ミドリが家の庭で鶏に餌をやっていると、坂の下の吊り橋が軋む音がした。
目を向けると、フェイが難しい顔で登って来るのが見えた。
顔は難しいが、その足取りはしっかりしている。
父は…とミドリが見上げると、そのときちょうど屋根の上で身を翻し、望遠鏡のところから姿を消した。
少しして、フェイが庭先に到着した。
眉がハの字型になって、情けない顔になっている。
ミドリがじっと見つめると、フェイは消え入りそうな声で
「先生いる?」
と、尋ねた。
ミドリがこくりとうなづいたちょうどそのとき、何気ないふうを装って、シタンがやってきた。
「フェイじゃありませんか。」
近付きながらそう声をかけた。フェイはますます情けない顔になった。
「まあ、どうしたのです、そんな顔をして。こっちへいらっしゃい。」
シタンが妻子に向かっては決して出さない猫なで声で言ったあたりで、ミドリは漠然とした危機感を感じて、鶏をおいかけるふりをしながらその場を離れた。
「…センセイ、お腹痛いよ−。」
ぱふ、とフェイがシタンに抱き着く音がした。
…てやんでい、腹の痛い奴があれほどしっかり坂道歩くかい…
ミドリは内心そう思ったが、父の妙に嬉しそうな
「どれ…どのへん?」
とかいう声にさらに危機感をつのらせて、二人の会話が聞こえなくなる距離まで一気に早足で逃げた。*** ミドリがさかさかと逃げていく後ろ姿を横目で一瞬確認してから、シタンはフェイを書斎に連れて行った。
フェイは色々な意味で問題を抱えている少年だったが、いつもがいつも相談事したさに山を登って来るわけではないことを、シタンは知っている。
フェイは村では好かれているので、相談相手に不自由はしていない。にもかかわらずシタンのところへ来るのは、他所者としての苦しみを同志に訴えたいときか…あるいは、スキンシップが欲しいときだ。治療だなんだといって、結果としてシタンはフェイの体に触る機会が村中で一番多い人間なのだ。
書斎には椅子が一つしかない。シタンはフェイを抱き上げて机の上に座らせ、自分は向かい合って椅子に座った。
フェイは落ち着かないようすで机にすわり、床に届かない足をブラブラ動かした。砂ぼこりに汚れたサンダルのひもが、フェイの足の甲の上でいくつも蝶ちょになっている。
シタンはそのひもを勝手に解き、フェイの足からサンダルを脱がせた。
「…なんで靴脱がすの、先生。」
「…足が楽になるから。」
「…でも靴がないと歩けない。」
「…歩くよりも話すのが先でしょ…?」
フェイは居心地悪そうにつま先をのばしたり握ったりした。
「…あのね、お腹が痛かったんだ。」
「うん、どのへんですか?」
「うん…でも先生に会ったら治っちゃったみたい。」
「下のほう?上のほう?」
「…なおったからいいんだ。」
フェイはおずおずと言った。
「…でもまた痛くなるかもしれないでしょう?」
「もう平気だよ。」
「駄目。言いなさい。ちょうどいいから今から定期検診します。」
そう言ってシタンが笑うと、フェイは顎を引いてちょっと恨みがましい目になった。
「先生の意地悪。」
「…じゃあ診察ー。…ぬぎましょう。ハイ。」
「…いいってば!…やっ…」
言葉ではいやがっても、ちょっと身を硬くした程度で別段抵抗はない。シタンはフェイの胸元の紐を解き、胴を締めている紐を解き…とにかくあちこちの紐を面白がって(…いるそぶりは極力見せずに)解きつくした。
机の上で、上も下も前をはだけて若い素肌をのぞかせるフェイは、何かとても清潔で可愛らしい。シタン的にはかなり良い眺めだ。シタンは更に、フェイの頭に手をのばす。
「先生…」
「なんですか。」
「…どうして髪解くの…?」
「…髪解くと緊張もほどけるから…」
真実なのかでまかせなのか自分でもよくわからずにシタンは答える。フェイは、…信じてしまったらしい。
黒い長い髪が解かれて、フェイの肩に落ちる。シタンはその艶かしさに満足してうなづいた。
「…痛かったのはこのへんですか?」
そっと手を当てて、みぞおちのあたりを指で軽く押す。するとフェイは静かに左右に首を振った。
「…このへん?」
手を少しずつ下にずらしていく。フェイは首を振る。
「…もっと下?」
静かに尋ねながら下腹に手を進める。フェイは赤くなって自分の指を噛んだ。
「…うん…そのへん…かもしれない…」
「…このへんですね…?」
「…あ…、うん…そのへんだと思う。」
すでにシタンの手はフェイの薄い茂みの中に達している。シタンはそうっとそこの中にあるものを手で包んだ。
「…ん、先生…どうしてそこ…?」
「…気持ちいいかと思って。」
「…うん…気持ちいい…」
フェイは赤い顔で盛んに自分の指を噛み続けた。
シタンは手の中の物をそっと愛撫してやる。
「…どんなふうに痛かったんですか?…なんかズキンズキンする感じ?それともぎゅうっっと締め付けられる感じ?」
「…ん…ん…あのね…、なんかね、なんか…熱いような冷たいような感じ…。」
「…熱くて冷たい?」
