周知不徹底1


BED TIME 8

周知不徹底
-1-


 息。
 ヒュウガの息。
 速く、深く、…熱い息の音が続く。
 部屋はまだ明るい。授業はさきほど終わったばかりだ。
 窓にこしかけているヒュウガは、下半身を剥かれてしまって、外からは中が見えないぶ厚い窓であることをいいことに、その裸の尻を窓ガラスにくっつけている。
 ヒュウガの足の間には、シグルドのふわふわの髪がわだかまって、小さく動いている。…微かな音をたてながら。
 …ちゅぷ…ちゅぷ…。
 濡れた…音。
 …クチュ。
 …ヒュウガの足の間で、シグルドは舌を動かしているようだ。
 ヒュウガの少年らしいすんなりとした足のむき出しの膝は、折り曲げられ、シグルドの黒い手が、それを左右に押し広げている。ぴんと伸びた足首…そしてつま先の下の床に、ヒュウガの服が落ちていた。
 シグルドの頭を両手で抱え込み…時々は撫で回しながら、ヒュウガは部屋いっぱいに…息の音を響かせている。
 「あっ…ああっ、…んっ…」
 不意に声を立てて、腰をぴくっと震わせた。
 シグルドは更に口を大きくひらいて…ぐいぐいと飲み込むように吸い付いている。ヒュウガの肉茎は、シグルドの口にとろとろと透明なものを注ぎ込んでいる。…太い筋を立てて…シグルドの赤い唇の間に潜り込み、犯している。
「は…あっ、あ…ああ…あああ…あ…」
 ヒュウガの声がせつない響きを帯びた。
 するとシグルドは、そこでやめてしまった。
 口を離してしまう。
 ヒュウガは首をゆるゆると左右に振った。
 肩で切りそろえられた黒髪が、さらさらゆれる。
「…あ…や…やめないで…シグルド…」
「…」
 シグルドは答えない。…青い、美しい瞳は欲情で潤んでいる。
 シグルドの見つめる先には、ヒュウガの肉が茎を伸ばし、ピンク色の花を咲かせ…シグルドの唾液と自らが流したものでぬるぬると光っている。
 シグルドはゆっくりと一つ瞬きし、ジリジリとジッパーを下ろして、制服の前を開いた。
 見つめていたヒュウガの喉が、ごくり、と音をたてた。…息が乱れる。
 そこが、大きく突き出していた。…下着を持ち上げている。
 シグルドが動いたひょうしに、濃い紫色の小さな下着のわきから、それが飛び出して来た。
「あ…あ…」
 ヒュウガは言葉にならない、赤ん坊の喃語のような声を発した。
 シグルドは膝まで下着を下ろし…その素晴らしく黒い物をヒュウガに見せつけた。
「あ…あう…あ…」
 ヒュウガの目がどろっと濁って、顔がふぁ…と赤くなる。
「降りて、ヒュウガ。」
 声ばかりは優しげにシグルドはヒュウガに言った。
 ヒュウガは操り人形のように素直に窓からおり…シグルドにふらふら歩み寄った。
 シグルドはヒュウガを裏返すと、窓に手をつかせた。
 ヒュウガは言いなりに、シグルドに背中を向ける。
「ひっ…あっ…あああ…」
 何か冷たいものが、後ろの入り口にたっぷり塗りこまれた。冷たさに身を竦めた次の瞬間、それはトロリと溶けて、流れ出した。それを指ですくい、シグルドは、ヒュウガの中に塗りこんだ。
「…ん…ん…シグルド…」
「ふ…」
 シグルドの息が間近に聞こえ、シグルドが背後で自分のものに何かぬりたくっている気配を感じた。ヒュウガは期待に満ちて、静かに待つ。息が自然にまた荒くなった。
「…ヒュウガ、もすこし、低く。」
 そう言って、シグルドはヒュウガの手を下に移動させ、それからヒュウガの腰を抱き寄せた。
「…や…いや、こんな格好…変…」
「…大丈夫、大丈夫だよ、ヒュウガ…」
 ヒュウガの突き出させた尻の割れ目に、真っ黒な肉の棒が進んでゆく。
「…ひっ…」
 入り口に触れた瞬間、ヒュウガはビクリ、とした。シグルドはそれを押さえ付けるように抱きかかえ、グイッと入り口を割った。
「っ…あっ…」
「…っ…ヒュウガ、じっとして…。…息、とめないで…。」
 ハァ、ハァ、と喘ぐヒュウガ。その呼吸にあわせるように、ぐい、ぐいと噛み合ってゆく2人のプラグ。
「シグルド…」
 細い声でヒュウガが呼ぶ。
「ヒュウガ…アイシテルって言って…今だけ…今だけでいいから…」
 自分のモノに手をのばすと、上からシグルドの手がヒュウガの手ごと、そこを包み込んだ。
 シグルドの言葉に応じて…ヒュウガはアイシテル、アイシテル、とうわ言のように呟いた。 …シグルドが果てるまで、ずっと。

