、荒野に飛び出した。
夜明けの空は薄曇りで、まだところどころ仄かに紫がかっていた。太陽は地平線のそばから清らかな光を放っている。緑の大地は緩やかな起伏を見せながら、視野いっぱいに広がっていた。美しい風景だ。人間のいかにちっぽけなことか…とかいう、まさにその光景だ。この広大な野ッパラから人一人捜せというのか。やれやれ。
きっと今ごろシグルドは面白がって「ヒュウガが血相かえてすっ飛んでいった」とか他人に話していることだろう。…だがかまってはいられない。今手放したらもう二度と会うことことはない…無性にそんな気がした。一人でいても能力的にはなんら不都合がない…それが彼の強みでもあり、弱みでもある。
一人のほうがいいのかとも思う。彼にとっても、自分達にとっても。そのほうが心安らかに過ごせるのかも知れない。お互いに。彼は相変わらず一部の人間に対してかなり神経質な接し方をしていたし、そのことで周囲がぎくしゃくすることもあった。しかしそれは本人も好きでやっているわけでは決してなかった。好きでやってるわけがない。あのプライドの高い男が、好きであんなみっともない態度をとるものか。
バギーのスピードを鑑みるに、ヒュウガの意識はいくぶん散漫だったといわざるをえない。若草色のマウントを縫うように進んでいった百幾つか目の左カーブに、突然探し人が現れたとき、脳の言語也が動くより先に手足が動いたのはまったく幸運だったとしか言い様が無い。
バギーは半分程も緑色の小山に乗り上げ、強引なブレーキ音とともに停止した。
彼はその騒ぎを鷹揚に振り返り、煩わし気に眉をひそめると、他人事のように言った。
「…こんないい風景に、汚いブレーキ跡を残すものじゃない。」
ヒュウガは少しむっとしながら大声でハキハキ応じた。
「まあギアに踏みつぶされてもゲートの爆発に巻き込まれていても生きていたあなたのことです。バギーくらい何程のものだ、とお思いになるのも無理はないですが、轢くほうの気持ちも考えてほしいなあ。」
「…来いと言った覚えはない。」
「命令される筋合いのことじゃないですから。」
二人は険悪な顔で黙りこんだ。
カーラン・ラムサスは決して譲らない男で、それだけはどんなに落ちぶれても変わらなかった。よく通る声で話しつつも、歩みよってくる様子はまるでない。
ヒュウガは仕方なくバギーをおりて、彼に近付いた。
「…どこへ?」
「…どこでもよかろう。」
「…どこでも、あそこ以外なら…?そういう意味ですか?」
いくぶん挑戦的なヒュウガの口調に、彼は眉をひそめた。ヒュウガは怒鳴りあう覚悟で立っていたが、返ってきた言葉は、静かなものだった。
「…他人と顔を合わせたくない。」
静かな、というよりはむしろ…。
ヒュウガは戸惑った。
「…まあ…そういうときも、あるでしようね。でもみんな心配していますよ。お散歩だったら何も夜逃げするように居なくならなくてもいいじゃありませんか。…それにこんな遠くまで来なくても。」
「他人が嫌なんじゃない。自分が嫌なんだ。…隔離したいんだ。」
彼はそう言って妙に遠くのほうを眺めた。
夜の空気はすでに消え失せて、きらめく朝日の照らす荒野は晴れ晴れと美しかった。温かい大地に密生した柔らかい芝の中には可憐な野菊が今を盛りと咲き乱れ、つめ草の白い花も登り行く太陽を浴びて甘い蜜の香りを放っている。全てが平和で活き活きと明るい。
けれどもその風景の中で、小山に乗り上げたバギーだけがひどく異質だった。戦いの傷と砂漠の砂によごれ、ブレーキ跡を黒々とめくりあげ…。それはひどく無惨な印象を与えた。
ヒュウガは眉をひそめた。
「…よしなさいよ、そういう言い方。」
「言い方なぞどうでもいい。」
「じゃあそういう考え方自体を改めなさいよ。」
「…」
いつもながら不機嫌そうな顔で、なにか言いたげに、彼はヒュウガを見た。
ヒュウガは鼻で笑った。
「正直に答えるんですよカール、いいですか?」
「なんだ?」
彼は不審そうに促した。ヒュウガはその耳もとに小さな声を吹き込んだ。
「私がむかえに来てくれて嬉しいでしょ?」
傲慢で頑固で手におえない旧友の、冷たく整った顔が、一瞬ぽかんとした感じになった。
ヒュウガはその一撃のヒットに内心かなり陽気になったが、こういうときはしゃぐと、鬼みたいに怒り出すのを良く知っていたので、極力平静を装って言った。
「…喜んでいただけて嬉しいですよ。願わくは、次回はもう少し近場でね。」
彼は一瞬何か言い返そうとしたが、途中であきらめたようだった。
返事の代わりに深いため息をついている。
ため息を。
ヒュウガはその背中を軽く叩いた。
温かい背中。昔、いつも見ていたその背中。
「…飯のおかずでも狩りながら、かえりましょ…ね?カール。」
腕をとって促すと、もう彼は逆らわなかった。
いつも女の副官を侍らせていたような人恋しい男が、一体どんなつらい決意をして、一人でここまで歩いて来たのだろう。
触れていると、彼がくたくたに疲れているのが良く分かった。
バギーの前で歩みが止まる。顔をあげると、彼がブレーキ跡の黒い部分を見つめていた。
「…しかたがないじゃないですか…いたずらに走っていたわけじゃなし…ましていたずらに停めたわけでもないのですから…。…あの土に咲く花だってありますよ。きっとね。」
横から見上げてヒュウガが言うと、彼は少し笑って、調子いいな、貴様は、と呟いた。
そして大人しくバギーに乗ると、シートに身を沈め、目を伏せた。
WILD HEART 11 と同時配布した「ただいまゲート攻略中/再発行の告知」の裏が白かったから急遽書いた話を「ちゃんと」しました。…つもり。笑。本人としては…。