ミドリのパパ


 ソラリス一千年の歴史の中で、天帝カインから、最後にして最大の寵愛を受けた守護天使…それがわたしの父なのだそうである。
 …じじいとホモってたってか?  
 わたしのそんな衝撃をよそに、母は傑作ギャグを言ったとばかりの笑顔で立ち去って行った。母もよくわからない人である。
 …つまり、だからうちのお父さんはいつも留守がちだったのよ、という意味のつもりだったらしい。
 別にあの変わり者の父が不在だからといって何の不便もないのだが、母としては「優雅な奥さん」ができないという点など、いくつか不満があるのかもしれない。母一人娘一人の家庭はややもすると煮詰まりがちで、ときには父でもからかってうっぷんをはらしたいというのもあるだろう。母も人間だ。
 しかしわたしとしては、「オヤジ元気で留守がいい」が基本だったりする。だからむしろ、ときどき見かける父が、なんだかいつも違う男といちゃついていることのほうがずっと気になる。
 さる山奥の村に住んでいたころ、父は望遠鏡で覗くほどの熱心さでフェイという男の子とつきあっていた。フェイは額と瞳が美しくて、口元が可愛いお兄さんで、わたしはこの人がけっこう好きだった。なぜかうちの母のお下がりを着て、母が若いころと同じ髪型をしていたのだが、あれも今思うと父の謎めいた趣味の一環だったのかもしれない。母に問いただすと、
「いいじゃないの何着てたって、かわいいんだから。」
で終わった。夫婦で理解しあっているのは結構なことだけれど、少しはわたしに説明しようという気にもなってもらいたいものだ。何がいいのか…??理解に苦しむ。
 とにかく万事そんな調子で、週イチの定期検査に嬉々としてでかける父が父なら、仮病をつかってまでウチにやってくるフェイもフェイ。父の意識がフェイから離れるのはさらにとち狂っている各種メカに向かい合っているときだけという徹底ぶりだった。
 …そういうときは退屈したフェイはわたしに遊んでもらいたがるし、母も遊んでやりなさいというので、よく一緒に絵を描いたり、鳥に餌をやったりしていた。フェイはとても絵がうまかった。物凄く本格的な似顔絵を描いてもらった時は、本当に肝がつぶれた。今でも捨てられずに持っているのだが…そういえばあのときも、出来上がった絵を貰ってびっくりしていたわたしの隣で、会心の出来を喜んでいたフェイを、機械いじりを終えて後ろから来た父がいきなり担いで攫って行ったのだ…。父はあんなだが、実は物凄く力があって、母を横抱きにしてくるくる回るのなんか三日絶食していてもへいちゃらで出来た。…攫われたフェイはきゃあきゃあ笑って喜んでいたっけ…。思い出すだけで汗が吹き出て来る。
 しばらくたったある日、村が戦災に見舞われて、わたしの友達はほとんど死んでしまった。なんだか事情はよくわからなかったが、その責任を取ってフェイが去っていったとき、父が追いかけて行ったのには驚いた。父が例のじじいから承っていた仕事がフェイの面倒をみることだったと知ったのは、シェバトに入ってからだったから、そのときはまったく父の男狂いにもあきれた、という感想だった。
 けれども立ち去って行くフェイの寄る辺ない後ろ姿がわたしには悲しかったので、父でもだれでもついていってやってくれて、心の片隅では少し…すこーしだけ嬉しかった。
