暑い午後だった。
…いつものように、と付け加えたほうがいいのだろうか。
南国の日射しは、年中こんなものだ。
殊更に暑いと感じるとき、ジェサイアはたいてい心のどこかで寒い故郷のことを思っている。
故郷のことを考えていたのは、また何処だかから来たという留学生の扱いに困った国立大学の学生課が、ジェサイアにその研究者の後見を頼んで来たからだ。…ここではよくある話だ、他所者同士でくっつけられてしまう。まあいい、最近ここの国では新種の凶悪な風邪が流行って、本国からの仕事がとぎれている。現地滞在員は、暇だ。
紹介された学生は、時間通りに事務所にやって来た。ちょうど運河を貨物船が通り抜ける騒々しい時刻だった。長身をかがめて入って来たのは、やはり実家が寒いところにありそうな、白人だった。
「カーラン・ラムサスか?話は聞いてる。俺はジェサイア・ブラックだ。ジェシ−でいいぜ。」
「はじめましてジェシ−。…ここで部屋やアルバイトを紹介してもらえるかもしれないと大学に聞いた。」
「…部屋はまあ探しゃあるが…バイトは過酷な日雇いの類いだぜ。風邪の話は聞いてるだろう?今ここの国は例の風邪でヤバいからな。どうしても手を休められない家畜の世話とか、この炎天下で一日屈む農家手伝いとか、そんな仕事ばかりだよ。おまえさんみたいなインテリにゃ無理だ。それに風邪の感染源には豚が指定に入ってる。慣れない農家の手伝いはマジでヤバいぜ。もし貯えが少しでもあるなら、部屋でじっとしてたほうがいい。俺のお国なんざ、渡航禁止にしちまった。おかげで暇でよ。」
「…ああ、私の国も、わたしが乗ったのが最後の便だった。…すまん、私の国では、現地滞在員を引き上げてしまったらしくて。」
「…だろうな。俺も帰って来いって言われてる。」
「帰らないのか。」
「…うーん、なんかめんどくさくてよ。ほらこんなに日焼けしてるし、本国帰ったら何いわれるかと思うと、どーも腰があがらねえ。」
「…そうか。」
バイトは今は無理と言われて、カーラン・ラムサスは少し困ったようすで黙り込んだ。
「…なんでえカーラン、金がねえのかよ。」
「…カールでいい。…いや、なんとかなるだろう。食料さえあれば当座は持ち物で凌げる。あの、大学で学生寮にはいる予定だったんだ。だが、例の風邪で寮が封鎖になってしまって、…寮費は払い込んであったのに、入れない。」
「そりゃ難儀だなあ。そうか、それで大学も困ってたんだな。研究室も封鎖だろう?」
「ああ。」
「まいったねえ。…じゃ、とりあえず俺んとこに泊るかい?狭くて汚いが、一応エアコンついてるし。空気でふくらますスペアベッドもある。家賃はバイトがきまってから、日割りでいいぜ。」
留学生は身元がきちんとしているし、ジェサイアはこうしたことはしょっちゅうで、先月などは女子学生を泊めていたほどだ。出て行ったあとも遊びにくる連中だって多い。
「…いいのか。」
「そっちがいいなら。」
「助かる。頼む。」
「よし、じゃあ荷物もってこうぜ。バギーがある。…遠くから来たんだ、疲れてるだろ、この暑さだしな。」
ほっとした顔になっていたカーランは、そう言われて、初めて暑さに気付いたかのように、汗をぬぐった。*** 一緒に暮らしはじめると、カーランはちまちまとよく働いた。何時の間にか食事は全て彼がつくるようになり、しかもなかなかいい腕だった。ぼんやりしているうちに、汚かった部屋が妙にきれいになり、イマイチの効き方だったエアコンはパワフルになっていた。詰まっていたシャワーの蛇口もなおっていたし、洗濯物にはアイロンがかかるようになった。
カーランはどちかといえば無口な男だった。その端正な横顔で黙り込まれると、何やら妙に冷たい印象を与えた。幸か不幸か、ジェサイアは煩い相手には神経が尖るが、静かな相手がいくら冷たくても一向に苦にならないタイプだったので、いつもどおり普通に接していた。カーランもその図々しさに負けたのか、自分からはなにも言わなかったが、話し掛けられればそれなりに口をひらくようになった。
「なあカール、大学には何を研究しに来たんだ?」
「…調査のためのシステムを組みにきたんだ。ネットワークとセキュリティも強化して…。私が国にいたとき行ってた大学と、ここの大学はずっと共同研究をしていて…。」
「ああ、助っ人にきたのか。」
「うむ。だが、開発も風邪でストップしたままだ。」
「何の調査だ?」
「…電磁波関係だよ。」
「へえ。科学者か。」
「…技術者も兼ねていて、今回は技術者として招かれた。」
「…ふうん。よくわからんな、おれには。」
「あんたは普段はどういう仕事を?」
「俺か。うーん、留学生やこっちに仕事に来てるヤツの世話したり、必要ならガイド自分でやったり、めんどくさけりゃガイドさがして紹介したり。通訳とか紹介したりな。ホテルとってやったり。必要なら運転手もやるし。外務省に情報も流してる。ま、たいした情報じゃねえけどな。」
「役人ではないと聞いている。」