+++

「今だけでいいからってどういうことなんだか。…まあ減るもんじゃないし、言うのはいいですけどね〜別に。」
「あ〜…そういえば、たまに言っておるな。奴は。」
「…あなたと2人のときも言うんですか?」
「…たまに。言うというか言わされるというか。」
「言ってやるんだ?へえ、シグルドに優しいですねえ、カール。」
 からかうようにヒュウガは言ったが、カーランはツラっとして無視した。
 …冷たい横顔が美しい。
 ヒュウガは話をもどした。
「…でも3人のときは言わないですよね。」
「うむ、言わんな。」
 昼休みの食堂は賑やかだった。食堂の片隅で、カーラン・ラムサスはヒュウガの隣にいる。実に旺盛な食欲で、彼は2個目のハンバーガーを食べている。不味い学食のハンバーガーだが、気にするふうでもない。
 勿論ヒュウガたちは粗食に耐えて任務を遂行するという訓練も受けている。けれども、やはり、不味いものは不味い。
「…美味しいですか?」
 ヒュウガは尋ね、カーランに横目で見られた。
「…いや、不味い。」
「…あなたともあろう美食家がよくそんなもの2個も3個も食いますね。」
 ヒュウガは少し責めるような口調でそう言った。
 カーラン・ラムサスは誰もが認める美食家だった。…飯のウマイ店ならラムサスに聞け、と学校の先輩までそういって憚らない。
 けれども学食のバーガーは不味い。そもそもここのバーガーを不味いと言い出したのはカーランだ。
 カーランはケロリとして言った。
「馬鹿め。腹が減っていれば、どんなものでもうまいんだ。だから不味いものを食べなければならないときは、朝食を半分にするんだ。」
「学食だったらオムレツだってカレーだってあるじゃないですか。」
「同じ不味いものなら、より不味いものを食った方が気が楽なんだ。」
「どうして?あなたの考えること時々理解できない。」
「確かにオムレツのほうがましだ。でもあのオムレツ、うまいか?」
「…いいえ。」
「…だったら思いきりまずいほうが楽だろう。」
「どうして?マズさって一種の苦痛でしょ?少しでもおいしいほうがいいじゃないですか。」
「少しはうまいかも....という期待のために、半分でザセツしたくないんだ。最悪に不味いとわかっていれば、はなから期待しない。」
「…ところでどうしてそんなに金ないのですか?」
「ん、セーター買った。」
「あー、無駄遣い。」
「…無駄ではない。あったかい。色も綺麗だ。肌触りもいい。」
「まあいいですけどね、別に。」
 ヒュウガは溜息をついた。…セーター。寮は寒い。ヒュウガも欲しい。でも金がない。
「学食でもね、カレーはまあまあウマイですよ。あなたが食べるの見たことないけど。」
「…キライなわけじゃないんだが、米が難しい。」
「難しいって?」
「…ばらばらになって、掻き集めるのが大変だ。…俺はライスは食わない。」
「…」
 ヒュウガは苦笑した。
「…カール、ライスは食わないって、三層では隠語の差別表現なんですよ。」
「ふーん?」
「…肌の黄色い男とは寝ないって意味…。黄色人種は米を食うからぬか臭くていただけないって意味なんだって。」
「そうなのか。俺は布団の上で夜なら、ぬかくさくても食うぞ。」
「まああ、そりゃあ、ありがとう。でもぬかくさい?わたし。夜限定なのは、昼食を半分にするため?」
 ヒュウガがニヤニヤして皮肉を言うと、カーランは「アホかこいつ」とバカにするような目でじろじろ見つめ返し、それから少し眉をひそめて言った。
「昼にベッドは使わない主義だ。半分にへらすもなにもあったものか。それに、だいいちぬかって米のどこだ?どんなにおいだ?」
「…そうですよね。」
 ヒュウガはこつんとカーランによりかかって笑った。…カーランの体は、温かい。

