地上30Fの人魚


それはある日の会話だった。
 「冬は…生牡蠣が風情あっていいとおもうのです。」
 「牡蠣って…あの、凄い殻の中にでんでろでーな無気味なミのついてる貝か?」
 「そう…それです。貝柄を器にして、酢で味付けてねね…ちゅるっ、て飲むの、ちゅるって。」
 「…ふーん。」
 「うふふふ、殻からとりだしてカールのこのへんに置いてね、それで酢をかけてね、ちゅるって。」
 「…ばか…」
 「うふんv」
 「高いけどフグなんかも時期だな」
 「ああ…K-1の」
 「こないだ死んだだろう」(※大変悲しみました)
 「ちょっとボケただけでしょー。かわぶたですね」
 「…」
 「フグ刺しなんか並べたら綺麗でしょうねー」
 「どこにだ?」
 「そりゃやっぱカールに」

 「絶対いいとおもうんですよー、こう、人魚のうろこみたくね、下半身に延々はっつけて並べるんですv」
 「…ひらめでもかれいでも透けてみえると思う。値段も手頃だし、どうしてもっていうなら、ひらめにしよう。」
 「かれいって、お刺身できるんですか?」
 「こないだ新聞販売店の新年会で行った寿司屋にあった。」
 「…じゃ釣りに行きたい。だって今日テレビでナントカ川の河口で氷のむこうに餌投げて川ガレイ釣ってたんです。一キロ遡ると川が完全に結氷しててわかさぎも釣れるんだって。」
 「ちょっとまてーーー!それ北海道だろうがー!!」
 「えー。駄目ですかー?」
 「北海道までは今いくらなんでも行けないから、釣りはそこの釣堀で我慢してくれ」
 「じゃあウチで人魚釣ります。カールはひらめはっつけて泳いでてください」
 「どうしてもやりたいんだな、おまえ…」
 「わーい、今日はお刺身ー♪…あ、取られるといけないからシグルドはこたつに入れときましょうねー」

・・・その夜のシグルド by 19ra
 それは確かに「ざぶとん」と呼ばれるほどの大物のひらめだった。シグルドは、確かにその姿を垣間見たと思うのだ。後にジェスに確かめたところ、悲しそうに肯定してくれた。決して夢などではない。ひらめは新聞紙の包みから透明なビニール袋に入った形で取り出され、一瞬後に、「ひえびえの箱」の中に消えて行った。
 手を洗いながら「おかあさん」の金髪の愛人はふとふりかえり、「日向、シグルドがじっと見るんだ。」とガキみたいな言い方をした。「おかあさん」はやって来て、シグルドの首の後ろの皮を掴み、抱き上げた。「おかあさん」はいつも石鹸の臭いがする。自分に石鹸の臭いがするのは大嫌いなシグルドだったが、「おかあさん」にだっこされるのは別にイヤじゃない。たまに大福とか変な物をくれるし、よく掃除機で吸ってくれるから「おかあさん」のことは好きだ。
 しかし「おかあさん」は「シグルド、今日はいいこにしていてね…。とっておきの場所をあなたに譲るから…」とシグルドを撫で撫ですると、こたつのなかに放り込んだ。そして布団の端っこに何か重りみたいなものを置いて、シグルドを閉じ込めてしまったのである!
 なんということだろう!優しい「おかあさん」がシグルドを裏切ってあの金髪の愛人と巨大なひらめをこっそり食べるなんて、あまりにもひどすぎる!
 …しかし気持ちよくって眠っちゃった可愛いシグルドであった。

・・・その夜のジェス。(ステレオ放送) by 若月
 どこから調達してきたのだろう、あのひらめ。
 そもそもあんなに大きなひらめを誰がさばくのかと思っていたら、主人が刺身包丁を握っていた。わりと何でもできるんだなと、ちょっと感心する。
 髪の長い方がシグルドをつまんで和室に入っていき、何も持たずに帰ってきた。
 にゃーにゃーとシグルドの声がくぐもって聞こえる。爪でばりばり何か引っ掻いている音もする。…コタツの中か。あとで助けに行ってやろう。