「ああ、民間人さ。つーか、団体職員てヤツ?…まあその団体は、あとになってから外務省がつくってくれたんだけどな。もともと勝手に仲介料とってコーディネイトしてただけだが、ここの国にそういう同国人ほかにいねえから。政府が俺を嘱託ってことでお買い上げさ。おかげでクーラーがついたよ。」
「…ノート機一つもちこんでいないので、今暇なんだ。よかったらあんたの仕事をてつだおう。…その、家賃、遅れそうだし。食事も頼りっぱなしだし…。」
「気にするなよ、ここの国じゃよくある話さ。…でもひまなら一緒に事務所に行くか。タイプでも打ってくれりゃ助かるし。もっとも事務所も暇だけどな。」
「…掃除も得意だ。」
「ありがてえ。俺は苦手だ。」
そんな話をした日、ジェサイアのもとに大学から連絡があった。…このまま夏休みに突入するから、ラムサス君を宜しく頼む、という連絡だった。*** ジェサイアは付き合いでも独りでも、かなり酒を飲むほうだ。陽気な酒であまり人に迷惑はかけていないはずだと思っていたのだが、ある朝突然、カーランにきつく注意された。何事かとおもったが、シャワー室に押し込まれて…見てびっくりだった。体中に口紅で落書きしてあったのだ。シャワー室を出たあと尋ねると、「貴様に強制されて俺が書いた」という答だった。ジェサイアが頭を掻いて「断れよそういうときは」と言うと、かなり感情的な調子で「酒をやめろ!」と叱りつけられた。…そんなにめくじらたてなくてもいいのに、と思ったが、朝食代わりのフルーツを食べているカーランの腕に、消え残った口紅の跡を見つけて、ようするに書き合ったらしいと気がつき、さすがに青くなった。
…預かり物の留学生を、ひょっとして傷物にしてしまったらしい。
今まで誓って言うが、そんなこと一度もなかった。かわいいな、と思っていた女の子を預かっていたときだって、そんなことは絶対にしなかった。(口紅は多分その子が忘れて行ったやつだろう。)それなのになぜ突然男子学生を相手にそんな遊びをしてしまったのだろう!
黙ったままコーヒーをついでくれるカーランに、ジェサイアは謝った。するとカーランは言った。
「…まったく、たちが悪い酔っ払いというのは貴様のことだ。」
いつもどおりのその冷たい罵りが、いつになく胸に突き刺さるジェサイアだった。*** 事務所でもカーランはちまちまと細やかによく働いた。
ちょうどカーランが事務所に来始めたころに、隣国との間にも、国際保健機関の手によって非常線が引かれ、2人の滞在する国はほとんど完全に封鎖された。風邪は猖獗をきわめ、おりからの猛暑とも相まって、老人と乳幼児を筆頭に死体の山を次々と築いていった。食料と衣料品は厳重に管理された状態で輸入されていたが、…国は少しずつ痩せていった。
その非常線の関係でジェサイアには仕事が転がり込み、普段なら不眠不休のところだったが、カーランが手伝ってくれたおかげで随分と楽ができた。また出入りの連中もそんなカーランに気がついて、随分有能な助手をやとったものだと一様にジェサイアをうらやましがった。
…いつのまにかカーランはジェサイアの助手ということになってしまっていた。
確かに有能な男だった。タイプ代わりにあずけていたパソコンをある日のぞいたら、3世代分くらい一気に進化していた。市場で買った中古部品で改造したのだという。ジェサイアは「さすが専門家だな...」と感心するばかりだった。
「おまえさんは将来はなんになんのよ。」
カーランに尋ねると、カーランはしばらく黙り、それからぼそっと言った。
「俺は…俺の将来が想像できない。」
ジェサイアはあきれていった。
「想像できないって…じゃあ何もかんがえてないのか。そんなにインテリのエリートさんだってーのに。役人は?研究職は?興味ないのか?」
「…修士をとったら博士を考えている。…時間伸ばしだが…まあいいだろう。何もしないより。」
「…好きなことをやりゃいいんだから、難しくかんがえるなよ。今だって十分一人でなんでもできるっていうのに。なんなんだい、おまえさんは。なんか夢とか野望とかないのかよ。」
「…ない。」
「ずっと?」
「…子供のころはあった。パイロットとか、トレーラーの運転手とかになりたかった。」
「…乗り物がすきだったんだな。」
「ああ。」
「パイロットはいいね、なんか向いてる。航空学校へいけばいいのに。」
「…今は興味がない。」
「なんでなくなっちまったんだ?」
「…子供だったから飛びたかっただけだ。だが人間は飛べないだろう。だから飛行機、ただそれだけさ。」
「…ほかに夢は?」
「ない。」
「…」
ジェサイアはその機嫌のわるそうなカーランの横顔を眺め、こいつはひょっとして、何か大変な出来事があって、それっきり立ち直れていないのかもしれない、と根拠もなく思った。
「お国に彼女はいないのか?おまえさんみたいな男なら、女はいるだろう。」
するとカーランはじっとジェサイアの顔を見た。
「…あんたは?」
ジェサイアはうなづいた。