+++

 課題につい熱中して、メインファイルのほかに長大なサブファイルができてしまうことがある。
 その「遊び」…ヒュウガにとっては…が、ヒュウガの価値、或いは個性だと教官たちは揃って言い…勿論徹底して無視してくる教官もいたが、半数ほどの教官はいつもつきあって見てくれた。
 評価は、いいときもあるし、悪いときもある。厳しく長い反論ファイルをつけてくれる教官もいたし、単純に「おもしろかった。また楽しみにしている。」と短いメールだけ届くこともある。
 机の上のノートを閉じると、もう食堂はとうに仕舞っている時刻だった。
(また食べ損ねたな…)
 寮の食堂は学校の食堂ほどひどくない。残念だった。
 門限まではまだ時間がある。
(外へ行こう。)
 上着をとった。
「ちょっと出かけて飯食って来ます。」
 シグルドのベッドに声をかけた。
「…ん…」
 胡乱な返事があった。 
 ベッドでは真っ白な手足と黒い体が絡み合っている。
 その美しいコントラスト。
 …汗のにおいがした。
 ヒュウガはそのまま通り過ぎて、部屋を出た。
(またアイシテルって、言わせるのかなシグルド…)
 ヒュウガは髪をいじりながら寮を出る。
(髪、もう少し切りたいな…でもセーター欲しいし。)
(セーターは今月は無理かな。学食バーガーいやだし。)
(…そういえばわたしカールにアイシテルって言ったことない…)
(…言われたこともない。)
(…そういう仲じゃないものな。)
(…抱き合ってるけど…。)
(…抱き合っているだけだもの…もし恋とかしてたり、…なんかこう、そういう…なにかな、相手に独占所有の指環はめさせたい気持ちとかがあったりしたら、多分シグルドとカールが私抜きでシテルのなんか絶対我慢できないはず…でも平気だし…。てゆーかあの2人が絡んでるの、見ちゃうと…モエちゃうし。)
(抱き合っているときはすごくいいけど…)
(本当にすごく…イイ…。)
 ぞくり、と体が震えた。ヒュウガは慌てて別のことを考えた。
(何食べようかな。)
 門限も迫っていたので、あまり遠くまでは行けない。寮の近くの安いレストランで、スナーフを食べた。スナーフというのはソラリスでよく食べられている複合食品で、どろっとした煮込みスープの上に穀類の焼き物で蓋をしてあたため、その湯気でふやかした焼き物をスープと一緒にいただく食べ物だ。大量に繊維が含まれており、スープは骨粉や屑肉、内臓などで出汁をとるためミネラルも豊富だし、野菜も入っていて味も悪くない。これに生のサラダでも食えば、栄養的にはほぼ完璧な食べ物と言えた。作るのはたいそう難しいらしいが、元来家庭の「残り物料理」らしいので、値段は安い。いわゆる「おふくろのあじ」というやつで、人気も高い。…ヒュウガも子供のころから、よく食べている。
(結局私はこれか…)
 なんとなくそう思った。
(カールってドライだよなあ。)
 昼間のことを思い出した。
(自分の生活史をセーターのために切り捨てるんだから…。私にはできないな。食べ物優先…。)
(…それとも、わたしよりもうんと寒さに弱いのかな。)
(寒冷地適応型の人種なのに…。温かいのに…。)
(あの…白い…とても白い肌。)
 一瞬ぼんやりしそうになって、慌ててスプーンをもち直した。
 時計を見ると、まだ時間はあった。
(おちつけ、わたし。)
 そして食べ始めた。
「おう、ヒュウガ。ここにいたのか。これから行こうかと思っていた。」
 顔を上げると、ジェサイアがいた。 