 主人はひらめに包丁を突き立てている。
 時折「あっ」とか「…ああ」とか言う。横に立った髪の長いのが、「替わりましょうか?」とか言う。
 …ひらめが可哀相になった。
 「ねえカール、これエンガワ?」
 「…だと思う」
 「高いんですよね」
 「…らしいな」
 「ところでそれ、お刺身?」
 主人は答えなかった。
 …哀れなひらめの行く末を案じつつ、のそりと立ち上がる。
 もうにゃあにゃあ言わなくなったコタツに近づいて、布団の隙間に鼻を突っ込んでぐいぐい広げ、首を押し込む。
 鳴き疲れたのか、暖かいせいか、シグルドはコタツのなかですやすや寝ていた。 

 「にゃんか寒い」とおもって目をあけたシグルドはジェスの顔をそこに見つけた。…哀れむような目で見ている。…ってゆーか、レトリバーは地顔がこうなのだ。
 「あかーっ」とあくびしながら伸びをするとジェスは行ってしまった。「…にゃんだっけ」。何か忘れていることがある。そのとき、ジェスが顔を抜いた隙間から、魚の臭いが漂って来た。
 「思い出した!」
 しゅぴーっとこたつを飛び出すと、宴はすでに終わって…は、いなかった!
 …なんか顔をくっつけている。
 まったく好きなんだからうちの人間どもは…。
 「…うーん、最初のほうのは、…とりあえず食べましょう!」
 「てゆーか全部食おうって…」
 「でも後半てゆーか最後のほうは使えそうだと思うんですけど。」
 「使うって…だから食い物なんだから。」
 「じゃあ何で買って来たんですか?」
 「…おまえが喜ぶかと思って…」
 「うふーん、やっぱり。したかったんだ。」
 「…そんなことは…」
 今日はどうも「お母さん」が押し気味だ。
 二人がべっったりくっついて座っている足下をくぐり抜けて流しのほうに行く。
 「おさかなー、おさかなー、おさかなー」
 かぎ回ると、変な形のちっちゃい身が少し落ちていた。
 「おさかなーvv」
 シグルドはそのカケラを食べてみた。…あんまり脂っぽくなくて、薄いあじだ。ゴミ箱を覗いてみたが、にょろにょろしたところは入っていなかった。まだ流しの三角カゴに入っているのだ。シグルドはぴょーんと流し台の上に登る。すてんれすは滑るからちゅういだ。
 「…この数じゃ無理だろ。」
 「…足は無理ですね。でも、手ならどう…?」
 …なんかだんだん怪しい口調になってきたと思ったら、なんかちっっさい小鉢みたいなのに甘い匂いで変な味のやつを入れて飲んでいるらしい。調理台のまないたの横に青い瓶があって何と読むのかしらないが「美少年」と書いてある。
 さんかくカゴの中には以外と少ないにょろにょろしか残っていなかった。しかもなめらかフィールじょいの泡がついている。…泡はきらいだ。シグルドはがっかりした。
 …その瞬間どうやら注意が散漫になったらしかった。シグルドはおもいっきり流しの中にばしゃーっと転んだ。
 「あ…シグルドが戻って来てる」
 「やーっ、だめ、今動いちゃ。せっかく4枚ならんだのにーっ。」
 「…でも洗いおけの中で溺れてる。」
 「ええっ!?うわーっ!!!シグルドー!!」
 「あああ」
ざば、とシグルドを洗いおけから救出したのは「おかあさん」だった。
濡れている自分の毛皮がイヤでばたばたすると、「おかあさん」は「はいはい」と軽くあしらい、ひょいとシグルドをつまんで傍に掛けてあったタオルでくるんだ。
 体ばかりか自慢の尻尾の先までしゅるんと拭かれて、シグルドはなんとなくぞぞっとして背中を伸ばした。