「ああ、俺は国にカミさんがいるぜ。ほったらかしだけどな。」
するとカーランは難しい顔になった。
「それはよくないことだ。…生きているうちだけだぞ、彼女と愛し合えるのは。」
ジェサイアはカーランをのぞきこんだ。
「まあな。でも…お前はどうよ。おきっぱなしだろ。」
「…彼女は死んだ。事故だった。」
ああ、…そういうことだったのか、とジェサイアは思った。この無口さや暗さや険しさは、恋人の死の影か、と、ジェサイアは疑問ももたずに納得した。…ジェサイアはほったらかしでも妻を愛している男だったし、その妻がいるから浮気など考えたこともない。女性関係に関しては見かけによらない真摯な男だった。
「…そうだったのかい。思い出させちまって悪かったな。」
「…いや、もう随分前のことだ。いい加減忘れなくては。」
「…忘れちゃいけねえ。忘れるんじゃなくて、胸のどっかにひっそりしまうんだ、大事にな。忘れちまっちゃいけねえぜ。お前の心を切って捨てることはできない。どんなにつらくてもな。」
ジェサイアがそう言うと、カーランはまたじっとジェサイアを見た。
…なんともいえない切ない目で、見られた。
ジェサイアはカーランの肩を叩き、軽く抱きよせた。*** 病院の庭に穴が掘られて、死体が埋めはじめられるころになると、日雇いバイトの項目には「墓掘り」という職が加わった。ジェサイアもカーランもかり出されて、何度かそれをやった。町の人口はここ一週間でも目に見えて減っていた。
「…ペストなんかの流行も、こんなだったのかねえ。」
「…ああ。そうかもしれない。」
部屋に帰って神経質に手を洗い、マスクは捨てて新しいものを用意する。
食料は配給制になっていたが、ジェサイアのところには外務省から差し入れがとどいていて、空腹をおぼえることはあまりなく…多分そのおかげで2人は感染を免れていた。…スラムは人口が半分になったときく。
「…おまいさん、ここ来るとき、とめられただろ?空港で。」
「…ああ。」
「…最終便なのも自分で知ってて、来たんだな。」
「ああ、そうだ。」
「…死んでもいいって気持ちがどこかにあったのか。」
ジェサイアが尋ねると、カーランはだまってジェサイアの顔を見た。
「…そうじゃなく?」
もう一度ジェサイアがきくと、カーランは口をひらいた。
「…どうなのだろう。心のどこかに、そういう投げやりな気持ちもあったかもしれないな。だが、…正直言って、今は怖い。…あんたは?投げやりな気持ちはないのか?」
「俺はねえよ。ただめんどくせえだけだ。どうせ本国に帰ったって2週間は隔離されるらしいしな。それにここにいたほうが、役に立つ。国にかえったって、カミさんの足引っぱってごろごろしてるだけさ。」
ジェサイアの妻は医者だ。大きな病院でしかるべき地位にある。…言わずにおいた。…言ってもはじまらない。
「きっと奥さんが心配しているだろうに。」
カーランは言った。ジェサイアは肩をすくめて首を左右にふっただけだった。
事務所にはまだ訪問者があり、仕事もそれなりにあった。ジェサイアの国はここの国の元宗主国で今は「血を分けた同盟国」の関係にある。ここの国に医師団の派遣と薬の援助を決定した。その受け入れのことでまたジェサイアの事務所は忙しくなった。他にも援助を決めた国はいくつかあり、カーランの母国もまた、ボランティアスタッフの派遣を決めていた。
カーランもすっかり事務所の仕事が板について、「当分ここにいてもいいだろうか」と言い出したので、ジェサイアはカーランにバイト代を出すことにした。外務省にそう言うと、援助額を増額してくれた。
本国からの荷物の中に、ジェサイア宛の小包が入っていた。妻が食料品や消毒薬、マスクなどの消耗品、日用品などを送ってくれたらしい。手紙には衣服や家具の消毒方法が書かれていたので、そのままカーランに見せた。カーランは指示通りに布巾を茹でたり、シーツを日に晒したりした。ジェサイアの故郷からおくられてきたビタミン剤や栄養剤をとって、2人は恐る恐る生きた。*** やがて各国から派遣されたボランティアで、町は妙なにぎわいとなった。
他国の連中もあちこちから紹介をうけて、ジェサイアのところにころがりこんできた。その度にジェサイアとカーランは部屋をさがしてやり、掃除業者を手配してやり、貸し布団やら安い雑貨屋やらをさがしてやり、道案内をしてやり、簡単な地図を書いてやった。ときには世話した連中が礼に酒を持ち込むこともあり、5人とか10人とかで小さなパーティーになる日もあった。
困ったことに酒を飲むとカーランに悪戯してしまう悪癖はどうがんばってもなおらなかった。しかもそれは毎回エスカレートしているらしかった。しまいにはカーランのほうが慣れてしまい、ついに文句も言わなくなった。一緒のベッドで目を覚ますこともあったし、そんなときはたいていどちらも服を着ていなかったが、カーランはたとえそういう朝でも、別に何も言わなかった。勿論、だからといって日々睦言を言い合ってフレンチキスに浸るとかそういう類いのこともなかったが。