+++

 管理官権限、というのがあって、管理官が寮に電話を一本いれてくれると、門限が一時間のびる。
 ジェサイアはヒュウガの向かいに座り、お茶と軽いパイを注文した。
「…なにかあったんですか。」
 ヒュウガが尋ねると、ジェサイアは軽く首をふって否定した。
「別に。でもシグルドが何かと心配でよ…しょっちゅうアレだしな。ここんとこどうだ?さわいでないか。」
 ジェサイアが言っているのは、ドライブ中毒のことだ。シグルドはドライブ中毒なる厄介な症状の持ち主で、ときどきフラッシュバックがある。…かなりあばれたり、昏倒してしまうこともあるという。
「最近…といわれましても。…まだそういうの少ししか見たこと無いし。あのときは普通に具合悪くなってただけでしたし。別に変わったところはないですよ。」
「そうか。…いや、ストレスがたまってきていろんなバランスが狂ってくると出やすくなるんだ。もし、疲れてるなあ、と思ったら、よく休んで好きな映画でも見るようにお前からも言ってやってくれないか。」
「…ええ、わかりました。」
「…よく眠ってるみたいか?」
「ええ、すーすー安らかな寝息たててますよ。」
「そうか。ならよかった。…お前が入ってからおちついたな、少し。」
「そうなんですか。」
「…カール、とげとげしいからな。悪いやつじゃないが、病人の看病には向かん。その点、お前さんはソフトだからな。」
「…そうですか?」
「…一見な。」
 ヒュウガは笑った。
「ああ、そうかもしれません。」
「そうだろ。…一見そういうふうだっていうのは、なかなか貴重な資質だぜ。」
「有難うございます。」
「存分に生かしてくれ。」
 ヒュウガの食事が終わると、ジェサイアは「じゃあいくか」と言って、寮までついてきた。
 寮の廊下で、ジェサイアは言った。
「…ヒュウガ、肌や髪の色で、嫌がらせされたり無視されたりしてないか?」
「…いえ?…別に。…そういう連中とは口きく機会もないので。」
「…いや、違う。カールだよ。」
 ヒュウガは立ち止まった。
「どうしてですか?あの人はそういう人じゃないですよ?」
「…そうなのか?俺はあいつのことが一番よくわからんからな。頭がよくて信用できねえし、何も言わねえし、分かりにくいんだよ仏頂面で。シグルドのことネチネチ虐めてるんじゃねーかってずっと疑ってるわけよ。」
「そんな…、それはひどいですよ。カールは…とくにシグルドには優しいです。」
「違うならかまわんぜ。」
 ジェサイアは先にすたすたと歩きだした。
 ヒュウガはなぜかひどく傷付いた。
「…ヒュウガ、おまえも幾分そういうこと身に覚えあるだろうけどな、シグルドくらい色ついてると尚更なんだ。…まだ2層なんざいいほうだ。1層はお前達には地獄だぜ。覚悟しとけ。いずれお前達はそこに行く。…助け合わずに一層に居続けることは多分できない。きれいごとじゃない、お前達には仲間が必要なんだ、だからカールが外したときは2度とやりたくならないように2人でがんがんシメとけ。」
「…あなた、管理官失格ですよ。」
 ヒュウガはぼそりと言った。
 ジェサイアは笑った。
「ガキの面倒みるのなんか俺に向いてるわきゃねーだろバーカ。叩いたつもりかよ、それで。」
 ヒュウガは顔を上げて言った。
「給料もらってるんでしょ?金のぶんは責任はたしなさいよ。」
「うるせえよガキ。」
「ほんとのことだから五月蝿く感じるんですよ。」
「…ほんと小ウルセエ奴…。」
 ジェサイアはそう言ってクックッと笑っている。そして立ち止まってヒュウガが追い付くのを待ち…追い付くと、ヒュウガの頭をがしゃがしゃ撫でた。

