MOTHER MIND

「育児疲れ…?そうだな、感じるときもあるよ。なにぶん母親やろうとしたって私は男だしな…。せめて乳房があればそれだけでも違うはずなのにと思ったときとか、あるね。…抱かれ心地が違うだろう、パパとママじゃあ。…まあでも、実のところ慰めを得るのは抱かれてるほうだけじゃなく、抱いてるほうもだからな…子供はいいよ、なかなか。」
 シグルドはそう言って会心の冗談を言ったかのようにケラケラ笑った。
 無人島の砂浜にユグドラシルを停めて、クルーたちはそれぞれに休息をとりつつ、日光をあびるやら風を吸うやらしていた。今夜はこの美しい島に泊まることがすでに決定しており、シグルドとヒュウガは子供達を波打ち際で遊ばせながら、のんびりだべっているところだ。
 ヒュウガが苦笑して応じようとしたちょうどその時、その胸のないママの手一つで育てられた王子様がぶすっとした顔で向こうからやってきた。シグルドはやれやれという顔になり、二人は話を中断して彼が近付いてくるのを待った。
 しかしやってきたバルトは何故かヒュウガに向かって口を開いた。
「…先生よォ、なんであいつああなの?」
「…は?」
「どいつがどうだというのです、若。」
 シグルドが単刀直入に聞くと、バルトは青い瞳でちらっとシグルドを見た。
「フェイさ。…穴掘ってる。」
「…そっとしといておあげなさい。」
 シグルドがすかさず言ったが、バルトはヒュウガに目を戻して更に言った。
「…ビリーもマリアもみんな集まってていろいろ話してたんだよ…これからのこととか。それなのにふいっと立ってどっか行っちまって…、探してみたら、眉間に皺よせて砂掘っててさ、返事もしやがんねえの。…いいの?ああいうの。俺は協調性がどうのとか言う気はないけど、あいつもう少し自分の立場わきまえてほしい。…一番強いんだから。」
 ヒュウガは肩を竦めた。
「…本人に言って下さい。」
「あいつがあんたとエリイの言う事しか聞かないのは、あんたの付き合い方のせいだと俺は思うね。」
「若…」
 シグルドが止めようとしたのを、ヒュウガは目で制した。
「…わかりました。あなたはフェイの友人やる気ないみたいですから、私が行きましょう。」
 多少の嫌がらせを交えて了承し、ヒュウガはバルトのやってきた方へと歩いて行った。 
 …バルトが正しい。ヒュウガは少し後ろめたかった。
 子供達の話題はいつのまにか楽しいものへと移り変わっているらしく、時々女の子たちのすずやかな笑い声が響いていた。バルトがそこに戻るとたちまちビリーとの掛け合い漫才が始まる。
 ああした場に、フェイはいつもなら馴染んでいる。集団に入るとどちらかといえば物静かで優しいフェイは、礼儀正しいビリーが好きで、叱ってくれるエリイが好きで、懐いてくるエメラダやマリアやバルトが好きで、バルトをからかうマルーが好きで…そして…
「…おい。」
 後ろの高い位置から声をかけられた。ヒュウガが振り返ると、緑色の巨体が立っていた。…リコだ。
「…若くんが言うにはフェイがぐれてるらしいですね…」
「バルトも悪い。あんたの事をずいぶんとやかく言ってな…。」
「…」
「…その件に関してはエリイもバルトの味方だ…少しタチが悪い状況だった。…なにをどう言われてるのか、あんたは自分でわかってるんだろう?」
「若くんの馬鹿げたヤキモチに付き合うなんて、エリイも暇なんだなあ。もう少し仕事回しましょうかね、洗濯とか、掃除とか、お淑やかになりそうなやつを。」
「…少しあんたも反省しろ。」
「…」
 ヒュウガは黙って肩を竦めた。
 てへっ、と笑って頭を掻いてイヤア参リマシタ、…やればいいのはわかっているが、そういう余裕が気持ちになかった。当然だ。もうすぐ…よくても捨てられて…悪ければ殺される日が来る。それがヒュウガの役割だ。
 フェイは笑い声の聞こえないところで、独りで砂を掘っていた。心ここにあらず。顔は…怒っている。
 近くにしゃがみこんでも、フェイは怒った顔のまま、見向きもしない。
「何してるんですかー…」
 なるべくのんきに尋ねてみたが、無視された。
 怒っている、というより、多分泣きそうなのだろう。
 …一緒に泣きたかった。許されるものなら。
 フェイのかき出す湿った色の砂は、穴の周りに盛り固められていた。作業は遅々としている。
「…水でてくるんですよね、ずっと掘ってると。」
「…え、本当?」
 思わぬことを言われて、思わずフェイは反応した。
 振り向いた大きな瞳で見つめられて…、ただそのことがヒュウガは嬉しかった。顔が勝手に笑った形になり…フェイの隣に腰をおろして、フェイが一転して大真面目に掘りだす穴を横から覗き込んだ。…もうすぐだ。
「…みんなと遊ばないんですか、フェイ。」
「…あとでね。今は先生がいるから。」
 当たり前のようにフェイは言った。
 フェイは…上品なおじいさんのメイソン卿がすきだった。何か貴族的な風格のあるリコが好きだった。バルトを叱りつける胸のないお母さんが好きだった。そして…
「あ、本当だ、水出て来た ! え、どんどん溜まってくけど…ええ ? なんで ? …先生なんで知ってんの ? すごいや。」
「そりゃあもう、散々掘りまくったことありますからねー。もうなんていうかこう、ヤケで。」
 本当にヤケでそういうと、フェイは楽しそうに笑った。
「先生でもあったんだねーそういうこと。」
 ヒュウガは答えずに横合いから砂を押し込み、勝手に穴を埋めた。フェイは笑い、甘えてヒュウガに頭を寄せ…そうすることでヒュウガの胸にも甘い何かを与えた。
 フェイは誰より「シタン先生」が一番好きだった。ヒュウガはそれを知っている。よくないとわかっていても、今はその慰めに溺れずにいられなかった。
 結局ヒュウガは何も尋ねることはせず、まして説教なぞできるはずもなかった。二人が二時間余りも甘い時間を過ごしてようやく集団の中に戻ったときには、もうとうに日は暮れていた。
 ソラリス入りしたのはその2日後である。
 最後の二時間だった。              

                           19ra. 


気が向いたらヤオイに変わる可能性もありますが

そのときは別の場所に移動します。

戻る