カーランの母国からボランティアの一団が到着した日、宿泊所に手違いがあったとかで、男が一人転がり込んで来た。夜すっかり日が暮れてから、事務所をしめるぎりぎりのところだった。
「おう、宿がねえのか。そうか、今けっこう滞在者多いからな、どっかの会館にもぐりこめば一晩くらいはなんとかなるぜ。」
「旅団23人を2人ずつわけてやっとあちこちに潜り込ませたところなんですよ。わたしが最後に一人あまっちゃいまして。というか自分のことわすれてましてね〜たはは。こちらのコネクションでなんとかなりませんか。おねがいします〜。とりあえず今夜だけでもいいですから〜。」
奇妙な男で、カーランと国籍は同じでも、まったくの別民族なのはすぐにみてとれた。救急隊員の資格をもっているとかで、眼鏡をかけ、茫洋とした面立ちをしている。シタン・ウヅキ、と名乗った。…肩に垂れた褐色の髪が、まるで死神のようだ。縁起でもない。
用事ででかけていたカーランが帰ってきたのをつかまえ、ジェサイアは言った。
「…カール、今日明日一人ふえてもいいかよ?」
「…ああ、かまわんが。でもベッドどうする?」
「お前のいる部屋のソファ、崩せばベッドに早変わりなんだ。」
「そうか、わかった。」
カーランが受け入れたので、ウヅキを指して紹介すると…カーランは少しの間黙り、それから長い睫のついた白い目蓋でゆっくりと瞬きした。
「…知り合いか?」
ジェサイアが確認すると、カーランはうなづいた。
「…ウヅキか。」
「…お久しぶりです、カール。…医療スタッフとして来ました。」
「…御苦労様。」
「…システムのほうはどうですか?」
「大学が封鎖されてて、コンピューターにもアクセスさせてもらえない。」
「それはそれは…。」
2人は「顔見知り」のテンポで言葉をかわした。ジェサイアは少し安心した。カーランは難しい男だ、宿泊客なら知合いにこしたことはない。
「じゃあ決まりだな。狭いが、我慢してくれウヅキ。」
「感謝しますジェサイア。」
「ジェシ−でいいぜ。」
「じゃあわたしもシタンで。」
ウヅキはその日最後の客だった。3人は事務所を閉め、帰途についた。*** ウヅキは陽気な男で、話好きだった。カーランとは対照的といってもいいほどだ。
…ちゃっかりしていて、酒なんぞを持っていた。この時勢に。要領がいい。
「いや、なに、夕食の残りですよ。」
などと、無茶苦茶を言う。話題も多岐に渡っていて、面白い男だった。
ジェサイアは酒を酌み交わしてウヅキと陽気に話し、カーランの作ってくれた食事を半分ほど食べたところで、なぜか酔いつぶれた。酔いつぶれるなどあり得ない量しか飲んでいなかった。カーランが「まさか」と言って心配し、ベッドに運んで身の回りすべてを消毒してくれたのをなんとなく覚えている。…だがあとは駄目だった。
目がさめると、朝になっていた。カーランが隣に潜り込んでいて、肩のあたりにくっついて眠っていた。
起こそうとして、ゾッとした。
カーランの体中に愛撫のあとが残っている。愛撫…というか、傷跡も混ざっていた。
…やべえな、と、さしものジェサイアも思った。
「カール、起きてくれ。」
声をかけると、カーランは目を覚まし、ジェサイアの顔をみて、しばしばと眠そうに瞬きした。琥珀色の瞳が日に透ける。カーランは美しい男だ。ジェサイアはいつもそう思う。カーランは溜息のようなうなり声のような音をたてて、寝返りをうって仰向けになった。
「…ウヅキは一時間ほど前に送りだしておいた。やつの宿を今日中に手配しよう。」
「俺はどうしたんだ、カール。」
「…風邪かと思って心配したが、そうじゃないらしい。ウヅキが診てくれた。ウイルス判定は陰性。…多分疲れがでたんだろう。酒が回り過ぎただけだ。」
「…これ俺か?!…ウヅキなんか言ってなかったか?」
カーランの白い体にくっきり残る痣の一つにさわって尋ねると、何故かカーランは苦笑した。
「今更。…みんな俺のことをあんたの愛人だと思ってる。」
「えええ?!」
「ウヅキもそう思ってた。…ほうっとけ。どうせ今日中に追い出すんだから。」
…何故かその台詞の後半には、ギラリとした切れ味があった。*** 探していた通訳が見つかったので、臨時の隔離施設になっている教会の礼拝堂に連れて行くと、そこがたまたまウヅキの担当施設だったらしい。ウヅキが元気に仕切っていた。ちょっと手をあげて近付くと、ウヅキはにこにこした。
「お早うございます。すみません。急いでいたので挨拶もしないで出てきてしまって。」
「いや、わかってる、気にしないでくれ。…昨日は悪かったな、先に寝ちまって。」
「いいんですよ。」
「…なんとか眠れたかい?」
「ええ、ぐっすり。快適でした。やっぱりクーラーですよね。…ジェシー、今時間があるのでしたら、少しお話したいことが。」
「ああ、かまわないが…なんだ?」
ウヅキはあたりをさりげなく見回し、そして言った。