+++

 部屋に着いて、ヒュウガはふと先程の2人の「芸術的ともいえる絡み姿」状態を思い出した。もういいかげん終わってるだろう、とは思ったが、念のためカードキーを使わず、インターホンを鳴らした。
「ただいま帰りました〜。先輩が一緒で〜す。」
 するとすぐにカーランが顔を覗かせた。…勿論、服を着ている。だが、…どことなくおかしい。
「ちょうどよかった。」
「…なにかあったんですか?」
 尋ねるヒュウガのわきをすり抜けて、ジェサイアは先に部屋に入った。
「…ソファに寝かせてある。」
 カーランはジェサイアの背中に言った。
 それからヒュウガに言った。
「…機嫌悪くて…おかしいとおもってたら。」
 ヒュウガはそれで何がおこったのか察した。先月シグルドが加減を悪くしたときのことを鮮明に思い出した。
「…すみません…全然気がつかなくて…。」
「いや、ヒュウガが出かけたあとだ。」
「…どんな感じだったんですか。」
「…しばらく喚き散らしてた。兵器の台数を数え上げて、撃破、損傷率何%、撃破、撃破…。手がつけられなくて…鎮静剤を。」
「…シグルド…可哀想に…。…あなたも。」
 ヒュウガはカーランの頬をそっと撫でた。
 …変な想像しかしていなかった自分が、なんとも情けなかった。
「ちょっと2人とも来い。」
 ジェサイアが呼んだ。
 ヒュウガは中に入り、カーランが戸を閉めた。
「…さっき鎮静剤を打った。」
 ソファに近付いて、カーランはジェサイアに言った。
「…てえことは、かなり激しかったってことか。」
「ああ。」
「…どんな様子だった?」
「…ソイレントのドライブ添加同調率測定テストのようすが良く分かる内容だったな。」
「そうか…。荒れる前はどうだった?なんか落ち込んだりしてなかったか?」
「…機嫌が悪くていろいろ批難された。」
「…何て?」
 カーランは少し言い淀んだ。
「…冷たい、とか。」
 ヒュウガは、あっ、と思った。
 …言わなかった、のだ。
(…私が、からかったから…。)
 ジェサイアはふん、と鼻でわらった。
「確かにおめえは冷たいわ。…カールはそういう奴だから、期待すんなって言い含めてあるんだけどな。」
「…」
 カーランは答えなかった。
 ヒュウガは後ろからそっとカーランの背中を叩いた。
 カーランは反応しなかった。
「…でも少しは優しくしてやれよ。一緒に暮らしてるんだから。」
 ジェサイアは顔をしかめてカーランに言った。
 カーランはヒュウガの手が離れるのを待っていたのか、少し間をおいたが、やがて答えた。
「…そうだな。」
「…まあでも、ゴネられるなら心配ねーな…おい、シグルド?」
 ジェサイアはシグルドにそっと呼び掛けた。…薬がまだ効いているのか、シグルドは眠ったままだ。
 ジェサイアはシグルドの頭を持ち上げて、その下に座ると、シグルドの頭を自分の膝の上に載せた。
「よいしょっと。…よしよし、じゃもすこし寝てろ。…おいカール、なんか飲み物買ってこい。全員分。ぬくいやつな。」
 そう言って、自分のカードを投げた。カーランは無言で受け取り、少し髪を整えてから、部屋を出た。
 ヒュウガは手持ち無沙汰になり、ジェサイアたちに近付いた。
「…先輩…。すみません。私、全然気がついてなくて…シグルドのこと。今度からもっと気をつけます。」
「…まあ、そう目くじらたてることもねえさ。…そろそろかもしれねえとは思ってたんだ。」
「…。」
「…そのへんに座れよ。落ちつかねえ。」
 ヒュウガは椅子に座った。
 ジェサイアはシグルドの前髪をふわふわいじっている。
「こいつな、うちでガキの面倒あずけとくと、すごく安定するんだよ。多分、昔そういう小さい子のいる家庭に育ったのかもしれねえな。もう調べようもないが…。」
「…そうなんですか。」
 ヒュウガは言った。
「…先輩、すいません、あの…」