 慌てて流しから逃げてくると、ジェスが「よかったな」という顔で見ていた。
 金髪の愛人は…といえば、さっきと同じ格好で椅子に座っていた。隣にすわった「おかあさん」は、箸でおさかなの切れっぱしを神妙な顔で1枚1枚つまんでいる。
 顔を前足でなでつけたり、耳の後ろを掻いたりしながら見ていると、金髪の方がちらっとシグルドを見た。
 「日向」
 「はい?」
 「シグルドが見てる」
 「…おさかなほしい?」
 ほしい!
 にゃあ、といい返事をすると、「おかあさん」はなんだかぶきっちょな形のおさかなをひと切れくれた。
 わーい。
 薄いあじのおさかなを食べていると、ジェスがいつの間にか傍まで来ていて、同じようにおさかなをもらっていた。
 「…うん、まあイイかこれで。人魚っていうより半魚人みたいだけど…」
 「おかあさん」はそう言って、変な顔をしている金髪の愛人ににっこりした。
 「…じゃあ、まずわさびを塗る。」
 「日向もう満足しただろ、はがして食おう。」
 「いやん駄目ん、これが楽しみでしてるのにー」
 「ぬるいと思うぞ〜」
 「いいのー。…それからおしょうゆ。」
 「あ、わっ、待てよ、こぼれるこぼれる。」
 「大丈夫。…」
 シグルドが「お母さん」の頭がテーブルの上の手に近付くのをついついじっっと見つめていたら、また金髪のと目が合った。
 思わず見つめ合う。
 「…日向、シグルドが…」
 「見せてあげれば?減るわけでなし…」
 「…ところで、うまい?」
 「ぬるくて生ぐさいです。」
 「…だろうな…」
 「心配しなくていいですよ、あとでちゃんとお風呂で洗ってあげるから…」
 シグルドはしばらく考えて、ジェスを見上げる。
 「にゃー、でも、お母さんが来る前は金髪のほうがお母さんだった。」
 と訴えると、ジェスは
 「…お父さんだよ、男は。」
 と、目で静かに諭した。
 「でもそしたらおとうさんふたり」
 「いいんだウチは。特殊なんだ」
 「とくしゅ?」
 「だからな…」
 動物達の会話など耳に入るわけも無く。
 人間様は『人魚』ならぬ『半魚人の手』を二人でつついている。
 「はい、あーん」
 「…」
 ぱく。
 「ぬるい」
 「しょうがないじゃないですかー。じゃあこっちのお皿のどうぞ」
 「っておい!なんで俺の手をかじる!」
 「ちょっと歯立てちゃっただけでしょ」
 「箸を使え…」
 「それじゃあお皿に盛ったのと変わりないじゃないですか!…舐められるの嫌いじゃない癖に…」
 「わかんないにゃー、わかんないにゃー、お父さん二人じゃちっさいのがうまれないにゃー!!」
 「だーから生まれてないだろう。」
 …ふてくされてどでっとジェスの足の上であおむけになるシグルド。
 「…シグルドをめんこめんこしてくれるのがお母さんだもん。」
 「…のーたりん。」
 「かーっ」
 …相変わらずシグルドが気になるカーラン君。でも日向くんに舐められてなんかちょっと良い気持ち。腕の上でごろごろvの日向くんを、あいてる手でなでなでしてみる。日向くんも良い気持ち。
 「…なあヒュウガ。」
 「なーに?」
 「あれ、真似してるのかな、シグルド。」
 「えっ?」
 思わず目をやると、何故かジェスののばした前足の上で寝転がってジェスに猫パンチしたりしているシグルド。
 「…まさか。」
 …といいつつも、カーラン君の手から身を起こす日向くんだった…。