「…ここじゃなんですから、ちょっと中庭へ出ましょう。」
ジェサイアは了承し、2人は庭へ出た。
壁際の木がつくる木陰にジェサイアを誘って入ると、ウヅキは言った。
「…ジェシー、カールは、実は2か月前恋人を亡くしています。」
「…女が事故で死んだとは聞いていた。…そんな最近だったとはな。」
ジェサイアがうなづくと、ウヅキは更に続けた。
「…犯人は捕まっていません。」
「…そうなのか。」
「…警察は、犯人は国外逃亡の可能性があると。」
「そりゃまた難儀な…あ、ひょっとして…ここの国に?」
ウヅキは少し考えるような仕種をしてから、言った。
「…ここは現在封鎖されています。逃げ込んでしまえばおいそれと追っ手が入ってくることはできない。逃げ込むにはもってこいです。」
「…なるほど。」
「カールはすれすれで飛び込んだみたいですね。」
「ああ。あいつの乗ったのが、通常便の最後だったらしい。」
ウヅキはそれを聞くとうなづいた。
「…そうですか。…ジェシー、外務省の友達が、あなたは情報機関とも多少のやりとりがあると言っていましたが本当ですか。」
「ああ…いや、大した情報は流していないが、まあ知り合いだ。」
「…国で、カールのいた研究室は、ここの大学の研究室と合同で、電磁波関係の研究をすすめていました。なくなった彼女も、そのスタッフの一人でした。」
「へえ。」
「…彼女、情報機関に関係していたんです。…どういうことか、何となくわかるでしょう?」
「…」
「…彼が無茶をしないように、見てあげてください。…なんだか、今、恋人…なんでしょあなたたち?」
ジェサイアは困って、肩を竦めた。
「…おれは国にカミさんがいるんだけど。」
「…でも今は。」
「…わからん。だが酔っぱらうとどーも悪戯しちまうんだよ。なんでかな。」
「それはよっぽど激しい欲求を抑圧していますね、あなた。たまにゆっくりしたほうがいいですよ。」
「そうか??」
「…まあ男同士で何したってどうなるわけでもなし。たまにはシラフで抱き合ってみたら。案外何か突然告白されるかもしれませんよ。」
「おいおい。」
「…お忙しいところ、お時間とらせてしまいました。…カールを見ててください、お願いします。」
「ああ、わかった、心がけとくよ。…そうそう、あんたの宿も今日中にさがしておくから、帰りに寄ってくれ。」
「はい、お願いします。」
ウヅキはにっこりした。*** こんなことは初めてなのだが、宿がなかった。
いくら混雑しているとはいえ、ジェサイアはわりに顔が効く方だ、ホテル側もいつもなら多少無理をしてでも便宜をはかってくれる。。
それがどうしたことか、全滅だった。
カーランは機嫌が悪くなった。
このままだと今夜もウヅキがジェサイアのところに泊ることになる。
「…カール、お前…ひょっとして、あいつと仲悪い?」
「…別に。」
「お前がそんなに嫌がるんでなけりゃ、別に部屋がみつかるまでウチにおいてやってもいいんだがなあ。…あいつとどういう知り合いよ。」
「…あいつ、医療スタッフのボランティアで来ているといったな。」
「ああ、救急隊員の資格があるとかなんとか。」
「…あいつは、システムエンジニアだ。大学のホストコンピューターに繋がってる。」
「へえ。すげえな、若いのに。」
「…16で最初の博士号とってて…まあ、有名人だ。…おれたちのところの大コンピュータは…『カイン』だ。聞いたことくらいあるだろう?」
「…生きてるシリコンの脳ってやつだな。」
「そうだ。…ウヅキは『ご寵愛』を受けててな。…俺の死んだ恋人と同じ研究室にいたんだ。」
「…あ。恋敵?」
「…違う。…あいつ…」
カーランはそこまで言うと、黙ってしまった。
「…そうか。なんか遺恨があるわけだな?」
ジェサイアが確認すると、カーランは首をふった。そして言った。
「…機密なんだ。すまん。…あんたにぶちまけたいのは山々だが…。」
そして辛そうな顔になり、ジェサイアを見上げると、もう一度小声で「すまん」と言った。*** 「恋人同士の幸せな夜をじゃましちゃってゴメンナサイv」
ウヅキは陽気にそういって、その日もジェサイアのところに泊った。カーランはあからさまに嫌な顔をしたりはしなかったが、やはり少し眉間が不機嫌だった。
「あ、そうだカール、…なんか国からね、明日物資が届くらしいですよ。一緒に行ってネコババしません?」
ウヅキがさそったが、さらに眉をひそめて丁重に断っただけだった。
「ネコババは不味いぜ、シタン。このご時勢によ。…何しにきたんだいまったく。」
ジェサイアが笑って言うと、シタンはアハハと笑った。
「…物資が来るってことは、誰かついてくるんでしょうねきっと。現地スタッフ撤退しちゃってるし。戻ってくるかな、シャーカーン大使。それともヴァンダーカムあたりが来るかな。」
「…」
カーランは答えなかった。
「おまえさん外務省に顔きくんだな?」
ジェサイアがウヅキに言うと、ウヅキはにこにこうなづいた。