「まだなんか懺悔したいのかよ。じゃあとイッコだけな。癖んなるとよくないから。」
 そう言われてヒュウガは詰まった。
「え…」
「…誰もお前のせいだとは言ってねえよ。みんな不安なんだ。ばたばたするな。…でもどうしようもないなら聞いてやるさおっしゃるとーり給料分の仕事だからな。」
「…」
 ヒュウガは大変気を悪くした。
「…いえ、やっぱり結構です。」
 なにも自分たちのベットの話まで暴露する義務はないと思い直し、ヒュウガはむっつり黙り込んだ。
 少しして、カーランが両手にカップを持って帰って来た。
 二つはコーヒーで、二つはスープだった。
「シグルドにスープを残しておいたほうがいいかな?」
 ジェサイアはそう言ってコーヒーをとり、カーランからカードを受け取った。カーランもコーヒーをとった。ヒュウガは必然的にスープになった。…ちょっとカーランの顔を見ると、カーランがヒュウガを見て、何を思ったのか、まだ手をつけていなかったコーヒーを差し出した。
「あ、いえ、いいんです、なんでも。」
「飯、スープだった?」
「あっ…ええ、はい…。」
「じゃ、とりかえよう。俺はどっちでもいい。昼も不味いコーヒーだったし。なんか胃がむずむずするし。」
「…すみません。」
 ヒュウガは恐縮しつつ取り替えてもらった。 
 飲み物の匂いに反応したのか、シグルドが目を開いた。
「あ…シグルド。」
 ヒュウガは言った。
「大丈夫か?」
 ジェサイアが尋ねた。シグルドはぼんやりとジェサイアを見上げた。
「…先輩?」
「ああ。…たまたま見にきたら、お前が眠らされてたから。大丈夫か?まだ気持ち悪いか?」
 ジェサイアが返事をすると、シグルドはジェサイアの服の端をつかんだ。
「…気持ち悪いです。」
「んじゃもう少し横になってろ。様子見て、明日もダメそうだったら病院。」
「…だいじょうぶです。」
「…お前な。」
「大丈夫です。」
「だったら手ぇはなして自分で起きてみろ。」
 ヒュウガとカーランは黙ってシグルドを見ていた。
 シグルドは離した手を所在なく動かし…結局ジェサイアの膝に載せて…起きなかった。
 ヒュウガはこういうシグルドをあまり見たことがなかったので、内心驚いた。
 …なんだか親の膝から起きない子供のようだ。
 ジェサイアはしばらくシグルドをそのまま放っておいた。ヒュウガはコーヒーを少し飲み…シグルドに言った。
「シグルド、もしよかったら、飲み物がありますよ。カールが買って来てくれましたから…。」
「…うん。」
 シグルドは小さくうなづいた。
「…なんか良い匂いがして目が覚めた。」
「…このスープ、シグルドのですよ。」
「…スープ?コーヒーかと思った…」
「コーヒーがよかったら…あ、私の飲みかけだけど。」
「んじゃほら、これ。」
 ジェサイアは自分のコーヒーをシグルドに持たせ、自分はテーブルに残っていたスープをとった。そしてシグルドを静かに抱き起こした。
「…シグルド、どうもおまえさんの不調は周期的に出てるみたいだ。…自分ではなんか予兆みたいなものは感じないか?そろそろなんか来そうだな、とか。」
 シグルドはそう言われて、真面目に考えた。
「…そうですね…普段はなんでもないようなことが、カンに触るようになっている…かもしれません。」
 ジェサイアはうなづいた。
「セロトニンの低下は多分あるとラケルが言ってた。疲れやすくないか?」
「…どうかな…。」
 シグルドは戸惑うようにカップの中をのぞきこんだ。それから顔を上げてジェサイアを見た。
「…今度から、気をつけて過ごします。疲れたと感じた日、カレンダーにチェックしておこうかな…?」
「ああ、それがいい。ついでに軽い症状でも、なにか出たときはかいとけ。軽い頭痛とか。微熱とか。筋肉痛とか。関係なくてもいいから。」
 ジェサイアはわしゃわしゃとシグルドの頭を撫でた。
「わかりました。」
 シグルドは大人しくうなづいた。