 シェバトで久しぶりに再会した父はかなり怖い顔になっていた。フェイは相変わらず人懐っこく、わたしや母を見つけて大層喜んだ。美人の彼女も紹介してくれた。なにかこう、うちの父みたいな少し変な感じがすると思ったら、ソラリス人だというのでびっくりした。その人は実にうちの父のように、わたしにぎこちなく優しかった。たくさん迷っていることのある人で、きっとどこかで誰かを騙したり裏切ったりしながら、そしてそれを悔やみながら暮らしている人なのだろうと思う。そういう人はわたしの顔をみるとたいていぎこちなくなるか、いきなり罪懺悔をはじめるか、犬のようにかみつくかのどれかだ。多分彼女もフェイの前でなければ噛み付いてきただろう。…フェイはそういうタイプの人に徹底して好かれる何かを持つ不思議な男の子だ。多分、きまじめに悩んで食が細くなったり、怒って怒鳴ってるうちに涙ぐんできたりするところがウケてるのではないかと思う。
 父の形相のことを母に尋ねると、母も眉をよせて
「嘘がばれそうなのよ。そっとしといてあげましょう。」
と応えた。
 父の旧友とかいうなにやらスーパーかっこいい黒人を見たのはこのころだったと思う。用事で父を探しながら厨房へやってきて、私達が妻子と知ると非常に礼儀正しく挨拶をしてくれた。白い髪が黒い膚に映えて、その甘いマスク…というよりも美しい天使のような風貌に、道行く人が次々ふりかえる…。 母もびっくりしていたが、名前は知っていたらしく、毎度の外ッつらの良さで無難に応対していた。あとになって
「…いるのよねえ、たまーーに。ああいうひと。…たいてい早死にしちゃうのよね…」
となげいていた。
 なにやら実務的な話でいつも顔を寄せてぼそぼそ話し合っている父と彼だったが、この二人がぼそぼそをはじめると途方もなく長く、フェイが再三用事で訪ねて来たり、もうひとりバルトというやんちゃ者が「シグー」と用もなくヤキモチをやきにきたり、とにかく周囲としては迷惑この上ないのだが、なーーんか気が合うらしく、よく二人でいるのを見かけた。
「なんであーやってちゅーしそうな距離で話すのかな。」
 と母にきいたら
「お父さんはちゅーするよりおしゃべりのほうが好きなのよ。」
と当たり前のように言われた。
 どういう意味なのだろう??理解に苦しむ。
 そしてある日わたしは見た。
 父と彼がトランプのように写真を持って、お互いムキになってなにかを主張しあっているのを…。
 見た瞬間なにをけんかしているかわかったので、わたしは一目散に逃げた。…それを、実の娘が聞いてしまったのでは父があまりに気の毒だ。
 父は作戦の合間合間によく母に会いに来ていたが、…この形相の酷かった時期にはわたしを避けていた。ソラリスゲートのころが一番酷く…わたしも父が怖かった。何故か不思議なことに、そのあとフェイがシェバトの政府に危険物扱いを受けて、彼女とかけおちするようにいなくなった途端撃墜されてあやうく死にかけたときも、意識不明のままカーボナイトで固められたときでさえ、あんな酷い顔にはならなかった。
 さて、その後もあいかわらず父はシグルド卿としばしばぼそぼそやっていたが、ある日鳴り物入りで新手が現れた。たしかまだシェバトが飛んでいる、メルカバー戦の頃だったように思うのだが、父の「同僚」…つまり守護天使職とかいう、なんだか凄くぼろぼろの人が担ぎ込まれたのだ。
 きれいな女の人が周りをとりかこんで、みんな泣きそうになっていた。その当人は生きているのか死んでいるのかもわたしにはよく分からなかった。フェイも意識不明でみんなバタバタしていたせいもあってか、父とその半死半生の彼が一緒にいるのをよく見かけるようになったのは、シェバトが雪原に落ちたあとである。
 寒い日などよく二人並んで火にあたっていた。別に何を話すでもないのだが、思えばその妻をして「ちゅーよりおしゃべりが好き」と言わせしめたおしゃべり親父が、黙ってだれかと一緒にいるというのはかなり珍しい。
 なぜだろうと母にたずねると、
「…お父さんが言うには、あの人はおしゃべりが下手らしいわ。…うらやましいわねえ。おかあさんもあいづちうったり同意したりするのやめよっかなー。ヒュウガは黙っていると3割増しにいい男なのよねえ…」