「…うちんとこは国の制度が特殊ですからね。帝大は政府直結ですから。学校の先輩とか友達が政府にたくさんいます。」
「そういや以前カールにもきいたが、あんたはずっと研究職のままかい?それとも大学をいつかは出て行くつもりかい。」
「…私は多分ずっとカインのところでしょうね。そのうち可愛い女の子でもスタッフに入ってきて、カインがそっちに目移りしてくれれば私も引退できますけど。…わたし子供のころからずっといるから、カインにとってわたしが一番気心がしれている相手なんですよ。今のところ交代のあてもありません。このボランティアも2週間で戻るよう厳命されているんです。」
「カインて大学のスーパーコンピューターだろ。…大変なんだな。」
「…わたしは彼の手足で目や耳ですからね。彼、衛星もってるから広範囲にはつよいけど、ピンポイントはまだ今一つで…。だからわたしが居なくなると、彼不安定になってしまうのですよ。」
「…絶対交通事故とかで死ねないな。」
「ハハハまったくです。彼、ヒスって最終兵器発動させちゃったりして。」
「…昔そういうSFがあったな…。」
「そうそう、最終兵器は地殻変動装置でメビウスっていうんですよ♪」
「ははは、あんたは面白い奴だ、シタン。」
カーランは席を立ってキッチンに消えた。
ジェサイアが、「おまえさんカールとケンカでもしてるの」と聞こうとしたのを制して、ウヅキはひそひそと言った。
「…ジェシ−、明日、必ず彼のそばにいてください。一日、決して目を離さないでください。…今夜は一緒に寝てやってください。」
ジェサイアは面喰らった。
「一体どうなってるんだよ。」
「…よろしくお願いします。」
…カーランがコーヒーのポットをもって戻ってきた。*** 一緒に寝ないか、と誘うと、カーランはなんの抵抗もなく部屋についてきた。ジェサイアの記憶には残っていないが、多分酔ってるときもこんなものなのかもしれない。
服を脱ぐと、まだ昨夜の跡が生々しい。
カーランが当り前のような態度で抱きついてきて…ジェサイアはただ応じただけだ。むしろ激しく奪われた、とでも言った方が、現状に近かった。
「…いつもこう?」
一段落ついたところで聞くと、カーランは少し凶悪な調子でクックッと笑って答えた。
「…いや、今日は特別だ。」
「…なんかの記念日かい。」
「…あんたのシラフ記念日だよ。」
「あー…スマンな。」
「…もう慣れたよ。」
煙草を吸いはじめると、珍しくカーランのほうから話しかけてきた。
「ジェシ−」
「ん?」
「…世話になったな。…言わずに出て行こうかと思ったが…今日あんた珍しくシラフでさそったりするから…やっぱり言う。」
ジェサイアは驚いてカーランに向き直った。…ウヅキの読みどおりではないか!
「…マテよ。どういう意味だ?なんで急に…。」
「…いまいましい流行り風邪め、裏目が出た。それだけだ。…あんたに話すわけにはいかん。あんたの国のカミさんに、あんたをかえさなくちゃいけないからな。ただでさえあんたのカミさんに俺は顔向けできん。このうえあんたに何かあったら、俺はあんたのカミさんに指でもつめて送る以外ないだろう。」
「いや、奴はそんなものは欲しくないだろうよ、たとえ俺に何かあったとしても…。…だから…わかるように言ってくれ。」
「…ダメだ。…それと、これは気にするな。あんたじゃない。」
カーランはそういって、自分の体のいちばん酷い傷を指した。
「…だったらどうしたんだ、それは。」
「…聞くなよ。考えればわかるだろう。…それと、俺が事務所で使ってた中古のパソコン、明日一番に運河に放り込め。…いうことをきけよ、あんたの命にかかわる。」
「カール、」
「…あんたが好きだった。騙してたけどな。」
ジェサイアは返す言葉がなかった。するとカーランは珍しく、笑った。
「…まあお互い様だ。あんたも俺を騙そうとしてただろう。」
「俺はお前をだましてなんかいない。」
「だましてなくてもだまそうとはしてた。俺の体になんか用はないって顔してただろう。嘘つきめ。よっぱらうたびにとんでもないことをして。忘れてやらないからな。」
カーランはそういうと、燃え尽きかけていた煙草をジェサイアからとりあげ、灰皿に放り込んだ。それからもう一度ジェサイアの唇を奪った。そして言った。
「…抱いてくれ。」
もうそれ以上、何もうちあけるつもりはないようだった。
ジェサイアは話を聞くのは諦めた。…何か事情があったのだろうが、ジェサイアが首をつっこむと、多分危険なのだろう。カーランの厚意なのだから、うけとっておくべきだ、と思った。…大人なんだから、と。
見慣れているような初めて見るような白い肌に手を這わせると、その傷だらけの身体はぞくりと震えた。
「…ずっとこのまま…あんたのそばにいたかった。」
カーランが囁くようにそう言ったあとは…ただ2人の荒い息の音だけになった。*** 朝になると、もののみごとにカーランは姿を消していた。
「…やられましたね。でも捕まるのは時間の問題ですよ。」