***

「シグルド…先輩のこと好きですか?…」
 ヒュウガが尋ねると、ヒュウガと絡み合う黒い四肢がひっくりかえって、ヒュウガの下からシグルドの顔が現れた。
「…どうして?」
「…甘えてるの初めて見たから。」
「…うん、好きだよ。」
 シグルドはヒュウガに覆い被さって、ヒュウガの唇を吸った。
「…あそこの家にいると、なんだか落ち着くんだ。先輩に怒鳴られて…ラケルさんに叱られて…ビリーと歌うたったりしてると…なんか落ち着くんだよ。」
「…シグルド…」
「俺きっと命令されて生きてた人間だと思う。」
「シグルド…」
「…きっと犬みたいに…」
「シグルド…」
「だれかに命令されたり誉めてもらったりしてないときっとダメなんだよ。」
 ヒュウガの腕がシグルドに絡み付く。
「しっかりしてください、シグルド。そんなことないでしょ?」
「…俺先輩ンちの子になりたいな…。駄目かな。」
 おそらくこんな大きな息子ができたら、ジェサイアは途方に暮れることだろう。…ヒュウガはシグルドの体に絡み付かせていた手で、シグルドの背中を撫でた。
「…先輩が好きなんですね、シグルド…」
「…うん、好きだよ…」
「…好きな人と寝たほうが幸せになれますよ…?」
「…あはははは!」
 シグルドは笑った。
「…イカレたこと言ってるよ、ヒュウガ。ヒュウガは父親と寝たの?」
「…」
 ヒュウガはシグルドの頭を抱いて、撫でてやった。
「可哀想、シグルド。」
「うん…俺、可哀想。」
「…しゃぶってあげましょうか。」
「…うん…いや、今日はもう寝よう。なんか疲れちゃった。…ああそっか、さっきもうカールとしたんだもんな…。」
「…カールに冷たくされたって本当?」
「…いや別に…そんなことない。いつもどおりだったよ…。」
 2人は抱き合ったままもう一度半分裏返って、並んで枕に頭を載せた。
「…詰ったのは具合が悪かったから?」
「…いつも詰ってるけど…。バカとかトーヘンボクとか冷血第2市民とか。いばりんぼとか。」
「…それ、逆差別、シグルド。」
「いいんだよ…。だって友達だもん。」
「…でもカール傷付いてますよ?」
「いいの。俺だって傷付いてるもん。俺が傷付いてるって、教えてんの。」
「…何に傷付いてるの?」
「…わかんない。」
 シグルドはふて腐れたように言った。
 そして付け足した。
「…ああ、わかった…。カール…あんなに滅茶苦茶抱き合ってんのに…俺のことちっとも愛してないから。」
「…」
 そんなことはないと思う。…ヒュウガが黙っていると、シグルドは更に言った。
「…それも違うなァ。」
 …それっきり、シグルドはもう何も言わなかった。 

