処分


 海岸は静かだった。
 暗闇の中で黒く淀む海に、赤い炎が映っている。
 大きな物を燃やしているせいか、緩やかに風が吹いていた。
 やっばり船にいればよかったと思った。…そもそも、アジトに残ればよかった。ジェサイアに「いつまで腐ってんだアホ、おれんちの掃除が手伝えねえのか。」といわれて、逆らうことへの億劫さに負け、つい来てしまったが、…出発前にこっそり降りていればよかったと思う。
 ジェサイアが地上で妻と暮らし、またその後は息子のビリーが大切に手入れしてきた屋敷は、留守中つい先日までウェルスの巣窟になっており、それを掃討した結果、あまりの破損と汚れに親子はげんなりして、どちらともなく「…壊して建て直そう」ということになったのだそうだ。実に、潔いブランシュ親子らしい選択だった。
 ただ決定までは潔くいったのだが、いざ行くかというときになって、ブランシュ家の「頑固魂」プリメーラが、目を見開いて拳を握りしめ、ふるえながら涙を流した。未だにあまり喋らないあの娘にそういう態度をされては父と兄も潔さに陰りが出た。父と兄にとっても確かに大切な思い出のたくさんつまった建物であることに違いはなかったからだ。
 そこで一計を案じた父は最初シグルドにその話を持って行ったらしい。だが忙しいシグルドににべもなく断られて、次はそれをヒュウガに持って行った。すると「まったく意気地ないなあ!」と言われてムッとしたらしく…土壇場になってカーラン・ラムサスのところに話が回ってきたのだ。 
 ジェサイアとビリーに事情も知らされずに火をかけるよう頼まれた。カーランは面倒で何も聞かずに従ったが、実のところそれがブランシュ家であるところの孤児院だった、ということさえ知らなかったのだ。掃除という言葉と、家屋にガソリンをかける行為が結びつかなかったのだ。
 上空からかけたガソリンのせいか、古い屋敷は、よく、燃えた。それを見たプリメーラはついにわっと泣き出して、カーラン・ラムサスに「ばかっ!!」と叫ぶと、マルガレーテの部屋に閉じこもって鍵をかけてしまった。
 くり返して言うが、孤児院だったその屋敷は家中がウェルスの体液で汚れ、銃創やら爆撃跡やらで壊れ、壁は抜けているもんの、ドアは粉砕しているもんの、床や屋根がおちたり抜けたり、またそうした穴からふきこんだ風雨ですっかり傷んでいるもんの、…燃やす以外にないような有り様だった。嫌な事件もいろいろあったというし、燃やしたほうがいいと客観的に見てもそう思う。だが…。
 捨てられる物や廃棄されていく物に、カーラン・ラムサスは痛みを感じる体質なのだ。客観的な価値観などより、プリメーラの「頑固魂」のほうが、自分に近しい気がした。…泣かせてしまった。
「今日は…波が静かですね。…静かというか、無い、ですね。」
 唐突に、後ろから声をかけられた。…ヒュウガの声だ。
「…ボートで漕ぎ出せそうだな。」
 振り返らずにそう答えた。
「…やってもらっちゃったらしいですね。すみません。」