「…うん。」
「…何かがささるような感じじゃなくて?」
「…違うよ…なんかね、せつない感じ。」
シタンは笑って、引き出しのなかから手荒れにつけるクリームを出した。
フェイの足にひっかかっているズボンを足から外して、そのへんの床に落とす。
「…足上げて。」
フェイは指示通り足を机の上に引き上げた。そのままシタンはフェイを仰向けにし、足をもちあげると、尻の中に指をさし入れて、白いクリームを塗りこんだ。
「あっ、あっ、先生、そんなとこ診察?」
「うん、大丈夫みたいですよー。ハイ息吐いてー。…悪い出来物とかないみたいです。」
「やっ…なんか変な感じ…」
「おなかの力がぬけてくるでしょ。…気持ちいい?」
「…うん…。なんか…なんか…」
「…痛くないでしょ?」
「…うん、痛くない…」
「…じゃあね、フェイ、足、こっち。」
シタンはフェイの足を自分の肩に載せた。そして自分の前を開くと、すっかりお楽しみだった証拠の形になっているものが姿を現した。
「あ…や…何すんの先生…」
「もうお腹痛くならないように注射ー。」
「…えええ??効くの??」
「効きますよー。」
ぐいっ、とフェイの中に押し入る。
「ああっ…あ…」
「…つらい?」
「…あ…熱い…」
「可愛い人。」
「せ、先生…」
二人の息が速くなって絡まりあった体がうごめく。何かの拍子にフェイの手がひっかかってシタンの髪をほどいた。混ざりあって流れを作る二人の長い髪。フェイの足はシタンの肩の上でときどき空を泳いだ。二人の匂いと熱い吐息が狭い部屋を満たす。
…そして二人は果てて、静かになった。*** 「…お腹が痛かったのは本当なんだよ。」
「はいはい。」
「信じてないだろ、先生。」
「…信じてますけど、もう少し上の方ではなかったですか。どっちかというと、みぞおちのあたり。」
丁寧にフェイの服の紐を全部蝶ちょにしながら、シタンは尋ねた。フェイは暫く黙っていたが、ぼそっと言った。
「…最初は胸のほうだったけど…だんだん下がってきて…みぞおちのとこにきて…そのあとは本当にお腹だったんだ。」
「熱くって冷たくってせつない感じね。」
「…うん。」
フェイはおずおずうなづく。
「…わかりますよ。そういう症状、ありますから。」
シタンは軽くうなづいた。
「…俺、病気?」
フェイは不安気に尋ねた。
シタンは神妙にうなづいた。
フェイはみるみる泣きそうな顔になった。
シタンは笑って「大丈夫ですよ」と言うと、床からフェイのサンダルを拾い上げ、丁寧に履かせ…またいちいち蝶ちょ結びを作った。
「…死にゃあしませんから。」
「…でも、じゃあ、また痛くなる?」
「…ええ、多分。」
フェイはますます泣きそうになった。
「…センセイ、俺何の病気?どうすればいいの?」
シタンは少し笑い、すっかり元通りの服装になったフェイを抱き上げて、机から下ろした。フェイは足元がおぼつかず、膝が崩れて、そのままシタンにしがみついた。シタンはフェイを嬉しそうに抱いて、その耳に囁いた。
「…なおったでしょ?フェイ。大丈夫ですよ。今度は胸が痛いうちにいらっしゃい。そうしたらそれ以上痛くならないように、また注射してあげるから。…私としては週に一回くらい定期検診してもいいのですよ?」
「…うん…そうする…さっきセンセイの顔みたらよくなったし…俺ちゃんと来るよ…」
「いい子。」
シタンはフェイの頤をちょっと持ち上げて上向きにさせ、目蓋を撫でて目を閉じさせると、そっと唇を合わせた。*** 食事のあと、すっかり元気になったフェイを見送って、家族三人手分けして戸締まりと火の始末をした。ミドリが母のベッドにいつものように潜り込むと、父が何を考えたのか、ニッコリ笑って言った。
「ミドリ、たまにはこっちで寝ませんか?」
ミドリがぶんぶん首を横に振る前に、母が呆れたように言った。
「あなたこそたまには私と一緒に寝たらどうなのかしら。」
「何言ってるんです、この食料事情でもう一人できちゃったらどうするんですか。」
そう応じながら髪をほどく美しい父の顔はまだ薄笑いが残っている。母はそれもどうよ、という顔で尋ねた。
「…フェイは結局どこが悪かったの?」
「いえ、別にどこも。」
「仮病?…おなかでも減ってたの?」
「あー、いや、違いますよ。具合は悪かったみたいです。」
「…体は悪くないのに、具合だけ?」
「そうそう。…あれですよ、お医者さまでもどこぞの湯でも…ってやつ。」
「あら。」
母はびっくりしたように言った。
「…いつのまにか大人になっていたのね、フェイ。」
「…本人はわかってないみたいですけどね。…さ、もう灯りを消しましょう。お休みなさい、ユイ、ミドリ。」
父はそういって、手許のスイッチで電気を消した。
本当に怖い父だ、とミドリは理由も分からずに思い、その晩、大層うなされたのだった。
19ra.
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