+++

 今日もカーランは学食の片隅に座って食事していた。ヒュウガはそれを見つけてとことこ近付き、ことわりもせずにカーランのとなりに座った。
 カーランは今日もハンバーガーを3個積み上げている。そのとなりには、不味そうな真っ黒いコーヒー。
「…給料日までこれ?」
「…うむ。」
「…きつくない?」
「…慣れだ、慣れ。…朝夕はわりにきっちり栄養とれてるしな。」
 ヒュウガは笑って、カーランの隣でカレーを食べ始めた。ここは、カレーだけはまあまあの味なのだ。ヒュウガはこれに醤油をかけて食べるのがすきだ。
「…昨日、シグルドとケンカになったんですか?」
「けんか?いや…そこまでは。…ただ、いつもよりダダこねるようなきつい調子で絡まれただけだ。」
「何か…変なことで詰られなかったですか?」
「…いや、いつものことだから。だがジェサイアにそう言うわけにもいかないし、半端な説明になってたかもしれんな。…あのあとシグルドお前になんか言ってたか?」
 ヒュウガは少し考えた。
「…うーん…カールは友達だから詰ったっていいんだって言ってたから、一応それどうよっていっときましたけど。」
 カーランは黙ってまずいハンバーガーを食べ、一つを食べ終わってから言った。
「…いや、そんなことは、別にいい。たあいない…ガキの言葉遊びみたいなレベルのものだから。つきあっとくさ。」
「…」
「…アイシテルっていうのも、つきあわなきゃいけない言葉遊びみたいなものなのか?」
 ヒュウガは突然言われてびっくりした。
「え…」
 それは、いくらなんでもあまりに冷たい台詞だった。ただ、ヒュウガには直感的にわかった。カーランは、本当にわからなくてそう言っているのだと。…隣の席のクラスメイトに解けない数学を尋ねるときのように…さしたるこだわりもなくそう言っているのだと。それどころか、むしろ謙虚な気持ちでそう言っているのだと。
(この人…)
 カーランはまずいことを言ったらしいと察したのか、止めていた手を動かして、2個目のハンバーガーの包みを破った。そして、不服そうに言った。
「…でもあいつはどうなんだ。今だけって何なんだ。あいつはまるで自分が愛のないセックス強要されてるような言い方してるが、…昨日のあれを見ただろう。あいつが寝たい相手はジェサイアだろうが。だったら俺ともヒュウガとも寝なきゃいいんだ。…あいつ、人の体見て欲情して手のばしてきたくせに。よく言うわ。…なんなんだ、…人を汚いものみたいに。俺が汚いと思うなら触らなきゃいいだろう。それとも同じ部屋にいたら我慢して寝なきゃいけないのか?自分が俺をはけ口にしてるのにまるで気がついてないのか?」
 そしていまいましいといった様子で一口で半分ほど不味いハンバーガーを食べた。おあいそていどに噛むと、不味いコーヒーでそれを飲み下す。
 ヒュウガはカーランがほんのわずかに垣間見せた怒りの断片に少し驚いた。
(な…なんなんだこの物凄い圧力みたいなものは…。…この人が本気で怒ったら、今のわたしなんかでは消し飛んでしまいそうだ…。うちの死んだじいちゃんより破壊力のありそうな怒り…。)
 ヒュウガは少し慌てて口を開いた。
「…そ…そうじゃないです、そうじゃないですよカール。」
 おろおろした。
「…シグルドは…そうじゃなくて…寂しいんですよ。先輩のことだって…お父さんみたいに思っているんですよ。…甘えたいんですよ。…私やカールは…いつもそばにいるから…だから…甘えているんですよ。それだけです。はけ口とか…そういうものじゃないですよ。そんな言い方しないでください。違いますよ。
 でも…シグルド自身もそれが…ベッドの上でああいう形で出ているから…本人も混乱しているんですよ。自分の求めているものと…そこにあるものが違うって、漠然とわかってはいるけど、どう違うのかもごちゃごちゃだし…それになぜ違うかもわからないんですよ。どうすればいいのかも…。だから、体調が悪くなってくると貴方に相談したくなって…でも相談しようにも何を言ったらいいのかよくわからないから…だから詰るんですよ。」
「そうか。それはわからんだろうな。俺がきいてもさっぱりわからん。」
「そ…そうですか?」
 ヒュウガは困り果てて、醤油のかかったカレーをスプーンでかき混ぜた。
「…カール、シグルドは別にあなたのこと汚いなんて思ってないですよ。…友達だって言ってたもの。シグルドのこと愛してないから腹が立つっていいかけて…そうじゃないって、自分で打ち消してたもの、シグルド。」
「…ふん、どうかな。」
「…むしろ逆ですよ。あなたがあまりに綺麗に割算しようとするから…余りが出ちゃう数だってあるでしょう?」
 カーランは乱暴に残りのハンバーガーを口にいれてコーヒーで流し込み…三つ目の包みを破った。
「…だがおまえだって言ってたじゃないか、今だけアイシテルって言ってくれってどう言う意味だって。失礼だと思わないのか?」
「…カール…昨日、私がからかったから…あなた混乱してしまったんですか?」
 …長い沈黙が生じた。
(…やっぱり…わたしのせいだったのか…)
 ヒュウガはスプーンを置いて、そっと頭を下げた。
「…ごめんなさい。」
 その瞬間カ−ランが本気でむっとしたのがわかった。ヒュウガは天雷のごときその怒りに身が竦む思いだった。
「なんだか、あのときすごくカチンときてて…。でもきのうシグルドといろいろ話をして…シグルドが先輩に甘えてるのも見て、ああそうなのかなあって…だから…す…すみません…。…あのっ、私達…むしろ私達のほうが、彼の誘いを拒んであげるべきなんじゃないだろうかって…あの人が自分の気持ちを整理できるまでの間だけでも…。」
 カーランが、どなりたいのを全身で我慢しているのがびりびりと伝わって来た。もう何を言ったらこの場が収まるのかヒュウガに見当もつかなかった。いっそ彼の嵐のような怒りを今ここで野放しに暴走させたほうが、かえって後々犠牲が少なくすむのではないか…そんなふうにまで思えた。  
 ヒュウガはそれでも一つ息をつき、そして気丈に顔を上げた。
 くっきりと眉間に縦じわが刻まれたカーランの顔を見つめて、返答を待った。
 …少しして、カーランはふいっと顔を背けた。
 そして最後のハンバーカーをくわえると、コーヒーの紙コップを持って、席を立った。


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