と、溜息をついた。
 しかしなんということだろう、そのとき偶然父が後ろにたっていて、私も母もそのことに気付いていなかったのだ。
「…黙って話さずにいるなんて、人生の怠慢ですよ。だれにも理解されなくていいなんて、要らぬ虚勢です。たとえ無駄でも一生懸命説明してみるのは大切なことです。ミドリにそんなことを言うなんて。見損ないましたよユイ。」
 父は極めて不満そうに母に言った。  母は落ち着いて父を見上げると、少しにっこりした。
「…でも私は貴方が敵国の将だろうと鬼畜だろうと男好きだろうと、別に大して気にしていないのに、あなたったら言い訳ばかりするんだもの。見くびられちゃあ困るんだけどなあ…。ムードまるつぶれよねえ。」
 …のちにフェイが言っていたけれど、口喧嘩は女に勝たせてやるものなのだそうだ。…多分負け惜しみだろうとは思うが…。…まあうちの父の場合は母に負かされるのが嬉しいらしいふしもある。
 しばらくたったある日、父を探して例の新人が厨房を訪れた。なにか王様のように優雅な人で、第一印象とあまりに違い、驚いた。わたしのびっくりした顔を珍しく見分けて(そういう人は滅多にいない)、まるで野良犬と仲良くなるときのように手のひらを見せ、かがんで目の位置をわたしにあわせ、注意深く丁寧に挨拶した。
 あ、この人は多分怖がられて困っている人なのだ、と思い、私が慌ててこんにちはと言うと、彼は微かにほっとしたようすだった。わたしもなんとなくほっとして、
「父はここにはいません」
と言うと、彼は静かにうなづいて、立ち上がった。
 去ろうとした彼に母が声をかけると、彼はもっと流麗に挨拶した。母に料理のお世辞などもちゃんと言い、その様子は父が言う「話下手」とは多少違っている気がした。上手なお世辞を言われて母は上手に謙遜し、二人は和やかな様子で別れた。帰りがけにふとわたしを見て
「お母さん似だね。」
と言った。
「…でも変な事にこだわって一週間くらい奇手列な考え組み立てつづけるところなんか主人そっくりなんですよ。」
と、母が嫌なことを言った。
 すると彼はぴくりと眉を上げた。母の発言の何かが気に触ったのかと私は一瞬思い、ひやりとした。
 しかし彼は言った。
「…ああ、なんとなくそこはかとなくほんのり気を遣ってくれるその気配が、なんだかヒュウガに似ている。」
 そして、なぜだか少し嬉しそうにした…ような気がした。
 彼の背中を見送ったあと、母が言った。
「…似てるんだって。」
 わたしが顔を背けると、母がわたしの頭を撫でた。
「…違う違う、ミドリじゃなくて、…あの人。あの人ね、ソラリスの亡くなった皇帝に似てるんだって。お父さんがいってたの。」
 …守護天使ヒュウガをもっとも寵愛したとかいう、モノ数奇じじい。
「てゆーか、お父さんとしては、皇帝があの人に似てると思ったみたいよ?カイン様ってずーっと仮面つけてて、顔みせなかったらしいの。お父さんはほら、パシリやってたから…朝おこしにいったら"あれ!?カールがこんなところで老けてる!!"と思ってパニクったって。…どうしたって聞かれたからそのまんま正直に話したら、朝から思いっきり笑われたって。…それで一応、天帝を笑わせた男ってことで、一番のお気に入り…と言われてたらしいわ。なんでもそういうことは200年くらいなかったそうよ。」
 …凄いのかなんなのかよくわかんない話である。
「ちなみにカイン様斬ったのは今の彼だという噂でここんとこアジトはもちきりよ。」
 …じじいと彼でうちの親父とりあったってか!?
 …わたしのそんな衝撃をよそに、母はまな板と包丁のもとへ戻って行った。

19ra.


私がヒュウガを語るのもなんなので、とりあえずミドリに語ってもらいました…笑。19ra.