「失礼します」
「ああ、御苦労。」
陛下なる尊称をお持ちの老人からいいつけられるのはいつもつまらない用事ばかりだ。そんな理由をつくってでも、彼はこの部屋にヒュウガを送り込みたいらしい。それはこの部屋の主人が怪し気な作業に没頭しているのを訝しんで監視のために…ではなくて、むしろヒュウガの生き方を 諌めるために。
多分彼からみれば自分はこの人物に似ているのだろう、とヒュウガは思う。…他人から見ればヒュウガもまたこれほどにマッドな研究者なのだ、ということを、この人物を間近にみせることでヒュウガに悟らせたいのだ。
(自覚がないわけじゃないんですけど…)
…さほど問題があるとも思えない。
科学の世界は全く無慈悲なほどに平等で、実験データが正しく、出来上がった結果が理屈通りなら、ソラリスの摂政だろうが、シェバトの賢人だろうが、3級市民出身だろうが関係ない。そういう世界にヒュウガが入り浸るのはむしろ自然なことだ。実際カレルレンはある意味非常にラフな人物で、他の腐った役人どもとは明らかに違う。付き合いやすいとはいえないが、ある意味…なんというか…
(…わかりやすい…というか…考え方が近いんだな…多分。科学者気質とか…そういう…。)
「いつも悪いね、シェバト侵攻の指揮官まで務めた男に、こんな使いっぱしり頼んで。」
「…平和でけっこうなことです。」
「まったくだ。」
ヒュウガが手渡すメッセージにさっと目を通し、女のように美しい横顔で、カレルレンは少し考え込む。…こんな顔で研究三昧の生活でも、この男の戦闘能力の高さはその立ち姿の隙のなさから簡単に窺うことができる。…500年前からの縁だ、とヒュウガの上司は言うが、一体どういう縁なのかは一向に教えてくれない。医者としてはいい腕なのだ、とお茶を濁すばかり。
「…だが毎日あの爺さんの話し相手じゃいい加減飽きるだろう?…きみの書いたギアのデザイン画見たよ。そろそろ腕が鳴ってはいないかな?」
…迂闊にうんと言ったら不敬罪だ。
「デザインは寝る前の…なんというか、軽い就寝儀礼です。…数はたまってしまいましたが。…陛下のお話は実に興味深いです。あの方しか御存じないことというのが沢山ありますしね…色々うかがいたいことが目白押しです。」
「そうか。いや、ちょっと滅茶滅茶に大破したギアがあってね、新調しようかと思っていたものだから。元気があるなら頼もうかと思ったのだが。…うーん、廃番の旧型機を改造しようかな…。」
「…お受けします。」
…悪口言わんととっととそう言え。笑顔が少しひきつった。
「そうか、有り難いよ。きみの設計はどういうわけか好評でね。乗る奴らが文句を言わないのは君が同年代だからなのかな。それともよほどゆきとどいているのか…まあ乗ってみた奴じゃないとそれはわからないが、苦情が少ないのは有り難いことだ…。」
「…身に余る光栄です。」
「エーテルが強烈なパイロットでね…女性なんだが。エーテルをフルに生かせる機体がいいんだよ。アフロ某みたいなデザインで頼む。」
「…了解…」
アフロ某というのは子供むけのアニメ番組に出て来る架空のギアの名だ。…こんな会話が通じてしまうところが情けない。
「ではできればパイロットの個人データを…」
「ああ、今日中にきみの部屋に回しておこう。…きみの同級生だぞ。」
「は?」
「ユーゲントの同期だろう、ミァン・ハッワー」
ヒュウガは眉をひそめた。
「…大破…ですか?」
「うん、大破、だな。ま、いいさ、少し古くなってたし。」
珍しい。彼女の上官は昔からよーーーく「大破」報告と引き換えに任務を成し遂げるメカニック泣かせの暴れん坊だったが、それを制止したり、途中で襟首を掴んで引き摺って戻って来るのこそが彼女のキャラクターというもので…その彼女が「大破」とは…。何か妙な感じだった。
「…本人は?」
「…本人は無事だよ。」
「…そうですか。」
上司が無茶でもやってとばっちりを食ったのかもしれない…。久しぶりに上司の方に電話でもしてみようか…とヒュウガは思った。…そういえばずっと会っていない。最後に会ったのがいつだったか、ヒュウガは思い出せなかった。ヒュウガの作ったギアに乗り換えて以来、余り壊さなくなったとかいう話を人づてに聞いたのはいつだったろう?
「…気丈な女だ。…いくら一緒のベッドで寝ている相手だからといって、散らばった内臓を掻き集めたり出来るものなんだね…女というのはまったく…。君ならどう?できる?」
…一瞬ヒュウガの頭の中は真っ白になった。
「…は?」
「…踏みつぶされたんだよ、彼女の恋人。生身でギアに。彼女はギアに乗ってて…相当がんばったらしいが、ギアは大破。彼のほうはちょっと中身が出ちゃって…それを彼女が掻き集めて冷凍して持ち帰って…処置が良かったからなんとか蘇生してきたよヤレヤレ…脊髄が繋がってたのは有り難かった…見る?」
まさかそんなことが。
非合理的な考えが頭に居座ったきりどける気配が無い。
奴だって人間だ、生身でギアに踏みつぶされれば命にかかわる…そんなことはわかっている…当たり前だ…けれどもどうしても「そんなバカな」という思考が消えない。
とても傲慢で、手に負えない程指導力があって、いちいち裏をかいてくる男で、うんざりするほど頭がよくて、そのうえハンサムで背が高かった。本当に本当に嫌な男だった。いつかぎゃふんと言わせてやる…と、少年だったころには毎日思っていた…。
(あいつをぎゃふんといわすのは私だったはずだ。ちょっとでも悔しそうにしたら、笑い倒して、からかって…どうです、ちょっとは懲りました?世の中は貴方の為に回ってるわけじゃないのですよって…言って…思い知らせて…そうしたら少しは付き合いやすくなって…私の言うことに少しは耳を傾けるようになって…それで…)
どうでもいい思考ばかりがぐるぐると回った。
立ち尽くすヒュウガの衝撃など気付いた様子も無く、カレルレンはスイッチに触れて奥のカーテンを開いた。