ウヅキは不機嫌そうに、ジェサイアの出したトーストにかぶりついている。
「…説明してくれよ、シタン。カールのやつ、なんにも教えてくれなかった。」
ジェサイアが立ち直れずに言うと、ウヅキは異常に濃くはいったコーヒーをなめながらこたえた。
「…彼、電磁波の研究室にいたんですけど…そこがまあ一種のソニックビームみたいな物を政府に極秘で開発しましてね。それをカインが知って、政府に押さえられてしまったんですよ。彼は追っ手ではありません。追われているほうです。逃げているのは彼自身なんです。」
「ソニックビーム?」
「…音波の兵器です。…その捕り物のときに…彼女が亡くなりましてね。」
「…」
「…流れ弾にあたって。」
「…それってまさか…。」
「…彼、殺人と公務執行妨害と国歌転覆罪で手配されそうな…否されなさそうな状態でしてね。大学にさる研究者がいまして…これが政財界にかなり顔がきくやっかいな人なんです、カールはそのひとの門下なんですけど…その人がかなりカールをかばいましてね。ここの大学のネットワーク系の作業の話見つけて…風邪の件で封鎖になるのは目に見えてたから、大急ぎで放り込んだんですよ。時間稼ぎに。…そしてその間に、殺人については見事に隠蔽してしまいました。」
ジェサイアは呆然とした。
ウヅキはのほほんと話を続けた。
「…彼が開発したのはね。音波で地核を動かす兵器だったんです。最終兵器メビウスですよ。」
「あ…あんなちまちました性格の真面目な男がか?!」
「…いえ、おそらく、開発の中心人物は彼の師匠のほうで、彼は参加しただけでしょう。…なすりつけられたんですよ。でも何かカールは彼に弱みを握られているらしくてね。多分、あのひとのことだから、大したことじゃないのに、真面目に考えちゃってるんじゃないかなあ、とか思うんですけどね。」
「…」
「…カインは、カールでも黒幕でもどちらでもいいから捕まえて見せしめにすべきだという計算を出しました。それで私が派遣されてきたんです。入りこむのに苦労しましたよ。どうしても入れてもらえなくて、外務省にがんがん圧力かけて、医療ボランティアのプラン組んでもらって、やっと潜り込みました。…カインは、それこそ、自分の首にナイフが押し当てられてる状態ですからね。とにかく何か手をうちたいのですよ。…わたしは、反対しました。黒幕おさえなきゃ意味ないし。でも、カールはメビウス…あ、正式名称は極秘なので、この名称でおねがいしますね…そう、その兵器の、プログラムと設計図の断片を持って逃げているのです。…つまりカールが逃げ続ける限りメビウスは一部がブラックボックスになっているわけで…そこがコアの部分なので、それがないと兵器だと証明できないのですよ。」
「…なんてこった…。」
「…まあいずれにせよ、この国は封鎖中です。こうなってしまったらもう袋の鼠ですよ。…ああ、私そろそろボランティアのほういかないと…」
「…バギーで送ろう。」
外は灼熱の朝だ。
ジェサイアは目を細めて空を見た。
…寒い国に帰りたくなった。
黙ってサングラスをかけた。
ウヅキを載せてバギーを走らせている最中に、ウヅキが言った。
「…複雑なんですよね私、カールには逃げて欲しいような…。でも彼を追い詰めるのがわたしの仕事で…。わたしが眠っている間にまんまと彼ににげられたなんて、カインきっといろいろ問いつめてくるだろうな…。でも…なんだか…今日外務省の連中とカインの手がわんさか来るってことカールに伝えてしまって…つい…。」
ジェサイアは言った。
「…あんた、結局は個人的にはカールの友達なのか?」
「…一時期悪い癖がありましてね。私達。…久しぶりに再会したもので、貴方をダウンさせて楽しませてもらいましたけど。…効きますね、目薬。」
ジェサイアが思わずブレーキを踏むと、バギーは砂の上でぐるぐるスピンした。
それでもウヅキの話はまだ終わらなかった。
「…カールの彼女ってわたしと同じところにいてね、カインのスパイだったんですよ。カールのこと騙してたんです。可哀想でしょ、カール。私がおしえてあげたの。でもそれ以来カールに嫌われてます。」
…ものすごいカーチェイスのあとだったというのに、異常なまでに落ち着き払って、淡々と嘆くウヅキだった。*** ジェサイアはウヅキをおくりとどけたあと、いつもどおり事務所へ向かい、シャッターを開けて、中に入った。
カーランが改造していたパソコンをじっと見た。
…これに間違いない。
これを捨ててしまったらカーランのいた痕跡はなにもなくなる。寂しく感じられたが、感傷に浸っている場合ではなかった。
兵器だと証明したあとは敵対陣営が自分の手柄としてその兵器を完成させることだろう。自分は一応人類の一員として、これを素早く放棄する義務があると思った。
ケーブルをすべてはずし、抱きかかえるようにしてパソコンを持ち上げた。そしてそのまま事務所を出て、運河まで歩いて行った。