 しばらく猫パンチを黙って受けていたジェスは、不意にシグルドの首後ろをはむっとかんだ。
 「なゃーっ」
 牙は立ててないから痛くはないのだけれど、ぷらんと首根っこでぶら下げられてしまうのは気持ち良くない。
 立ち上がったジェスは、シグルドをぽい、と放り投げる。
 「…むかつくーッ」
着地した途端、シグルドはだーっとジェスに向かって行った。
 「…遊んでるだけじゃないですか」
 「みたいだな。…良かった」
 「なんで?」
 「…真似されたら…困るだろう」
 「しやしませんよ」
 日向くんがカーラン君の手の上から、最後のひらめを削ぎ取った時。
 「あ」とカーランが声を上げた。
 目を上げると、ジェスが前足でシグルドを押さえ込んでいた。前足の間にシグルドをはさむようにして、のっしり腰を下ろし、ついでに頭も床におろしてしまう。シグルドの声が遠くなった。
 「…わー!」
 カーランくんは立ち上がって、ジェスの頭を仰向けた。
 足の間というより胸の谷間…みたいな場所から顔を出していたシグルドはえいっと全身を抜きとって、目の前の腕をだーっと肩まで駆け上る。
 「大丈夫か、シグルド?」
 抱きかかえられた腕の中でふーっと毛を逆立てて威嚇するシグルドに、ジェスは笑って言った。
 「ほーら、これでおかあさんふたりだぞ?」 
 「ちょっとでかいからって、いい気ににゃるにゃー!!」
 毛を逆立てるシグルドを軽やかに受け流すジェス。御主人様はジェスの頭を掴む。
 「ジェス、どうしたんだ。お前はシグルドの何倍も大きいんだから潰しちゃだめだ。わかってるだろう。何してるんだ。腹へってるのか?」
 後ろから日向くん登場。
 「…いくらジェスだって突然シグルド食ったりはしないですよ。…やはり愛が芽生えたのかもしれません。」
 「そんな性別だけじゃなく種族まで一気に超越してしまってはいかん。」
 「いかんと言えばいうほどああ燃え上がる禁断の愛なのです!」
 「遊ぶな!」
 シグルドの為になにやら頑張ってくれている「金髪のほう」の脇にぎゅーぎゅー抱かれてちょっと困惑のシグルド。…だって腕が…
 「…おいしい臭いする…」
 いけない、いけないと思いつつも気になるこの臭い。
 「ジェス、シグルドと仲良くするときは…いろいろ考えろ。わかったな?」
 「わかりますかねー、そんな微妙な説教。」
 「いや、ジェスはわかる…うっ…」
 おそるおそる目を下ろすカーランくんの腕を、シグルドが熱心に舐めていた。
 「…日向…真似だよ、きっと真似だ…」
 「いやんvカールしっかりー。」
 「本気で聞け!」
 ジェス、にやり。 
 …あ、からいの舐めちゃった。
 けっけっと変な咳をして、シグルドはカーランの手から顔を離した。ひょーいと腕から飛び降りて、自分の水の皿をぺろぺろ舐めている。
 「あー。わさび食べちゃったかな」
 「冷静だな日向」
 「それよりカール、猫舌の虜になりませんでした?」
 日向くん、カーラン君の手を取って首を傾げ。
 「なんだそれは?」
 「だってざらざらで気持ちイイじゃないですか、猫の舌」
 「馬鹿言え」
 「カールがシグルドに走ったら、私ジェスに走りますからね?」
 「ばっ…!」
 なんでか慌てているカーラン君に、日向くんにっこり。
 「だーかーらー。走っちゃダメですよ?ね?」
 いいですね、約束ですよと言い含めて、口にちゅう。
 「…日向…ジェスが真似したらどうするんだ…」
 「心配性ですねえ、カールは。…じゃあ続きはジェスいないところでする?


「地上30Fのきのこ」に続く。

ペントハウス入り口へ。

HRへ。