5基並ぶリアクターのうちの一つに色のついた液体がつめてあり、その緑色の光のなかに、旧友がいた。
筋肉がおちて別人のようにやせている。苦悶の表情のままかたく目をとじたきりの顔…。土気色の死体のような膚…。筋のういた首…。骨の浮き出る胸…。…腹部は大きく破損していた。蘇生しかけの内臓組織にナノマシンが光の筋を作っている。骨盤は生きている人間特有のつややかな白さをみせていて、絡み付く血管もかすかに鼓動を打っていた。下半身は自前ですみそうだ。
みているうちに医者としての思考回路が動き出した。ヒュウガはその思考に沿うことで、衝撃をなんとか遠くへ追いやった。
「…あとどのくらいで蘇生するのですか?」
「2週間。…ソレ以上は防腐剤に負けてヒフがヤラレル。…まあ、間に合うだろう。鍛え方が違うから。」
「…意識は…」
「眠りは正常だ。ちゃんと時々夢なんかも見たりしているらしい。多分脳は異常なし。」
「…運動能力の回復は…」
「本人次第かな。…遅くてもひと月くらいだろ、負けず嫌いらしいから。」
「…なおるんですか。」
「なおるとも。この程度なら、技術は確立されている。来週の末には筋肉もかなり回復してるはずだよ。目も開いてるだろうから、見に来たら?…見つめあってガラス越しに語れるよ。ははははは。表皮が再生したら見栄えもよくなるし、素晴らしいオブジェになってくれそうで楽しみだね。素敵な水中花だ。…どう?珍しいだろう?」
…医者の冗談は壊れている、とても笑えたものではない、と…誰かに言われたことがある。
(私もこんなことを言ったりして生きているのだろうか。こんな…500年も生きて…神経がすり減ってしまった人間のようなことを…。)
「…キレイに治してあげて下さい。キレイな人ですから…。」
「ボディのほうは心配ないよ。」
「…心も。」
「管轄外だ。」
…この会話が、水の中のこの人に聞こえていなければいい、とヒュウガは思う。
「…そうですね。ミアン女史がなんとかするでしょう…」
…ガラスのケースに手を触れて、何か言ってやりたかった。まったくバカなんだから…とか。こんな無茶ばっかりして…とか。…生きてただけでめっけものですよ…とか。…違う。
…やあ、上と下にわかれちゃった気分はどうです?…とか。…何ですかこんなんなっちゃって、理想はどうしたんですか…とか。…いつかきっとって、約束したじゃないですか…とか。
(違う、違う。)
…大丈夫ですよ、と。助かったのですよ、と。心配しなくていいですよ、と。治りますよ、と。
聞こえなくてもいい、ただ、そういってやりたい。
違う、そう言いたい。言えば自分が安心できる気がする。
ヒュウガは踵をかえしてリアクターを離れた。カレルレンの前で隙を見せるのは危険だ。…醜態を晒すのは、部屋にもどって一人になってからでいい。
ふと目を上げると、カレルレンが女のような目でじっとヒュウガの様子を観察していた。
その目の色が何なのかヒュウガには直感的に理解できた。
(…きわめて純粋かつ冷静で悪意のない好奇心…)
「…友達なんだろう?冷たいんだな…。」
カレルレンはそう言って、口元だけで薄く笑った。
「…若い頃友達がいて、よく大怪我してきて…それはこんなすごい怪我じゃあなかったが、みんな大騒ぎしたものだったよ…。君は冷たい男だ。陛下にそう報告しておこう。」
そのとき不意に、ヒュウガはこの男が「ただ面白がって余興に」自分に傷付いたカールを見せたのではなく、むしろ「同好の志として厚意から」見せてくれたのだと理由もなく直感した。
こみあげる苦いものを押し殺して、ヒュウガはニヤリと唇の端をつりあげた。
「…お人が悪い、閣下。」
「おまえに言われたくはないよ。」
歌うように優雅に応え、カレルレンは手許のスイッチで入り口を開けた。
「…お帰りはあちら。」
ヒュウガが口まねしてそう言うと、カレルレンは何が面白いのかふふふふと静かに笑った。
「君のそういうセンス好きだよ。」
「…アフロダインでしたっけ。スカートでもつけときますよ。」
「ああ、よろしく。」
部屋を出て、ヒュウガは明るい廊下を真直ぐに進んだ。
旧友の名前をもらしそうになる口をきつくつぐんだまま、ただ真直ぐに進んだ。
あの男の考えていることが察知できるのは、多分自分に同じ部分があるからなのだ。
だから今日のことは忘れてはいけない。
ヒュウガは奥歯を噛み締めたままそう自分に言い聞かせた。
(いつかあの人物にバッテン印つけなくては…自分でやるのが無理なら、誰かを利用してでも。)
(…そうしないと…。)
(…そうしないと…)
ヒュウガの認識コードを打ち込めば、今や開かない扉はほとんどない。
手を尽して開けないファイルもまた、ない。
そこまで歩いて来た。自分の足で。…いろんなものを捨てて。身軽になりたくて。…捨てざるを得なかったときもあった。
けれども今、捨ててしまってはいけない何かがある気がした。どんなに邪魔でも、そのために苦しめられ、立場が悪くなり、得たものを失ったとしても、決して捨ててはいけない何かが。それを捨てたら、もう自分が自分でなくなってしまう大切な何かが。…そもそも捨てられない、捨てたふりをしてはいけない何かが。
今飲みこんだ旧友の名前も、少しどこかがそのなにかに触れている気がした。
最後までそれを抱えたままいくべきなのだと思う。それがなくては…勝っても、辿り着いても…意味がない。
ゲブラーの極秘資料はやすやすとその全貌をヒュウガの前にさらす。旧友の最終任務の記録は恋人の副官の名で提出済みだった。そこで一つの名前とヒュウガは出会う。大帝と渾名された旧友を踏み散らかした不遜の輩の名…「エルルの悪魔」…14才の…少年。
いつかこいつと一戦やるか…それともこいつの力を利用して何かを為すか。いずれにしろどこかであいまみえることになるだろう。…そのとき決してあなどってはいけない。カールを、死体にしかけた少年だ…14才で。
ヒュウガはその名前を胸に刻んだ。
全てを無くしたあの少年の日から今も変わらぬこの気持ちで。
(みてろ、いつか、みてろ、きっと、いつか必ず…)
今日もまた、同じ気持ちで。