運河は毎日1時間おきに大形貨物船が行き来している。ここに放り込んでしまえばもう二度とあがることはないだろう。潜ることだってできない。貨物船がとおるたびに、川床には凄まじい水圧がかかる。またもし引き上げたとしても、水に侵されてデータは復旧できまい。
ジェサイアは水辺まで進んだ。
「…はい、ご苦労様。」
背後でチャキッ、と銃の音がして、背中に銃口を押し付けられた。
「…汚えぞ、シタン。」
「…彼が貴方を信頼しているのは見ればわかりました。彼は持っていないほうが安全なのだし…貴方のところに隠しているはずだと思っていました。多分彼がいなくなれば、貴方が代わりに始末するはず、とまあそういうわけです。…さ、渡してください。…あなたの手におえるものではないですから。あなたをとがめ立てしたりしませんよ。」
「…それで一緒に寝てやれ、ってことかよ。」
「…ま、そゆことです。…そのままゆっくり下に置いて、手を上げてください。」
ジェサイアは溜息をついた。そしてそろりそろりと膝を折ると身を屈め…片足を軸に素早くクルリと回った。
「わっ!!」
「舐めんナガキが!!」
ウヅキは足をひっかけられてよろけた。
ジェサイアはもっていたパソコンで思いっきり5度6度とをめった打ちにし、ウヅキがうずくまると、その残骸になりかけていたパソコンを運河に思いっきり放り込んだ。
「ば…ばかー…」
水音が届くと、ウヅキは灼熱のアスファルトにへたり込み、そう呟いて気絶した。*** それから一ヶ月ほどが過ぎた。
風邪の流行も下火になり、封鎖も徐々に解かれつつあった。
…事務所にはもう助手の姿はない。彼がここにいた痕跡は、何一つのこっていなかった。
掃除好きにはそういう裏もあったのだ。
事務所は日常をとりもどしつつあった。…過去の日常を。
医療関係者の行き来がフリーになると、ジェサイアの妻が隈のある疲れ切った顔で、しかも大急ぎでやってきた。そしてジェサイアの健康な顔を見ると、柄にもなく、泣いた。
妻はたくさんのマスクやら消毒液やらを事務所に段ボールで運び込み、自分が満足するまであちらこちらを消毒しまくって、ついでにジェサイアの体という体を全部調べ上げて、自分でオーケーを出すと、満足して帰って行った。数日間を一緒に過ごして、ジェサイアの作るあまり上手くない料理を食べただけなのに、彼女は見違えるように元気になって帰って行った。…胸が少し痛んだ。
彼女が帰るのを見計らうようにして、葉書が一枚とどいた。それはジェサイアの国の大使館からで、カーランの国の大使館からお招きがあったので、一緒にきてほしい、という内容だった。大使館員が一緒なら大丈夫だろうと思い、ジェサイアはきちんとした服装で出かけて行った。
寒い国の大使館には、正装したウヅキがいた。
あの日一応連れて帰って手当てして、ちゃんと然るべきところへ送ってやったので、別にうらみごとは言われなかった。
少人数の小さなパーティーで、雰囲気はよかった。ジェサイアは客としてもてなされ、料理はうまかった。
2人になると、ウヅキは言った。
「…カールね、逃げられちゃいました。」
「…そうかい。」
ジェサイアはそれを聞いて少しほっとし…そしてやはり少し心配になった。
…逃げているのだろうか、独りで。
あのせつない顔を思い出した。
「…元気だといいけどな。」
ジェサイアがそう言うと、ウヅキは軽くうなづいた。
「そうですね。…ところでジェサイア、あなたの国のお役人さんと話しあった結果、あなたにはお国にもどってもらうことになりました。…あなたの働きぶりは非常に有能で、非常に残念なことなのですが。」
ジェサイアは顔を上げた。
…いたしかたあるまい。ウヅキをタコ殴りにしたあたりで強制送還をくらっていても不思議ではなかった。大人しく受け入れる以外ない。
妻の顔も思い出した。…年貢の納め時、というやつなのかもしれない。
「…そうか。わかった。」
ジェサイアがそういうと、ウヅキが言った。
「わかっていただけましたか。嬉しいです。移動は来週中にお願いします。…では、カールによろしく。」
「あ?」
ジェサイアは思いっきり眉間にしわを寄せて、ウヅキをにらんだ。どういう意味だかわからなかった。まだイチャモンつけたりねーのか、と思った。
ウヅキは軽くホールドアップした。
「…カインの最新情報では、カールは貴方の国に潜り込んでいるみたいですよ。…あなたの匂いが恋しかったのですかね…?」
さらりとそう言うと、ニヤリと性格悪そうに笑った。
大使館を出ると、月夜だった。
運河を、その日最後の貨物船が、騒がしく通って行った。
ひさしぶりにゼノ小説書いたなあ。ジェシーはほとんど初書きな手ごたえです。ジェシラムいかがでしょう。なんか夢とは大分違う内容になりましたが、これはこれでよろしいかと。今回ちょっとフルーイ他ジャンルの同人サイトを巡って書いてみました。元気がでました。懐かしかったです。
流行のSARSとか、盛り込んでみました。
2003.6.1