 ヒュウガは言った。カーラン・ラムサスは黙っていた。住んでいた人間には確かにやりにくいことだが、大したことじゃない。他人がやってやったほうがいいに決まっている。けれど…。
「あの人たち、プリメーラさんには何の相談もしなかったらしいです。まあ2人とも『黙って俺についてこい』なタイプですし…。…確かに娘にこういうことの了承を得るのは難しいことですけどね…。」
「…ほっといてくれないか。」
 ぼそりと言うと、ヒュウガは溜息をついた。
「…貴方の了承を得るのも難しいですよね。」
 それを聞いて思わずカッとした。
「ほっといてくれないか。俺のナーヴァスを笑いたいならあっちで奴らとやってくれ。馬鹿げてることくらいわかってる! 他人の家やらガキやらでこんな!」
 するとヒュウガは少し黙った。
 そして、少しして言った。
「カール…すみません。気がきかなくて。…ただわたし、自分でやるつもりだったのに、貴方に迷惑かけてしまって…それをお詫びしなくてはと思っただけなんです。申し訳ありませんでした。…それと、あなたを笑い者にしたことなんか一度もありませんから。信じてくれとは言いませんけれど…本当ですから。」
 ヒュウガはそう言うと、更に何か言いたげに少し沈黙していたが、やがて諦めて静かに立ち去った。
 …ヒュウガのいなくなった場所が、寒くなった。
 …うんざりした。こういう自分の弱さが嫌いだ。
 しばらくすると、今度はジェサイアの息子がやってきた。彼…ビリーは、背が小さくて女の子みたいな顔をしている。笑うと母親に似ているのだが、今日は真面目な顔をしていた。何をしに来たのかと思ってじっと見ると、済まなそうに言った。
「妹が失礼を…。」
 彼がそう言ったとき、遠くでがらがらと音がして、建物が崩れ落ちた。梁が燃え尽きたのだろう。あたりは一段階暗くなった。
「…妹よりオヤジに『姑息だ』と言っておけ。…燃え尽きたようだな。もう船に帰らせてもらうぞ。」
 ふん、と言ってみたが、格好はついていなかった。
 いらいらと立ち去りかけて立ち止まり、振り返ってビリーに尋ねた。
「君はどうしてそう潔いんだ?」
 するとビリーはびっくりして、大きな目をさらに大きく見開いた。それから、少し困ったように笑った。
「…辛いと思うなら正確に狙い一撃で殺せと、それで全ての決着がつくと…もう一人の父が言ってました。…やっぱり友達だったんでしょうか、あの2人。親父もよく同じようなこと言いますよ。…潔いわけじゃないんです。僕らには、プリメーラのような持久力だか柔軟性だかが、ないんです。…無い奴は無いなりに、なんとか凌いで生きてかなきゃならないもので。」
 ビリーはそう言って、「もう一人の父」が母を殺した現場を振り返った。
 炎は下火になりつつあった。
「…今日は波が静かですね。海が黒い鏡みたいだ。…先に行って下さい。僕らも直に船へ戻りますから。」
 ビリーはそう言うと、火のほうへ引き返して行った。

+++

 船に戻ると、ガンルームの隅で、ヒュウガがギア用の銃を見上げていた。
「ラムサス殿。お帰りなさいませ。御心労の多いお仕事お疲れさまでございます。何かお飲みになられますか?」
 カウンターで上品に尋ねるメイソン卿に、しばらく考えたすえ、アルコールではなく茶を頼んだ。
「…けんかでも?」
 ポットに湯をそそぎながら、メイソンが尋ねた。
 カーランは答えなかった。
 まったく、飲み屋のじじいまで仕事の意味を知っているのに、自分だけ知らないとは。
 しばらくするとヒュウガがやってきて、黙って隣に座った。
 メイソン卿は勝手にカップを二つにし、ヒュウガのぶんも茶を注いだ。
「…プリメーラはまだ出てこないか?」
 カーランがメイソン卿に尋ねると、メイソン卿はのどかに笑った。
「先程ビリーさんが行かれてお叱りになったので、さらに5〜6時間はむりでしょうな。」
「あー…叱らなくてもいいのにねえ、ビリー。」
 ヒュウガが眉をハの字にして言った。
「いや、元気のよろしいご兄妹様で…。本当に信頼関係も篤く、御立派なお子さまでございます。お二人とも精いっぱいなさっておいでですから、まかせておくのが一番でしょう。」
「先輩やビリーもプリメーラさんに納得してもらうまで根気よく話せばいいのですけれどね…。」
「左様でございますな。でもビリーさんはお屋敷が荒れてしまったのをごらんになって、プリメーラさんが悲しむといけないと思って見せていなかったようでございますよ。…いろいろ思い遣りがすれ違ってしまったのでしょうな、おそらく。」
 俺に説明しなかったのも思い遣りだとでもいうのか。
 …カーランはそう思ったが、黙って茶をすすった。
 そこへ「いやあまいったまいった」と言いながら、ジェサイアが戻って来た。
「お疲れさまでございます、ジェサイア殿。」
「おう、ウィスキー一杯。」
「かしこまりました。」
「なんでえ、おめえら。しけた面しやがって。ぱーっと燃えたぜ、ぱーっとな。ああすっきりした。スタ公のとき俺が家にいりゃな、とっくにこうしてたぜ。おう、カール、手間かけさせたな。すまねえ。助かったぜ。有難うよ。いざってときに本当に頼りになるのはやっぱり昔っからお前だわ。ヒュウガの奴なんて俺になんつったと思う?意気地なしだぜ、意気地なし。…なんだ茶なんざ飲みやがって、子供じゃあるめえし。俺の奢りだ、何か飲め。…メイソンさん、この眉間縦皺衛門に45度くれえのウォッカかなんか頼む。」
「それがよろしゅうございますな。かしこまりました。」
「…娘に恨まれるの怖さにカールに仕事押し付けた人が随分威張ったものですね?」
 ヒュウガが物凄く陰険に言ったので、ジェサイアはけっ、と吐き出すように言った。
「…俺がやったら娘は一生許せねえだろうよ。でもよそのおじさんなら2〜3日で『わたしもバカ言った』と反省するだろうよ。俺が悪者になるのは簡単だがな、プリムの親は俺しかいねえんだぞ。汚ねえと思うなら思ってろ。お前はそれだから実の娘に捨てられるんだよ。酷い親父を許して下さいってかァ?馬鹿ヤロー、娘がどうやったら立ち直れるか本気で考えろ。」
「厚かましい理屈もあったものだなあ。」
 ヒュウガはむしろ呆れたような口調で言い、しかたなさそうに首を左右に振った。
 カーランはメイソン卿からウォッカをうけとり、二口ほどでその小さなグラスをカラにした。
 そしてなんとなく、ビリーの「もう一人の父」という言葉を考えた。
 ビリーには「もう一人の父」がいたから、多分ああいうふうに強くなれたのだ。自分の弱さと、静かに向かい合えるほどに。彼はビリーが言うようにジェサイアに似ていたのだろうか?否、そうではない。多分、彼も心の底では憧れてやまなかったであろうジェサイアのこの剛胆さを、意図的にか無意識にかは知らないが、ビリーに熱心に教え込んだに違いない。そしてビリーは、そうなったのだ。
「…いい飲みっぷりだぜ、オトコマエだぞカール。メイソンさん、もう一杯。…そっちのバカにも。」
 メイソンはうなづいて、また一杯ずつカーランと今度はヒュウガにもウォッカを出した。
「…私も飲むんですか?」
 ヒュウガが眉をハの字にして笑うと、メイソン卿はにっこりとした。
 2人は揃って、ウォッカの盃をあけた。

+++

 そのあとの記憶はカーランにはない。目が覚めると朝で、隣にはアセトアルデヒド臭いヒュウガが枕に突っ伏していた。見るとヒュウガは体に黒ペンで落書きされている。…やられたらしい。ヒュウガを揺り起こすと、カーランの顔を見て「キャー」と言ったので、鏡を見に行くと、眉が殺し屋漫画の主人公のようになっていた。ヒュウガは自分の体の落書きにも気がついてまた変な奇声を発した。幸い油性ペンではなかったので、石鹸であらったらきれいにおちた。
 食堂に飯を貰いに行くと、泣き腫らした目蓋のプリメーラがやってきて、カーランのトレーに自分のおかずを一品無言で置いて行った。それをみたビリーが慌てて走って来て、これ、プリムが好きなおかずなんです、昨日は本当に済みませんでした、って意味のつもりだと思います、と言った。気を使わせて済まない、とカーランが言うと、ビリーは安心したように自分の食事に戻った。…バルトロメイとケンカしながら一緒に食べている。
 見ると、プリメーラは当たり前のように…フォークにつきさしたオレンジを立てたまま二日酔いに突っ伏している親父の隣にすわり、腫れぼったい目蓋のままで、パンに食い付いていた。

19ra.



 一節のみWH23の3面より。二節三節はサイト用に加筆。
 2002/3/10

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